MAN OF PLENTY
Amebaでブログを始めよう!

その27 歩いてねぇ~

さぁ、いってみようか。


今日は、昨日寝たのが3時くらいだったので、歩きませんでした。


寝不足、注意!!


という訳で、今日の食事

<約束>

①食事制限

 ア)今日食べた食事

  朝:ミックスサンド、おにぎり

  昼:またーりで豚のしょうが焼き(ご飯おかわり)

  夜:ツナサラダ、イカ焼き(オムレツ葱のせ)、ベーコンエッグバーガー、梅おにぎり


って、今日は食べ過ぎた。ルールを、ルールを守れよ。


ジムも今週からかな。


俺って全部受け身ね。



その26 再開、そして・・・

さぁ、いってみようか。


約2年ぶりのブログ。


さぼったなぁ~。っ


て特に書こうとは思ってなかったが。


ダイエットってやつを本気で始めようかと考えてる。


だって体重めっちゃ増えてんもん。


なんってったって、



135kg!!(30kg増)



これから、地道に頑張るぞ!!


クリスマスには、もとの身体(105kg)に!


そして、プリップリッの彼女を。


そんなんでブログでも書いて自分を管理しようかなって。



決めた!

①食事制限

②運動


<約束>

①食事制限

 ア)今日食べた食事を書こう

 イ)明日は、船木の本を持って帰って来て作戦を練ろう

②運動

 ア)月、水、金 ⇒ 朝サウナスーツを着て30分歩こう!

 イ)火、木、土 ⇒ ジム行こう!


じゃあ、今日は初日だし、そんなリキいれずに。


<約束>

①食事制限

 ア)今日食べた食事

   朝:ワカメおにぎり、テリヤキパン

   昼:焼きそば、半チャーハン

   夜:明太子サラダスパ、焼カレーパン、シーチキンマヨネーズおにぎり、ジャンボフランク



明日は、30分歩行で5:30起きだ。続くかな。



その25 一日一日が楽しい!

さぁ、いってみようか。


第4章 その後


目を覚ますと病室で、


『たなかさぁ~ん』って看護婦さんの声が聞こえた。


白い天井にベッドをしきる薄いグリーンのレースの中にいて、


母がいて、父がいて、妹がいた。


でも、少しまだぼやけた感じ。


仰向けに寝ていて、よくテレビで見る呼吸器をしていた。


『しゅるしゅるしゅるしゅるしゅる・・・』呼吸器が動いていた。


気づくと身体には尿の管。背中には傷口から伸びるドレインの。傷口には厚いガーゼみたいのがあって少し寝ずらかった。



ただその時の俺にはその管一本一本が何のために付いているのか、そして手術はどうなったのかさえも


ぼえけていた頭で考える事が出来ずに説明する看護婦さんを夢見心地で質問攻めにしていた。




・・・どうやら手術は成功したらしい。




切除したモノを持って先生がベッドにやってきて、250ccくらいの瓶を片手に手術の説明をしてくれた。


背中を切って、脂肪を切って、筋肉をよけて、神経を左に寄せて、悪さをしていた袋にメスを入れたら中から、


水みたいのが出てきて、今度はそれを右によせて切り落としたらしい。


でも、まだどこか夢見心地。


父が山梨へ帰り、妹も母も帰っていって、残り4日間はベッドの上で絶対安静な俺は、寝返りさえも禁止されていた。


看護婦さんが2時間おきくらいにやってきて、身体の下に敷いたバスタオルを持って俺の身体の向きを変える。


左を向いていたのを右へ。右を向いていたのを左へ。だから・・・寝れねぇ~って。


次の日は、朝おかゆが出た。でも、寝た状態から肘さえも付く事が許されていない俺はスプーンで目の前にご飯を置いてもらって食べた。食った気しねぇ~けど。


尿は勝手に管から出る。ただ困った事に快便な俺は「お通じ」が一番しんどかった。


意識するとしたくなる。意識しないようにしよう。。。


まだあと3日ある。


まだあと2日ある。


まだあと1日ある。


本当にベッドから起き上がり自分で歩く日を待ちわびた。この4日間がめっちゃ長かった。


2日後には背中のドレインの管が取れた。


「今日から寝返りうっていいですよ。」


なんか少しでも開放された気分で少し嬉しかった。


でも、「お通じ」ってやつは2日後から俺を苦しめた。


もう今行けって言われても、行ってする自身はある。


そんなにご飯を食べていないはずなのに。


3日後の夜。


『もう~嫌だ!こんな苦しみは!』


病室のみなが寝静まった夜中の3時くらいにナースコールを満を持して押した。


看護婦さんが懐中電灯を持ってやってきた。


お通じ」であることをつげ、準備をしてもらった。


手術後から俺はおむつをしていた。


28才でおむつ。


いくら病人だからと言って、頭は元気なんだよ。


そんなおむつにするなんて、いくらプライドのない俺でもこればっかりは出来なかった。


だってほら、びちゃびちゃびちゃって。あぁ~考えただけでもそんなの俺の頭が許さない。


背中の管が抜けて、簡易便器を差し込んだとしても邪魔にならないことを知って、この瞬間を待っていた。


・・・・


・・・・


・・・・


ふぅ~~~~。


人にお尻を拭いてもらうのなんて人生で初だ!


