- 岡本太郎といえば「ああ、あの変なおじいさんか」というぐらいの印象しかありませんでした。
小学生の時に万博公園へ遠足に行き、太陽の塔を仰ぎ見ましたが、やはり変な建物があるなあという感想しか湧かなく、気にもかけないまま友達と手打ち野球をたしなんだのを思い出します。
そのため、この「今日の芸術―時代を創造するものは誰か」 (光文社知恵の森文庫)という芸術論の著者が、本当にその変なおじいさんなのだろうかと最初は疑っていました。
というのも、この本では、芸術に造詣のない私でもその真髄を分かった気になるくらい、分かりやすく解説されているのです。
なんでも、この本は中学生にも分かるようにと編集者に頼まれて書かれたそうで、確かに芸術のまったくの素人や年かさのいかない子どもでも手に取りやすい一冊であるといえます。
その理由として、文章そのものが簡潔であるのもそうですが、なにより岡本さんの思想がとてもユニークかつ痛快であることが、読者に読みやすいという印象をあたえているようです。
- 今日の芸術は、
- うまくあってはいけない。
- きれいであってはならない。
- ここちよくあってはならない。
と本書で岡本さんは提唱しています。
- 芸術はうまく描かれたきれいなもので、心穏やかにさせるものであると思っていた私たちは、この言葉を聞いて首をかしげてしまいます。
ですが、彼はその根拠としてゴッホやピカソを例に出し解説しています。
- いまや一枚何十億もの値打ちのあるゴッホの絵は、作者が存命のころはまったく相手にされていませんでした。
当時の前衛芸術の代表者であったセザンヌでさえゴッホをしかとしていたほどで、とうとう彼はピストル自殺をしてしまったのです。
彼の絵がこれほどまで極端な扱いを受けているのも、ひとえに「きれいさ」というものが関係しています。
きれいさというものは、自分の精神で発見するものではなく、その時代の典型、約束ごとによって決められた型だからです。
きれいさとは、芸術の本質とは無関係だからです。
と岡本さんはおっしゃっています。
ゴッホの絵は当時、確かにきれいではなかったのです。
きれいな絵といえば貴族文化を基にした豪華絢爛なもので、それに比べて彼の絵は筆遣いは決してうまくはないし、なんだかいやったらしい印象を与えます。
でも、時は移ろい、次第に人々の中にあるきれいという概念も変わってきました。
当時は考えられないほどさまざまな表現方法が生まれ、ピカソように一見子どもの絵にしか見えないものを描く人も出てきました。
そのような中で、ようやく人々はゴッホの絵の中にあるなにかとんでもない真理に気づくことになったのです。
それはきれいさの先にあるいやったらしさであると岡本さんは指摘します。
ゴッホ(それにピカソ)の絵の中にあるいやったらしさは、きれいという概念をすら飲み込んでしまい、今やそれ以上のなにか強烈なエネルギーを私たちに提示しているのです。
俗な言い方をすれば、時代がゴッホに追いついたことになるのでしょう。
ゴッホは美しい。しかし、きれいではありません。ピカソは美しい。しかし、けっしてきれいではないのです。
このように言い切ってしまう文章を改めて読んでみると、やはりこの本の著者はあの太陽の塔を作った張本人であると納得がいきました。
- 今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)/岡本 太郎
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