遺留分の帰属及びその割合(民1028)

 

 遺留分とは、遺産を留保させる割合で、遺言による財産処分権を制約する相続人に与えられた権利です。

 旧民法の家督相続時代から遺留分制度はありましたが、新民法になっても制度はそのまま残りました。

もともとは戸主の勝手な家産の産出を防止する目的でしたが、新民法では相続人の平等を保障するというように目的がしれっと、すり替わっている。

 遺留分の計算は少しだけ複雑ですが、遺言を書く上で絶対理解していなければならない最重要ポイントの一つです。しっかり理解して常に頭に入れて覚えておきましょう。

 

まずは、

 

1、兄弟姉妹に遺留分は無い

     まずは、そもそも被相続人の兄弟や姉妹には遺留分はありません!

 

 つまり、遺言で財産をどう処分しようと兄弟姉妹に分け前をよこせと言われる筋合いはないということです。しかし、現実はそう簡単に納得しないのが兄弟です。

 特に姻族である配偶者と兄弟姉妹は相続により微妙な関係となります。

 極端な例として、

   ◎つい1年前に兄弟の反対を押し切って後妻に入ったばかりの若い嫁が遺言で全財産を相続した場合

   ◎遺言で全財産を愛人に相続させた場合

   ◎相続人が大勢いる兄弟の場合で、うまく取り入った末っ子一人だけで全財産を相続した場合

   ◎兄弟姉妹同士で相続財産の内容や金額に差がある場合

    これらのような場合、揉めるのが必至というような状態になります。

 また、本来部外者であるそれぞれの兄弟姉妹の配偶者が煽動する、争族の焚き付け役になるのが定番です。なんでうちだけ少ないの?だめもとで、あんた言うだけ言ってみてと・・・。

 しかし、繰り返しますが、兄弟姉妹に遺留分減殺請求権はありません。

遺言で外されたらそれまでです。

遺言を書くときは、兄弟姉妹の扱いには細心の注意が必要です。

遺言が発端で戦争になりやすいのです。

 

次に年長者から先に説明します。

2、直系尊属(被相続人の父母や祖父母)のみ、が相続人の場合

 配偶者や子供の相続人がいなくて、相続人が父母か、はたまた父母がどちらも亡くなっていて祖父母が健在の場合です。  

     直系尊属のみ の場合には 財産の 3分の1 が遺留分となる。

 片親だけの場合は、その父なり母が財産の3分の1の遺留分の権利を有する。

 父母両方がご健在の場合は直系尊属全体の遺留分である1/3を夫婦で2等分するのでそれぞれは1/6の遺留分となる。

    計算での説明  父は 1/3 × 1/2 = 1/6

               母も     同様       1/6

 

3、それ以外の場合  

 

それ以外に次のようなパターンがあります。

  ① 相続人が 配偶者のみ 

            ・・・遺留分は財産の 2分の1

  ② 相続人が 子供のみ

            ・・・遺留分は財産の 2分の1

      ※子供が複数名いたら、2分の1を人数で均等に分けた分がそれぞれの遺留分となる。

  ③ 相続人が 配偶者と子供

            ・・・配偶者の遺留分は財産の 4分の1

            ・・・子供の遺留分も財産の 4分の1

      ※子供が複数名いたら、4分の1を人数で均等に分けた分がそれぞれの遺留分となる。

  ④ 相続人が 配偶者と直系尊属

            ・・・配偶者の遺留分は財産の 3分の1

            ・・・直系尊属の遺留分は財産の 6分の1

      ※直系尊属が2名いたら、6分の1を均等に分けた分がそれぞれの遺留分となる。

 

 

 

えんゆう相続学校

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昨日、第三土曜日は月一回の寺子屋・こども論語塾の日です。

座禅の後、論語の勉強です。

たまたまですが、昨日は「礼」についての勉強でした。

 

八佾(はちいつ)第3③

人にして仁ならずんば、礼を如何にせん。

人にして仁ならずんば、楽如何にせん。

 

簡単に解説しますと、礼儀作法や音楽は心がこもっていなければ役に立たないということです。

 

何にでも言えることですが、心がこもっていないものは役にたたない。

 

だから、こころを込めて祈ることが大切なのです。

 

話は少しそれますが、近江商人は恵飛須さんへのお参りをします。

 

お参りをするということは、それ以前の準備は万端であることが前提なのです。

 

準備が万端でなければ、やることをしっかりやっていなければ清々しい気持ちでお参りは出来ません。

 

神に祈る、仏に祈る意味の本質はここにある、つまり何事も前もって準備万端にすることです。

 

人事を尽くしての神頼みなのです。

 

だからこそかなりの高確率で願いが叶う。

 

恵飛須さんの御利益は、近江商人の礼が作り出すものです。

 

礼儀作法や音楽も、心を込めて祈る気持ちでやれば必ず相手に伝わります。

 

 

前回歩きスマホの話をしました。

 

SNSなどで、いつでも人とコミュニケーションをとることが出来ます。

 

しかし、人と人とはどれだけコミュニケーションが必要なのでしょう?