看護婦さん、あなたのジャガー横田ちっくな、全女の練習生みたいな顔は忘れないよ。



手術が木曜日で、4日明けた月曜の朝の回診で、尿の管を取り、


先生たちや看護婦さんに囲まれる中、コルセットを付け、鉄のパイプで出来た歩行器を持って、立ち上がった。


周りからはなんか意味不明な拍手。


でも、ものすごく目がくらくらした。足に、足の筋肉に力が入らない。


一番初めにやるのはもちろん!


お通じ」。


トイレの中まで歩行器で突き進み、便器に座り、ズボンを脱がし、あ、これでやっと誰にも迷惑をかけずに出せる!


・・・・


・・・・


ふぅ~~~~~。


快感。


でも、勢い良く出しすぎたせいか、少しキレた。(数日間、これに悩ませられる。そして、穴をあまり開けずにする方法も身につける)


それからは朝1時間のリハビリと少しでも多く歩くように言われ、3日後には歩行器がはずれ、自分だけで歩けるようになった。


腰を曲げる事も出来なかった俺は、自動販売機さえもしんどかった。


お金をいれ、モノを取り出そうとしても腰が曲がらずに膝に手をつき、それも駄目で椅子を持ってきて、取り出し口のところにセットしてジュースを取る。


こんな日々が数日続き、確かに手術前の腰から足の先まで一気に走る痛みもなく、回復へ向かったいった。


こじさんや貢ちゃんや会社の同期もお見舞いに来てくれ、やっと元気な姿を見せることができた。


そろそろ手術から2週間が経とうとしていた。


傷口も綺麗だったらしく、2日早く抜糸をした。


すごく身体が楽になったのを覚えている。


病院食に飽きてきて、早く退院がしたかった。


先生からはもう1週間くらい入院するかとか言われたけど、はっきり断った。



もう家に帰りたい!



退院の日はあっさりやってきた。


何事もなかったかのように起きてリハビリを終わらせ、11時くらいに出れるように荷物をまとめ、


あぁぁ~~~、やっとこの長かった生活からも開放されると思うと嬉しくなった。


荷物を持ち、ナースセンターへ挨拶をして、エレベーターをおり、残りの入院費を払い、自動ドアをとおり、外へ出る。


晴れていた。


すぐにタクシーに乗り、西荻駅へ向かってもらった。


入院していた頃から決めていた事があって、


退院したまっさきに美味しいモノを食べようって。


荷物をアパートへ置き、身軽になって駅に向かい。


南口のラーメン屋に入った。


ねぎラーメン、

餃子、

チャーシューご飯、

瓶ビール。


ビールをグラスにあけ、まず一杯。うまっ!餃子を一口、うまっ!!そして、餃子が口の中に残った状態でビールで流し込む。うまっ!!!


