父親改革〜真の大黒柱へ〜

父親改革〜真の大黒柱へ〜

離婚して、同じ人と再婚する機会を得て、「次こそは!」と意気込むも、失敗の日々。
試行錯誤&検証の連続。
父親だって、家族を作れる。
自分の理想とする家族を作るのは、いつだって自分。
そんな理想とする家族の形を新たに構築していった実践を綴るブログです。

Amebaでブログを始めよう!



 腹筋ができるようになったと喜んで、それを嬉しそうに見せてくれるナナさん。


 

学ぶことの意味

 

沢山のエラーに気づけた二日間だった。

 

その一つに学ぶことの間違い。

 

生まれてから、学び続けることができるのが人として一つの特徴だと思う。

 

重力と床から、この地球で生きることの意味を学び始める。

環境に適応しながら、自分の欲求を達成しようとする。

その中で育まれていく。

プログラミングされているものもあるが、

みんな同じにならないのは、生まれ持った性質もあるのだろう。

まだここについては、言語化できない。

 

それから義務教育が始まる。

社会で生きていくための最低限の教養を学ぶ。

 

学校で学ぶのは、教養と、自分の人生の選択肢を広げるための知識が中心になるのだろうか?

知らず知らずのうちに社会性も学んでいる。

 

私たちの業界でも、国家資格という立派なものを手に入れることができて、

それさえあればある程度の経験を積むと、生きていくことができる。

モチベーションの高い人たちは、外に出て学びに行ったりするし、

生きていければいいという人は、安定がある程度保障されているので、仕事と割り切って働くこともできる。

学び続ける義務があると思っていたけれど、そこは人それぞれだと思う。(とようやく思えるようになった)

 

学び続けた方がいいとは思う。

周りにそういう人がいたら楽しいと思う。

 

先生にも言われた。

ほぼ30代以上の人が集まる勉強会で

「みなさん、若々しいですね!」と。

 

そうなんですよね。みんな年相応に見られないと思います。

私もよくお世辞なのかわからないけど20代後半から30前半に見られます。

そうそう、よく「子供いるの!?」って驚かれます。

3人います!っていうと「3人も!?」って言われます。

「上の子何歳ですか?」って言われ、12歳ですと答えると、みんな驚かれる。笑

 

あんまり生活感が出ていないのでしょうか?笑

 

さてさて、

 

この二日間で学びというものが大きく変わった。

今までは ”患者さんのために” という体の

・自分のプライドを保つために

・自分が恥ずかしくならないようにするために

・知識や技術を学びたい

というものが、どうやらメインだったと気付いた。

 

今回から

自分を成熟させるための学びに変わった。

本当の意味での、自分のための学び。

 

自分のエラーに気づいて、それを認めて

「あー、なんか色々間違ってた」って思えた。

 

いつも、どうやって学んだことを還元しようか。

どうやったら提供できるか。

 

とか考えていた。

このレッスンの意味は?

これをどうやったら相手に提供できるのか。

 

頭で、知識として受け取っていた。

考えることが好きで、

難しく考えすぎちゃって、

複雑に考えすぎちゃって、

迷宮入りしがちで、時間がかかりすぎてしまう。

 

学びの基準が、

他者にあって、

そこから、

もっと学びたいと自分を成長させるため!と思って学び続けていたけど、

結局は他人のためになってしまっていて、

本当の自分のための学びにはなっていなかった。

 

学びは楽しい。というけれど、

それは新たなことを知ることが楽しいと思っていた。

なんか、人より先に行っている気になれる。

 

それももちろん楽しい。

 

二日間のレッスンで、

ガイドに耳を傾けて、

ゆっくり準備して、

そうしたいと思って、

やってみて、

できなくて、

 

結局自分のやってきたこと、学んできたことしかできなくて。

それは自分の生きてきた術であって。

 

結局それに頼るしかなくて、

でも、それではできなくて、

 

力に頼って、それでなんとかしようとして、

でもすぐ疲れるし、痛みを伴うし。

なんとか遂行しようとして、また頑張って。

 

多分、先生方や周りの人はずっと言い続けてくれていたのだと思う。

まぁ、頑固だから。

聞く耳持たなかったから。

それまでの自分には届いていなかったのだと思う。

 

ガイドに素直に耳を傾けてみたら、

求められているものかどうかはわからないけれど、

楽に動けるようになった。

 

やっぱり正しさを求めていたし、

人に提供する以上、間違ったものを提供できないから。

とか思い込んで、必死でやっていた。

まさに死にそうなところまで

 

答えがないことが不安というか

納得いかなかった。

 

でも、答えがない中に答えがあるというか、

自分で答えを出せるところまでは導いてくれていた。

答えまではいかなくとも、何か自分で気づけるところまで、連れて行ってくれていた。

それをそうと受け取っていなかった自分の問題。

 

ようやく自分の中での、本当の学びが始まる。

 

答えが出ないとね。

不安なんだけれど。

答えは自分が持っていて、

自分で導き出した答えは、自分にとっての答えなんだよ。

先生や周りの人は、その答えをもっと豊かに広げてくれるんだな。とも思った。

 

自分の出した答えなんか…。

先生だったら違う答えを持っているのではないか。

 

なんでもお見通し!みたいな先生がいたら、

ついつい的確な答えを見出してくれるんじゃないかと思うし、

自分で答えを出すことをしなくなってしまう。

 

もちろん人に頼るというのも一つの答えではある。

けれど、考えもせずに人に答えを求めるのは

ちょっと違うのかもしれない。

 

かもしれないというのは、

愛嬌があって、「しょうがねーなー」となる人もいるだろうし、

人に教えている時に嬉しそうな人に聞くのは、その人のためになりそう。

 

でも、いろんな先生が言うのは、

答えは自分が知っているということ。

 

一つ一つ丁寧に生きてみて、

改めてゆっくり学んでいこうと思う。

自分のために。

 

知識や技術も大事。

それに加えて、あらゆることを通して、自分自身に気づいていけるようにしたいな。