 

メールなどでのやりとりには、多くの無駄なメールが含まれていないでしょうか?

 

つまり心を込めた「礼」が伴っているのか・・・。

 

私は、正直申しまして、フェイスブックやラインは当然として、メールすら煩わしくて仕方ありません。

(何故かブログは好きですが。)

 

研究者クラスの仕事をしている方には必要だと思いますが、私みたいな凡人にSNSは必要ないような気がします。

 

一体誰と、どんな話題で繋がる必要があるのかよくわかりません。

 

豚に真珠、時間の無駄、ただのお遊びになってしまいます。

 

何かしっかり、大手IT企業の策略に乗せられているような気がします。

 

 

 

この前、久しぶりに「朝まで生テレビ」を少し見ました。

 

昔はよく見ていたのですが、最近は司会の田原さんの発言を聞いているのが苦痛でほとんど見ていません。

 

AIのことで論客が話していましたが、どの発言を聞いてもあまり興味が持てませんでした。

 

というのも、自分はその時の出席者の言うような未来にはならないと思っていて、なんか、かなりの違和感を覚えました。

 

AIに乗り遅れるなと焚き付けられている気がしました。

 

今後AIに取って代わられる仕事が例示されていましたが、現実はそう簡単にはならないと思います。

 

これからテクノロジーは益々進化しますが、その進化したテクノロジーは、益々庶民の手の届かない所へ行ってしまいます。

 

結局、庶民に必要のないサービスを提供して儲けているような気がするのです。

 

AIやグローバル化はいずれバブルがはじけるようにブレーキがかかると思います。

 

ハイテクが必ずしも売れるとは限らない。

 

AIも人間が作ったものです。

 

どこかにおかしな箇所があると思うのです。

 

そのAIを絶対視するような人は、私は正直言ってあまり信用できません。

 

人間の発想力や思考は、いくら何十億、何百億のビッグデータから予想したとしても、それを超えるところに人間の発想や思考があると思うからです。

 

AIは何かわざとらしいのです。

 

作成者の意図が丸見えです。

 

いらぬバイアスをかけて人を誘導しないでほしい・・・。

 

はっきり言ってしらけてしまいます。

 

私の世代は、コンピュターの無い時代の仕事を知っています。

 

今の時代の仕事と比較した場合、昔の人の仕事の仕方の方が堅実だったと思います。

 

コンピューターは確かに処理速度は速いのですが、ミスや不正が横行しすぎです。

 

マイナンバー制度も、私はうまくいかないような気がします。

 

情報は、絶対に洩れます。

 

最終的に最も信頼をおけるのは、やはりアナログなのかも知れません。

 

今回の地震でもよくわかります。

 

電気を使うものはあてにできない。

 

世の中、想定外のことが起きる。

 

 

ポケモンGOはあっという間に廃れました。

 

商売ですもの・・・永遠に売れ続けることはありえません。

 

こどもだましに大人までもがのせられている。

 

 

 

グローバル化もそろそろ廃れると思います。

 

予想屋ではありませんが、今の外国人受け入れには心が伴っていません。

 

世界的にもそうですが、大手企業の儲けのための外国人受け入れです。

 

全く庶民は望んでいません。

 

すでに庶民のレベルでの軋轢が生じています。

 

異民族が急に交われば内乱に発展します。

 

大手企業や資本家のエゴ、金で釣った入国では、いずれ取り返しのつかない争いが起こります。

 

世界には様々な人種がいます。

 

全ての人種を平等に受け入れることが善ではありません。

 

最終的に・・・、朝ナマの出演者のほとんどが、礼儀作法がなっていないと思いました。

 

それが言いたかったことです。

 

温故知新、尊属、年長者は敬うべき存在なのです。

 

もっと自由に、なんていきがっていられるのは今のうちです。

 

礼儀作法を忘れた日本はいずれ廃れる運命です。

 

 

 

相続も「礼」を伴って成功するのです。

 