そしてラーメン。


こってりとしたスープで少しもたれたけど、この不健康さが健康であることを実感した。


まさか、元気になってこうやってラーメンをまた食べれるなんて2週間前には思いもしなかった。


家に帰って、


何日かぶりのオ○○ー、


何日かぶりの熱スタ、


何日かぶりのmixi、


少しベッド横になっても、痛くない!前なんか仰向けにだってなれなかったのに。。。


数日はアパートで過ごし、母と父が迎えに来て、実家に監禁された。


MRIを2週間後に取る約束で、退院したからそれを取るためにまた東京にやってきて、実家には10日くらいいたかな。


MRIを見ながら、久しぶり先生との再会もあり、「問題なさそうだね」と言われ少し安心した。


でも、手術前と手術後では明らかにそれが分かった。


神経の通り道を8割くらい占めていた手術前と、


神経の通り道全てに神経が通っている手術後では、


素人の俺でも「こりゃ、痛い訳だ」って思った。


それからは実家に変える予定であったが、実家に帰るのが嫌だったので、


1週間会社に行くのを早く言って、実家には帰らなかった。


手術から1ヶ月半後に会社復活。


俺を会社は迎えてくれるのか。


ドア越しに初対面した所長からは残り1週間、前日と連絡が来て、無事を伝え、復帰日を言った。


会社への復帰の日はほぼ3ヶ月ぶりにスーツを着て、腰にコルセットを巻き、


3ヶ月ぶりに電車に乗り、会社の前まで来た。


出たー!久しぶりだぁ~~~。


6Fに上がって、会社の扉のパスにカードを当てる。


「ピッ!」


お、開いた。


扉を開け、「おはようございますぅ~~~!!」


皆がこちらに顔を向け、びっくりする人もいれば、やっと来やがったかって顔する人もいた。


自分のセンターまでいくと知ってる顔と知らない顔がいたけど、皆が迎えてくれていた。


「久しぶりだなぁ~」、「元気だったか」、「痩せてないなぁ~」、「これから頼むぞ」って言ってもらえて、


以前自分の席だったところには新人さんらしい人が座っていた。


朝の朝礼であいさつをする事が前日から分かっていたが、何も考えておらず、その時思ったことをいったが、


緊張しいぃの俺は、初めは笑いも取れて、好調だったが最後はかなり噛み倒してあいさつを終えた。


その日は何も仕事がなく、メールの設定や期限が切れたパスワードの設定に1日を使い、電話なんかも久しぶりだったけど、出たりした。


その日はいきなり第1回歓迎会が開かれて、3時間くらい掘りごたつのある飲み屋で呑んだ。


先週、朝2時間くらい時間をもらい、病院に行った。


レントゲンを撮り、どうやらなんとか無事らしいのでコルセットが外れた。ただいきなり外すのは怖いので、


通勤の時はして、仕事の時は外す、って感じですこしずつしてる時間を減らしていくことにした。


キャバクラにも2セットいけるようになったし、友達の家にも泊まったりも出来るようになった。


痛みは無いものの腰の骨と骨の間は狭く、あまり無理しないようにと先生からも言われている。



もうラグビーは無理だろうな。



でも、


こうやって、座ってPCが叩けているし、


座って何時間もいれるし、


寝返りも楽にできるし、


すんなりと立つ事だってできる、


これが普通と言えば、普通。


でも、あんな時間を過ごした俺にとってはなんかまだ不思議な感じがする。


健康っていいな!


立って座って歩いて、また座って。


こんなごくごく日常的なフッツゥーなことにさえ感動を覚える今日この頃。


俺はなんとか元気になった。


あの少し動いただけでもお尻から足の先まで走る痛みから解放された。


あの3ヶ月の苦しみをいつか笑い話にできるよって本部長の言葉がすごく懐かしい。


それが今だ!


3ヶ月の出遅れを取り戻し、並び、越す!




一日一日が楽しい!




その24 造影剤と麻酔

さぁ、いってみようか。


第3章 手術


5月7日 母が実家からやってきた。

明日から入院である。


体調は芳しくない。

腰から足への痛みは相変わらずで、少し動いただけで痛みが走る。


母が来る前に自分で出来るだけ準備はしておこうと、

入院に必要な物をそろえるのだが、痛みのせいで少しもはかどらない。


入院に必要な物

・バスタオル 3~4枚

・タオル 2~3枚

・T字帯 2枚

・パジャマ

・下着

・ストローカップ

・履物


暇潰しの物

・DS

・i-Pod

・携帯電話

・雑誌


まぁ~こんな感じで病院から貰っていたしおりに従い、準備を済ませる。


7日は母親が夕飯を作ってくれ、明日に備えた。


朝7時くらいに起きて、9時前には病院に着くように準備を済ませる。


病院に着くと、整形外科の病室がある3階へ案内される。

病室に案内される前に身長と体重を測った。


身長 182.5センチ(縮んだなぁ~)

体重 106キロ(まぁこんなもんか)


病室はナースステーションから一番離れたところで奥に長い長方形の病室。

ベッドは、俺のも含めて7つくらいだったか。


入ってすぐの正面が俺のベッドだった。

ベッドの左横にはテレビ台と荷物入れを合体させた木製の棚がある。


ナースコールもあった。まじまじと初めてしっかり見た。

ボタンのところに看護婦さんの顔がかたちどってあった。


荷物を左にある木製の棚にしまい、ベッドに座って寝てみたりもした。

看護婦さんがやってきて、入院の説明をしてくれた。かわいかった。うそ。


午後からは造影剤の検査があったので、検査の説明もしてくれた。


今回の俺の身体は神経の通り道に椎間板にくっ付いている水分が入った袋があって、それが神経を圧迫しているから、前述した痛みが走るらしい。


造影剤の検査」は、簡単に説明すると、体内の詳しく見たいところをより鮮明にCT映像に写す為の検査。

その時点ではまだ袋らしきってくらいの認識なので圧迫している部分がどのようになっているかを確認するらしい。


で、造影剤を詳しく見たい部分へ注入しなくてはならない。

そのために、背中に麻酔を打ち、25センチもの針を背中から袋めがけて、指さなくてはならない。


病院での最初の食事(昼食)が終わり、午後になると検査担当の看護婦さんがベッドまで来た。

車椅子に乗せられ、地下1階の検査室に連れてかれた。


検査室には、今まで診察をしてくれた先生が待っていた。


検査室には、見たこともない、いやテレビで見たことのあるでっかい検査機が俺を圧迫するかのようにあった。

あれ、なんつう機械やろか。


台みたいのが縦に立っている状態で、自分がそれに縁に背中を台に付けて立つと、

台の中心で回転し始める。


ブイーン


すると今度は台が90度回転してベッドのようになった。俺はちょうどそれに寝ている感じ。

(うううわ。こわっ。)


