俺は、古道具屋で麻雀卓を何台か見繕って麻雀牌も卓の数だけ揃えた。





高校の頃から麻雀が好きだったから
雀荘を経営してみようと思ったのだ。





届けを出して、いざ開店。





21歳になったばかりの夏だった。
大工を始めて一年、
ようやく仕事のコツも掴めてきた。





「大治、筋がいいな」





当たり前だのクラッカーよ。



出先が器用な俺にカンナを持たせれば誰が触ってもすべすべな角材ができたし、





ノミと木槌を持たせればがっちりと外れない「だぼ」を作ることができた。

木と木自体に凹凸をつけてがっちりと固定する製法だ。





そうまるで男と女が繋がる時のように。

余談だが、凸の方の木材は男木(おぎ)凹の木材は女木という。




そしてある日のこと。






ひとつ、余分な建物が出来た。

建主さんが、やはりこれは必要ないと申し出て譲ってくれたものだった。


これを使って、何か一発当てられないかな?





若さ故のうずうずした企みで胸が一杯になる。






気がつけば、俺は古道具屋へ走っていた。

俺が鑑別所から出た後


俺の居場所はなかった。





当然新聞屋はクビ


カフェーでも嫌な顔をされ、


故郷の港町に帰るしか

道はなかった。





そのころの俺は、

よくサイモン&ガーハンクルの

「コンドルは飛んでゆく」

を聞いては自由になった気がしていた。





毎日ぼーっとしている俺に

秀夫兄貴が問いかける。





「なあ大治、俺んとこの会社で大工をやらねえか」




物を作ったり

絵画を描いたりするのが

好きだった俺



やってみようか





20歳の秋、俺は大工になった。