 

 

 

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顔淵(がんえん)、顔回(がんかい)ともいう、は孔門十哲(孔子の10人の優秀な弟子)の中でも最も優秀な孔子の一番弟子です。孔子の弟子は3,000人位いたそうです。

ちなみに孔門十哲(こうもんじゅってつ)の中には、「一を聞いて十を知る。」ということわざで有名な子貢(しこう)という優秀な弟子もいます。

 

その顔淵が孔子に「仁」について尋ねた章句があります。

相続に関わる章句でもあり、論語の中核部分の内容だと思うので紹介します。

 

顔淵第12①

顔淵仁を問う。

子曰く、「己に克ち礼に復(か)えるを仁と為す。一日も己に克ち礼に復えれば天下仁を帰(ゆる)す。仁を為すこと己に由(よ)る。人に由らんや。」

顔淵曰く、「其の目(もく)を請(こ)ひ問う。」

子曰く、「礼に非(あら)ざれば視ること勿(なか)れ。礼に非ざれば聴くこと勿れ。礼に非ざれば言うこと勿れ。礼にあらざれば動くこと勿れ。」

顔淵曰く、「回(顔淵のこと。)、不敏と雖(いえど)も、請ふ斯(こ)の語を事とせん。」

 

通釈

顔淵が仁を行う方法を問うた。

孔子は、「仁は心の全徳で天の与えた正しい道であり、天の与えた正しい道が形に表れて中正を得たものが礼である。しかし、仁は私欲のために壊(やぶ)られるものである。故に己の私欲に打ち勝って礼に反るのが仁を行う方法である。仁は天下の人の心に同じく具わっているものであるから、誠に能く一日の間でも己の私欲に打ち勝って礼に反れば、天下の人が皆我が仁を与(ゆる)す程、仁を行う効果ははなはだ速やかでありかつ至って大きいものである。このような仁を行うのは己自身の修行によることで他人に関係あることではない。」

顔淵は孔子の語を聞いて、天の与えた正しい道と人の私欲とのことについては明らかに知って何の疑う所もなかったので、直ちに「己に克ち礼に反える修行の箇条をお尋ね致します。」と言った。

孔子「一身の動作が礼に外れるのを己の心で禁止しなければ、天から与えられた正しい道が消え失せてしまうから、礼に外れた色を視ようと思う時は、必ず心で禁止して視せないようにせよ。礼に外れた声を聴こうと思う時は、必ず心で禁止して聴かぬようにせよ。礼に外れた事のために動こうとする時は、必ず心で禁止して動かぬようにせよ。礼に外れたことは皆私欲である。心でこれを禁止するのは皆これに打ち勝つのである。私欲に打ち勝って一挙一動礼に合するようになれば仁が行えたのである。」

顔淵「私は愚かな者でございますが、御教訓の語を行うことを己の任務と致しましょう。」

 

                                          論語新釈 宇野哲人 講談社学術文庫より

 

 

この章句は有名な「克己復礼」の熟語の本です。

 

この章句は相続にとって最も大切な章句の一つだと思います。

またこの章句は現代に生きる人にとって最も勉強しなければならない章句の一つだとも思います。

 

 

 

今の日本の義務教育ではこのような大切な論語の章句を教えようとしません。

戦後からの自虐史観によるマインドコントロールにより徹底的に排斥されています。

日本をいい国と言うことすら同じ日本人から非難されます。

現実に日の丸や旭日旗、国歌を否定する日本人がいます。

 

道徳の教育が教師から反発を受けます。

採点基準が明確でないとか何とか・・・。

どう点数をつけていいのか戸惑うとか・・・。

点数付けしにくければ、しなければいい。そのような凝り固まった常識は変えた方がいいと思います。

通信簿の枠の中に論語をむりやりいれる必要は無いと思う。

子供にこのような素晴らしい論語の章句に触れさせることに意義があります。

論語の素読ほど子供の教育に良い物は無いと思うのです。

重要なのは、決して論語を押し付けるのではなく、一つの人の生き方の参考としてこのような考え方があると教えること。気づく機会を提供すること。

 

論語から過激な朱子学へ、そしておかしな宗教へと変な方向に向かった流れもあります。

しかし、そのような過激思想を分別する能力は日本人には既に備わっています。

八百万の神の国日本は、キリスト教すらいいとこどりをしてしまいます。

儒教は既に日本の中で神道や仏教と調和して日本独自のものに進化しています。

儒教の最先端は中国や朝鮮ではなく、日本の儒教です。

 