ズボンを少しめくり、上着をめくって左を向く。

背中に先生が立つようになり、背中に麻酔をまず打つ。


それからはいつの間にか背中の感覚はなく、気づいたら25センチもの注射針はすでに背中に刺さっていた。

頭の所にあるモニターで確認出来た。これにはびっくりした。


針は刺したまま、注射本体をはずし、造影剤を入れる用のコネクターに取り付け変える。

それからまず何ccか造影剤を注入。


検査室には、もう一人先生がいて、その人はガラス張りの別室で別のモニターをCT画像を見ている。

その人と話しながら、また造影剤を注入。


でも、まだ写ってはないらしい。

で、別角度から見るために姿勢を変えると・・・


突然下半身が重たいような感覚があり、ぐーっと下半身の方から押されるような感じ。

いきなり、超激痛が下半身に走った。


「うううううううーーー!!!!」


マジ半端なかった。人生で最強の痛み。

なんかこう息が詰まるような痛み。どの体勢にしても痛みが消えない。


でも、CT画像には造影剤が注入された事が確認された。

あとで分かるが、体制を変えた事で造影剤が袋に流れ込んだらしい。


それからはもう何をしても痛い。肩に筋肉注射をしても痛みは取れず、

しょうがないのでそのまま検査を続行!(鬼だと思ったね。うん)


ローラー台みたいのが来て、今度はCT写真を撮影する所に連れてかれる。

でも、検査の台から、移動の為のローラー台に写れない。


大人3人くらいで無理やり台に移され、撮影室に移動し、今度はまた撮影の為の台に移される。

そこでも痛みは引かず、うめきながら撮影をしていた。


撮影が終わり、今度は病室に変える為の台に移され、病室に戻った。

もう下半身が取れてしまうくらいの痛み。もうこんな下半身いらんわぁ~って思った。


病室に戻っても、痛みは取れず、痛み止めの点滴をした。

1時間くらいうなっていたが、そのまま寝てしまった。


起きたら少し痛みが引いていて、先生が来て、検査の説明をしてくれた。


検査結果は、やはり袋が神経を圧迫している。それは椎間板から管みたいのと繋がっているらしい。

で、あの痛みは袋に造影剤を注入することで圧が上がり、神経を今まで以上に圧迫したからだと言っていた。


「手術よりも痛かったと思いますよ(笑)」


笑い事じゃねぇ~、俺は死ぬかと思ったんだ。くっそぉぉぉ~~~。

で、やっぱりそれを手術で摘出しなくてはならないらしい。


手術の説明もしてくれた。

手術の名称は「LOVE法」!


おおおおぉ~、何てせそうな名前。成功しそうな名前。


今回の手術は、袋を摘出。椎間板を摘出する一般的なヘルニアの手術と違って、内視鏡では出来ないらしい。

背中の背骨の3番目と4番目の骨の所を10センチくらい切り、筋肉をよけて、神経をよけて袋を摘出する手術するらしい。


また俺の背中の肉の関係で普通の人よりも倍くらいの10センチ切るらしい。


手術当日は朝食は出来ないのはおろか、またまた人生初の浣腸をした。

横になり、パンツを少し下ろし、看護婦さんにしてもらった。(ドエスの俺にとってはこの上ない屈辱・・・うぐぐぐ)


なんかその看護婦さん、浣腸がめっちゃ旨かった。スーっと流れ込み、途端にもよおした。。。

足の痛みを忘れて、ダッシュでトイレに駆け込んだ(笑)。


でも、その夜は良く眠れた。手術の前日だからって、そんな緊張はもともとするほうではなかったから。



チュンチュン、チュン。


6時くらいには起きた。爽快!外は快晴!


初めて自分の身体にメスを入れる不安と

あー、これでやっとこの痛みともおさらばという期待が交錯していた。


朝ごはんは食べれないので、隣のにおいを我慢してると母が来た。

例のT字帯(要はふんどしである)を装着し、用意されていた手術着に着替えた。


麻酔を注入する為の注射針を看護婦さんに刺してもらい。9時からの手術に備える。

時間になり、病室のベッドのまま手術室のある2階へと連れてかれた。


母親の「頑張っておいで」の声を聞きながら、オペ室に入った。

中には診察をずっとしてくれていた主治医としてオペ着に着替えて待っていた。


せ「たなかさん、まぁ起きたら病室ですか。安心してくださいね」


た「はい。よろしくお願いします。」


頭の方から助手みたいな人が挨拶をしてきた。

確か名前を言っていたが、忘れた。


続いて麻酔の先生が超デカイ注射器を二本持って挨拶をしてきた。

麻・せ「じゃあ、麻酔しますね~。がんばりましょうね!」


麻酔初めて。今まである状態だと打ったらうとうとし始め、眠くなりぼんやりしてきて寝てしまうってイメージだったが、

実際は打った瞬間。


「がっくっーん」


って見えるものが二重になって、麻酔の先生の顔が二つに見えた。

こんなに強力なのかよ!って思った。うわぁ~すっげぇ~!


でも、その打った瞬間!


気づくともう病室だった。


もう11時半くらいだった。


麻酔すっげぇぇ~~~!

その23 水らしき水分が入った袋

さぁいってみよう!


第2章 入院


タクシーが止まって、会社の先輩の知り合いの整形外科に到着した。

14:30頃の到着。午後の診療は15:00だった。


でも、今の俺はそんなこと言ってられない。

だって、痛かってん!!