 

私はあまり政治のことはこのブログでは言いませんが、政治は国民のレベルと同一です。

国会では大切なことが議論されません。

大切なことを教えない今の教育と同じです。

大切なことを置き去りにして、手続き論に終始しています。

議会の進め方がどうとか、疑惑の解明が先だとか何とか・・・。

野党は議論を避け反対のための意見しか言いません。

戦後から一貫して日本の政治は、国益を無視して大切なことは知らないうちに裏で決められます。

アメリカという大親分に逆らえないからです。

ある意味戦争で負けたので仕方ない面も解ります。

しかし、もうそろそろ日本人も自分自身の足と頭で一歩踏み出さなければならないと思います。

 

政治がこうなのは今の国民生活が欺瞞に満ちていることに原因があります。

面倒くさいことは見ないふりをする。

自分の意見を言わず、強い者の意見に簡単に同調する。

義を見て為さざるは勇無きなり・・・。(為政第2-39)

今の日本人に足りないのは勇気です。

 

道徳の教育は左翼系の人に嫌われます。

その中核は、日本人に道徳を身に着けさせたくない勢力だと思うのです。

日本人が礼儀正しくなってほしくない勢力です。

人権屋と言われる偽善者は、同じ日本人にのみ強く抵抗し自己陶酔する。

決して中国で活動せず、安全な日本の都会で暮らし、大人しい日本人にのみ強く出る。

弱い者にのみ強く出る、やくざと同じ、卑怯者の典型です。

よほど美味しい利権を持っているのでしょう。

日本人は脅せばお金を出すと思われているのです。

同じ日本人から・・・。

 

また日本の裁判における判決も、私はおかしいと思うことが多々あります。

あまりにも先例に囚われすぎです。

裁判官の先例主義は日本のあらゆる所に影響を及ぼします。

国歌、国旗の取り扱いがいい例です。

特に人権を盾にした凶悪犯罪者に対する罰の甘さなどはあまりにも被害者を愚弄する判決ばかりで、怒りを通り越して溜息しか出ません。あきれるばかりです。

本当に日本人として悔しい気持ちでいっぱいです・・・。

 

江戸時代は仇討が公に認められていました。

何故必殺仕事人や水戸黄門が日本人にウケるのか。

日本の法律やその執行、また裁判の甘さに対するストレスの発散のような気がします。

裁判官がやらないなら自分がやらねばと、私なら思います。

何度も使う形容詞ですが、あまりにも、あまりにも判決が甘すぎます。

日本の裁判官は少し中国を見習った方がいいと思います。

いかに試験で過去問題を解くのが得意な種類の人種だと理解できます。

世の中で起きる問題の過去問題集は市販されていません

このような国に拉致問題は解決できるのでしょうか?

憲法の法学者に聞いてみたいです。

 

今の法律が人道上、正しいかどうか、大いに疑問です。

何でも先例やキリスト教文化に合わせる必要はありません。

日本には世界に誇る文化・価値観があるのです。

そして日本は何度も国難を乗り越えてきました。

 

 

それから今の新聞やテレビなどいわゆるオールドメディアの惨状はひどいものです。

完璧に偏向しています。

明らかに特定の思想に誘導しています。

日本のオールドメディアはプロパガンダ組織と断言できます。

世論誘導のために平気で嘘をつきます。

世論調査など全く信用できません。

あからさまな誘導設問であり、固定電話世帯への世論調査が多いとすると、情弱な高齢者の意見に偏ることは明らかです。

 

勿論ネットにも膨大な多くの嘘が溢れていますが、ネットの救いは正真正銘の真実もたくさんあります。

同様にオールドメディアにも正しい報道もたくさんありますが、ネットとの違いは、ネットはまだ全体として特定のイデオロギーやプロパガンダに縛られていません。

しかし、今のように、あまりにも危機意識が足りない国民性では、今後は縛られる可能性も十分あると思います・・・。

スパイ防止法すら作れない国には、既にまともな言論は保障されていないといってもいいと思います。

スパイや犯罪者がのうのうと暮らしています。

暮らすばかりか、お人よしな日本人を洗脳します。

日本人はあまりにも、お人よしすぎます。

 

スマホの普及で、ライン、フェイスブック、ツイッター、SNS・・・やたらと情報のやり取りが忙しい現代社会です。

しかし、いくら情報の伝達スピードや拡散能力が優れていても、情報の中身が空っぽであれば発信者の信用は徐々に無くなります。

 