立ってる状態だと必ずどちらかの足にお尻からつま先までに「ビッキィー」って走る痛みがある。

それはもう足が地面には付いては置けない状態。


足が付いていられないので、それをかばうように反対側の足に体重を乗せる。

それで腰はどちらかに傾き、それを上半身でバランスを取ろうとして、また上半身が傾く。


その時の俺の身体の姿勢は、傾いていた。


それは、もう立っているのが、やっと。

いや、もう立ってられなかった。


病院に入るとさっそく診療時間ではないのだが、立ってられないことを伝えると奥のベッドまで通してくれた。

そこに寝て、すぐにレントゲンと取ってもらった。


それもかなり大変だったのを憶えている。

寝たり、立ち上がったり、歩いたりがこんなにも大変なことだと思った。


寝てても痛かった。


右を向くように寝て、足は少し曲げる。

これがこのときは一番楽な姿勢であったが、この状態でもズキズキと痛みが走っている。


しばらくしているとレントゲン写真を持った先生が来て、

症状と病状をみるなり、「ブロック注射」打つ準備をしてくれた。


ブロック注射」とは、普通の人は神経が痛みを捕らえて、それを電気信号によって脳に伝え、

脳がその部分を痛いと認識するようになってくれる。


で、その注射は神経の電気信号が脳に行くのをブロックしてくれる。

俺のようなヘルニアと思われる患者へする処置法である。


うつ伏せになり、ズボンとパンツを少し下げた。

そして、お尻のしっぽの生えていた骨のやや上側に注射を打った。


これが痛いのもあるが、なんかこう息が出来ないというか、

背中の皮と骨の間に空気が入るような感覚だった。


普通の人はこれが20~30分もすれば効くのだが、僕は効かなかった。

そのあと座薬も打った。


人生は初の座薬


看護婦さんは普通に入れようとしていたが、俺は生まれてこのかた、

他人にはおろか、自分でさえもお尻の穴に「ナニカ」を入れたことがなかった。


そこは少し恥ずかしい部分であるので、入れて貰う事を断って、

自分で入れた。


数日後にMRIを取る予約も先生がしてくれた。

その病院では設備がない為、違う病院を紹介して貰った。


ブロック注射や座薬も大して効かずに、

診察時間が終わるまでベッドに寝ていた。


その日からは家で絶対安静。

会社へはとりあえずMRIを取らなくてはならないとことその後に診察を受けなくてはならないとこを伝えた。


数日後にMRIを取りに行った。

時間が立ってはいたが、痛みは引かず、相変わらずタクシーでの移動の時は、仰向けに寝ていた。


その病院はMRIは地下にあり、用意されていた着衣に着替え、MRIに案内された。

中に入ると耳栓を渡され、それを奥までおもいっきりつっこんだ。


「音うるさいですからね。耳栓ちゃんとしてくださいね。大体20分くらいですので」


MRIの機材のベッドに寝かされると先生が出て行った。

この耳栓はずれたら、どうしようと少し不安だった。


ベッドが動き出し、ドーナツを起こしたような機会の中に身体が入っていく。

上の壁はすぐ顔を近くにせまっており、ものすごく閉鎖感を感じた。


「カンカンカン」

「ブゥゥー、ビィィー」


MRIはこんな音がする。

身体がビリビリ振動が伝わる。


MRIが終わるとその帰りには会計と一緒に写真を持たせてくれた。

そして、その足で先輩の知り合いの整形外科へ向かった。


病院に着いて、名前が呼ばれ、診察室に入る。


先生はMRIの写真を電気が付いたボードに貼っていて、


せ「たなかさん、これはもう手術ですね


た「あぁぁ~~~、やっぱりですか」


せ「うん、これ分かりますか。この部分が神経を圧迫してるんです。」


先生が指す写真には身体を横から輪切りにした写真。

神経が白く写るのに対して、白い神経の通り道に黒くなった椎間板が飛び出ているのが分かった。


それは神経の通り道の8割くらいが黒い椎間板で占められていた。


せ「これは痛い訳ですよ。もう薬とリハビリではコントロールできませんね。手術でしか回復は望めませんね」


た「絶対ですか!?」


せ「うん。おそらく。ただここでは手術できないから、僕の知り合いの頚椎の専門の先生がいる病院を紹介します。」


先生は紹介状とMRIの入ったビニール袋を渡してくれた。


会社へはその話をした。

「たなかくん、もう仕事のことは良いから、治療に専念してくれよ」


その言葉が嬉しかった。

ただでさえ忙しい状況なのに、会社への負担が大きくなるのに。


数日後に紹介状とMRIの写真を持って、その頚椎専門の先生がいる病院へ行った。


名前が呼ばれ、診察室に入る。

ちょっと肌が焼けていて、ちょっと髪が茶色に染まった40くらいの先生が座っていた。


た「初めまして。よろしくお願いします」


せ「初めまして。座ってください。で、MRI見させて貰いました。」


た「やっぱり手術でしょうか」


せ「う~ん。これ見てくさい。」


先生はMRIの前回見た写真のさらにアップにした写真を指した。


せ「椎間板は黒く写るんだ。ここまで椎間板ね。でもさこの先。少しグレーというか白なんだよね」


せ「おそらく。このグレーの部分は水か血とかじゃないかな。

  椎間板のところに袋が出来て、水分が溜まってるんじゃないかな。」


た「じゃあ、手術はしなくても・・・」


せ「そうだね。今の段階ですぐ手術って訳じゃないかな。少し様子を見ましょう」


た「あ、そうですか。分かりました。」


せ「で、2週間後くらいにまたきて下さい。その前にMRIを取って2週間後の症状を見ましょう。

  それまでは家で安静にしてて下さい」


少し安心した。


た「なんか手術しなくても大丈夫そうです。」

と会社に伝え、2週間は安静と伝え、会社はとりあえず有給休暇を使って休むことにした。



ただ、2週間たっても身体の具合は良くならなかった。

足の痺れは常にあり、寝起きは1時間くらいしないとベッドから立てないような状態だった。


MRIを取り、診察を受けた。


せ「たなかさん、吸収されると思っていた水なんかの水分は残ったままで、病状は変わってないですね。

  まだ神経を水分が入った袋が圧迫してますね」


た「はい。症状も2週間前からあまり変わってないです。」


せ「う~ん。これは手術でこの袋を切除するしかないですね


た「やっぱり。そうですか。。。(落ち込む)」



会社へは、2ヶ月の特別休暇届を出した。



入院は、5月8日。


手術は、5月10日。

その22 ヘルニアだっつぅーの

さぁいってみよう。


大分あいた。

ブログの更新。


マジでさぼりすぎ。だって、・・・メンドクサカッテン!




ヘルニアの手術をした!!




お父さん、お母さん、あなたたちに貰った大事な身体に傷を付けてしまいました。ごめん。ぐすん。

産まれてからこのかた骨折はおろかピアスの穴さえも空けた事のないこの俺が、手術ときたもんだ。



少し時間があいたが振り返ってみよう。



という事で、今回の手術を4部構成にして振り返ってみよう。(そーしようー)。


『ヘルニアと僕(仮)』(幻冬舎出版(予定&未定))

第1章 発病

第2章 入院

第3章 手術

第4章 その後



第1章 発病


ラグビーを始めて今年で11周年(2007年で)。


ラグビーはとっても腰に悪い、いや怪我が特に多いスポーツで。その中で腰に負担がかかるスポーツである。

やれ、スクラムだの、やれ、タックルだの、やれ、オーバーだの。

ラグビーを始めて最初に習うスクラム姿勢をサボると全ての力が腰にかかると言っても過言ではない。


そんな中でも、俺は怪我はほとんどしたことがない。高校時代も大学時代も怪我で試合や練習を休んだことは無い。

フル出場を続けて来た。うふっ。


一番酷かったのが、2000年の腰痛である。これがそれまでは一番しんどかった。今思えば腰痛で。ヘルニアじゃなかった。

それでも試合には出場していた。それでも試合が終われば、座ってご飯も食べれないくらい腰が痛い。

しかし、オフの間に「腰痛体操」のおかげで2~3ヶ月でほぼ完治した。



で、発病の話。


前述したように06年03月に仕事を辞め、06年11月に転職が決まって、

それまではお休みしていたクラブチームへ転職が決まってから、参加し始めた。


でも、参加していたのは2週間に1回くらい。


12月の2週目くらいの練習だったか、その日も普通に練習に参加していた。

その練習中にタックル練習があった。


ディフェンスが一列に並び、オフェンスがそこに縦に攻めてくる練習。

僕はそのディフェンスの列に並んでいた。


一つ一つオフェンスがディフェンスをクリアしていき、次は僕の番。

ボールを持って向かって来たのは、170センチくらいで、100キロくらいの通称「MURASAN」。


この先輩は、ごらんの体系なのにバック転が出来たり、足が速かったり、類まれな運動神経の持ち主。

もちろん重さもしっかりある。


「MURASAN」が突っ込んでくる。

僕はタックルをする。


「ビッキィィー!!」


なんか「MURASAN」が当たった瞬間、こんな音がした気がした。

痛みというか腰の違和感。というやっぱり痛み。


上半身と下半身が一瞬「ズレータ!」って感じだった。

あんなのは初めてだった。少し息も止まった気がする。


「MURASAN」は相変わらず強かった。

てか、俺が弱かった。てか、しょぼかった。


前述したように最初に習うスクラム姿勢が高く、

膝を低く落としてなくて、高い姿勢のまま、タックル。


これによって、腰が曲がったまま、タックル。

曲がっていると相手の力が全て腰に集中する。


たぶんこれが第1の発祥の原因だと思う。



(ここからスピードアップ)



年明けまでは、その後遺症は現れなかった。元気いっぱいに年末の「笑ってはいけない警察24時」を笑って見ていた。

でも年が明けた1月の半ばくらい。


まず気づいたのは、呑みに行った時の帰りに腰はおろか、足の痺れがあって、

逃げるように家に帰って来たのを覚えている。


あんな痛みは初めてだった。


腰が痛い訳ではなく、お尻から足の先まで一気に走る痛み。

寝ていても痛い。


正直、なんじゃこの痛みは!ってまさか、これがヘルニアの痛みとは知らずにいた。

あとになって知ったのだが、下半身に痛みが走るのがヘルニア。所謂、坐骨神経痛。


とは言え、仕事をするのには支障は無かった。

少し気にはなっていたが、休むほどではかなった。


でも、人間は欲をかく動物である。

さらに良くなりたいとも思うのも人間である。


会社の人に聞いて、知り合いの整体を紹介してもらった。

そこへは何回か通ったが、少し良くなってもいた。


そこは少し独自のマッサージをした後、

骨を「ゴキッ」っと鳴らすようなメニューがある。


おそらくそれがマズかった。 ・・・気がする。


3月12日月曜日。奇しくも両親の結婚記念日。

ヘルシオをプレゼントした僕は、その日はかなりの痛みがあり定時で逃げるように帰ってきていた。


母からの「ありがとう」の電話を痛みに耐えながら、寝ながら聞いた。


そして、3月14日。無理して会社へ行った。

しかし、電話中に身体を動かした時に痛みがマックスになった。


もはや椅子にも座ってられなかった。

部長にお願いして、休憩室の鍵を借りて、午前中のうちは休んだ。


休憩室はベッドが一つあって、そこに寝ようと思うのだが、

下半身が痛くて、膝も曲げられない。


しかもベッドが柔らくて、腰が安定しなそうなので、腰が安定する床に寝た。

寝る時も、まず手をついて腰を下ろす、それからゆっくり手を曲げていって横になる。


それから仰向けになる。

でも、痛みがひかない。


午後を回るころ、部長と課長が休憩室に来た。

「おい、もういいから帰って病院へ行け!」


「いやでも・・・」

「いいから、タクシーで知り合いの整形外科が荻窪にあるからそこへいけ」


「わかりました」


その時は起き上がることはおろか、歩くこともまともに出来ないくらいだった。

足が地面につけずに、びっこをひきながらやっとこさ、帰る準備をして、会社の前でタクシーを拾った。


タクシーも座っていれないので、後部座席に仰向けになった。

新橋から荻窪の病院へ向かった。


仰向けの姿勢のまま、空をずっと見ていた。

その21 さんまを食べた(あかんやん) M・S☆(1/30)

よし、いくぞ!


みらくぅ~るぅ・シェイプ☆

今日は、12:10に起きた。

昨日はバイト。Zeeleでバイト。7時までバイト。

あぁぁ~しんどぉ~!!いいかげんにしてくれ!!



で、今日の昼食。いきなり約束事①~③を破った。うううううううぅぅぅぅ。


今日の昼食。

海鮮中華丼(398円)

チキンのタツタ揚げ(150円)

さんまの塩焼き(300円)

豆腐サラダ(100円)


井荻まで走ってねぇ~!!