スマホを見ながらゆっくりと横断歩道を渡る人の姿を見て、いったいどれほど重要な情報のやり取りをして周りを気にせず歩いているのか不思議です。

幼稚園児は右を見て、左を見て手を挙げて渡るのに、赤ちゃんがハイハイしながら横断歩道を渡っているようなものです。

現実とバーチャルの世界の区別がつかない・・・。

スマホを見ながら歩く人は正直言ってそれが原因で死んだとしても自業自得だと思います。

礼とは園児のような所作を言うのです。

 

 

日本の国民全体が貴重な時間を浪費して、全体で危険な方向に向かっているような気がしてなりません。

 

今その瞬間にも尖閣諸島は侵略されようとしています・・・・。

この重大な国難をテレビや新聞はほとんど報じません。

一歩間違えばその瞬間に戦争が起こる状態なのです。

日本人は大切な事象を隠されていることに気が付いていません。

 

大多数の国民が正しい情報、緊急な情報を自ら選択できる目を持たなければなりません。

そして無駄な有害情報は捨てる勇気や技術が必要です。

何が無駄で、何が有益な情報なのか、改めて学習の意味を追求しなければならないと思います。

今回の地震や台風の災害で改めて感じました。

 

学習とは論語学而第一①の章句です。

学んで時にこれを習う・・・。

学ぶべき対象が決まっていれば無駄な情報に振り回されることはありません。

◎学ぶべき対象

◎学ぶべき手法

この二つを突き詰めることが生きる上で最も大切なことだと思います。

 

 

新聞やテレビの情報を鵜呑みにしてはいけません。

相続に関する決まり事も自分でおかしいと思う所は自分自身で学習しましょう。

人の意見をすぐに信用するお人よしでは、今の世の中すぐに騙されてしまいます。

なぜこれほどまでに振り込め詐欺などが横行するのか・・・。

日常生活のこまかな情報の分別が出来ていないのです。

 

専門家の意見も鵜呑みにしてはいけません。

弁護士や税理士が正しいことを言うとは限りません。

弁護士や銀行員も横領する時代です。

役人しかりです。

 

世の中には、私欲に満ちた人間がウヨウヨいます。

見た目や資格、大企業などの看板に惑わされてはいけません。

人間は中身で判断しなければなりません。

 

自分自身の相続は一生に一度です。

一生に一度の相続は自分で創らなければならないのです。

何が正しい選択か・・・判断するのは自分自身なのです。

 

 

 

相続や遺言も、私欲や思いつきですると、相続人間で簡単に炎上します。

親の目の黒いうちは子供はおとなしくしていますが、重石が外れると好き勝手な事を言い出すと思っておいたほうがいい。

好き勝手に言い出す子供が悪いとは決め付けませんし、そんな子供も可愛い自分の子です。でも親としてはそんな子供の姿は想像したくないというのが親心だとも思います。

しかし特に兄弟はちょっとしたきっかけですぐに、げんかは勃発するのです。

 

なるべくなら無駄な争いは極力避けたいところです。

戦争(相続争い)は無いに越したことは無い。

 

しかし、望まずとも戦争(相続争い)は起ります。

直接の武力行使は無いにしても、不動産の所有権を巡る争いなど経済的な戦争は十分起きる危険は相続にはあります。

 

ですから安全保障条約(遺言)の締結が重要なのです。

 

 

 

 

 

 

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熱くなってとりとめのない文章になってしましました・・・。

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相続は人の死により開始する。

人が死ねば祭られる。

祭りごとは「礼」(旧漢字は禮)により行う。

 

祭りごとは相続の表現そのものです。

 

論語に「禮」という言葉は71回出てきます。

とにかく禮に関しての説明が多い。

でもどれも抽象的で本質が捉えずらい。

 

礼記という書物があります。

5経の一つですが、禮に関する解説書みたいなものです。

内容は難しく、私は未だ「禮」のことが正直よく解りません。

ただ、儒教の実践における「禮」の役割は非常に重要だということは実感します。

そのことはすなわち「仁」の実践における「禮」の役割は非常に重要だということでもあります。

 

礼記による「禮」の解説に次のようなものがあります。

 