筋トレしてねぇ~!!

ダイエットの自覚ねぇ~!!


そのな初日!

まぁ~、ストレスが溜まらないくらいにがんばるさ!!

そんな1/30の日だった。

その20 みらくぅ~るぅ・シェイプ☆

よし、いぐ(東北弁)!!


みらくぅ~るぅ・シェイプ☆題字はこれに決定!)


詳細を詰めてみる。


目標①:スーツの似合うボディー作り

目標②:ラグビーの出来るボディー作り


約束事①:毎日の食事記録を残す。

約束事②:毎日の運動記録を残す。

約束事③:毎日の体の画像を残す。


活動期間:10月20日 ~ 11月18日 (30日間)


約束事①について

まずは、朝、昼、晩の三食の食事画像を残すことにする。それから、飲み会には極力行かない。

そして、メニューの指定。

指定①(10月中(入社前))

朝:ごはん0.5合、玉子1個もしくは納豆。

昼:ごはん0.5合、シーチキン1缶、レタス50g、豆腐1丁

晩:プロテイン、オレンジジュース


指定②(11月中(入社後))

朝:ごはん0.5合、玉子1個もしくは納豆。

昼:会社の近くの定食屋

晩:プロテイン、オレンジジュース


※炭水化物、脂肪、糖分は極力控える。


約束事②について

まずは、その日の運動記録を残す。週3回走る。


指定①(10月中(入社前))

・毎日、井荻駅まで走る。

・2日1回筋トレ。


筋トレメニュー

①腕:50回(左右;10kg)

②肩:50回(左右;10kg)

③胸:50回(10kg)

④腹筋:50回


指定②(11月中(入社後))

・週3回(月、水、木)、井荻駅まで走る。

・日曜日、すーぱぁ~マン。


てな、感じでいこうと思う。なんか過酷過ぎて、ネを上げそうぅ~~~。

でも、30日だから頑張ろう!!

その19 ミラクル☆シェイプ

よし!いってみる(頑な!)!!


就職活動が一応落ち着いた。(どぉ~なるかと思ったが・・・うんうん、よく頑張った、俺!「初めて、自分を褒めてあげたいと思います(マラソン選手有森選手より))


これからの仕事は毎日スーツ!スイーツではなくて、スーツ!!

ここで、考える。

やっぱり、バチッとスーツを着こなしたい。頭もボーズだし。普通にしててもカッコつかないし、やっぱスーツをカッコ良く着こなしたいっす!うっす(涙)!!


mixiでよく寄らしてもらっている人も新しくブログを立ち上げ、ダイエット日記を書くらしい。


よし、そうだ!俺もヤろ!!!!


という訳で、


今日からミラクル☆シェイプを実行する!!


ミラクル☆シェイプ

目標①:スーツの似合うボディー作り

目標②:ラグビーの出来るボディー作り


約束事①:毎日の食事記録を残す。

約束事②:毎日の運動記録を残す。

約束事③:毎日の体の画像を残す。


まずは、始めるに当たり、

我がボディーをここに示したいと思っている。

身長:184cm

体重:105kg

胸囲:110cm

胴囲:107.5cm


正面写真


横写真

よし!!今日から頑張ります!!!

詳細は後日!!

その18 条件説明

よっしゃ~、次いってみようかぁ~!!


昨日(10月10日)、内定条件説明ということで会社に行って来た。


待ち合わせ時間は14:00。場所は錦糸町。


(場所で保険会社といえばで、なんか会社名がバレそうではあるが・・・)



会社に行く時は、30分前に着くように時間を設定し、


電車を乗る15分前に家を出る。


家を出る1時間前には起きるようにしている。



とまあぁ、その日は内定が出た後なのでものすごくリラックスした気持ちで会社に向かった。


いつものように錦糸町に到着するといつものロッテリアでアイスコーヒーを飲み、13:40過ぎには店を出て、


会社で受付を済ます。


人事のある階へ上がり、1次面接と同じ会議室へ通される。


そこへ人事担当部長ポッキーがやってくる。


ポッキーは用紙を2枚ひろげて、話をし始める。


ようは、条件であるお金、休み、昇給システム、勤務地を説明してくれる。


外資系という事もあり、昇給システムはポイント制を採用しており、


長く勤めたからって給料が多くもらえるようにはなっていなかった。


ようは、結果を出したもんがちのシステム。


やったらやった分だけ返って来るシステム。


何個か質問をして帰ってきた。


不安は一つ。


勤務地である。


まだ全く分からないらしい。


とは言え、東京、神奈川、大阪、名古屋、福岡なんかの大きい都市だったら良いが、


どうするよ!めっちゃ何も無い所に飛ばされたら!


不安だ!不安だ!