禮というものは親しい者と尊い者との別を定め、物事の似たものと疑わしいものとをはっきりわかち、類の同じものと異なるものを区別し、ことのよしあしを明らかにするものであって、人がそれらに対してどのようにすべきか教えるものである。禮というものはこびへつらってむやみに人を悦ばせることはしない、また言行一致を尊ぶから、必要以上に言語を用いることはしない。禮というものは、程よいことを尊んで、何事にも踰(こ)えることをしない。人をあなどることをしない、むしろ自らを卑く人を尊くという精神で対する。したがってまたなれ近づくこともしない。なれ近づけばつい相手を軽んじ、敬する気持ちが薄くなるからである。自己を冷静に見つめ、内面を充実させて、言うことは必ず実行する。これを善行という。行いが正しくおさまって、言うことは程よい理にかなう。これが禮の基本である。禮というものは、学ぶ意志を持つほどに自分を成長させた者が、賢人の所に自らすすんで行って教えられるものであって、招きよせて教わるようなものではない。~中略~

禮とはなにかについて、まず社会の秩序の基本をかたちづくるものであることをいい、このような社会の中に在る人間が行動を慎むべきをいい、ほどほどに自己を節するべきを説き、その結果人に具わる禮の本は何かについて述べ、、このような禮を教える者また学ぶ者の態度について述べている。

 

                                          著者 下見隆雄 礼記 明徳出版社より

 

 

相続や遺言における向き合い方の基本はこの「礼」によると私は思うのです。

 

 

 

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9月6日午前3時5分札幌で地震が起きました。

自宅(南区澄川)では未だ停電が続いています。

今は中央区の会社でブログを書いています。

今回の地震で災害に見舞われた方へは心からお見舞い申し上げます。

また、警察や消防、その他災害による復旧活動に当たっている方には心より感謝申し上げます。

 

私は道東出身なので正直地震には慣れています。

多少のことでは驚きません。

でも、自分の家が損壊したり家族に被害があったりしたらもちろん平静ではいられないと思いますが・・・。

 

停電になると自宅はマンションで、水も出なくなりました。

近くの公園へ水を汲みに行って5階まで運ぶ作業にはちょっとばかり疲れますが、基本的には不謹慎かもしれませんが、これも試練と前向きに捉え不自由な生活を楽しんでいる面があります。

 

小学生の頃、吹雪や大雨などで学校が臨時休校になった時に、喜んだ感覚と恐らく同じだと思います。

 

停電などがあり、ロウソクで過ごすことが楽しいと感じていました。

 

妻は、地震を怖がりあれこれと考えを巡らし、ピリピリしているのですが、私は正直そういう態度がうっとうしいと思っていました。

せっかく神様がくれた休みなんだからもっと楽しめばいいのにと思ったりしています。

 

例えば屋外でのキャンプを嫌う人がいます。虫が嫌だとかトイレが汚いとか・・・。

災害と次元はまるで違いますが、私はキャンプは好きな方ですが、このように、人間同じ状況でも捉え方に違いが生じます。

 

どっちが良いとか悪いとかの問題ではありませんが、様々な場面で心配しすぎも楽観しすぎも良く無く、大切な事は冷静に物事を観て判断することだと思います。

 

今日は自宅からしばらく歩いて会社に向かいました。

色々な発見がありました。

停電している商店街では炊き出しをやっているところがありました。

停電していないところの商店街では普通に商売をやっている店もありました。

2件位コンビ二に入ってみたのですが、弁当やカップめんなどの商品はほとんどありませんでした。電池なども全くありません。

炊き出しに並んでいた人には意外と若い人が目立ちました。

今時の若い人は自宅に食料をあまり保管していないのかなと、なんとなく納得しました。

 

今回の地震で特に印象に残ったのは、スマホなどへの依存度の高さです。

自分としては、仕方なくスマホを使っている人間なので、必死になってスマホの充電に走り回る人をある意味冷めた目で見てしまいます。

そこまでして何の情報を得たいのか?

もちろん仕事で必要な方は別ですが・・・。

2、3日自宅から出なければいいだけなのに・・・。

現代人は不便に弱いなと感じます。

 

 

 

私は毎日相続のことを考えているので、つい何でも相続にからめて物事を観てしまいます。

 

災害と死を同じと捉えると、いかに普段の生活で備えをしているかが重要だなと今回改めて思います。

 

その人(家)の相続にはその人(家)に見合う自然な相続の流れがあると思うのです。

 

災害に備える食料の量、大切にしている情報の内容は、相続における財産の大きさであったりその家族の絆の強さであったり、友人知人への恩義の形であったり、正に何度も言うようですが100人居れば100通りの相続の形があります。

 

その相続を形作る役割を担うのが「礼」ではないかと私は思っています。

 

 

長くなりましたのでこの続きは次回にします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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