令和二年十月下旬、一度目のDCF療法終了から三週間後、再びN病院に入院。今度もまた、希望した準個室ではなく、個室に案内された。しかも入院患者の姿は以前よりまばらで、準個室が埋まっている、という訳でもなさそうだった。

 彼氏は「もしかしたらコロナ対策かもしれんなぁ」と言っていたが、到着後早々に部屋を追い出されるようなこともなく、個室に留まり、荷解きを手伝ってくれた。小一時間ほど経って、流石に居心地が悪いと感じたのか、自分からもう帰るわ、と部屋を出た。

 

 そして恒例のPICCの留置。C医師も慣れた手つきで進めていたが、ふと身体の中に違和感を覚えた私は

「なんか胸の辺りがざわざわするんですけど」

 と尋ねた。「心臓を何かで触られているみたいな感じです」

「知らなかったんですか?」

 C医師は意外そうな声を上げた。

「このカテーテル、心臓まで繋がっているんですよ。解説の絵にも書いてありますし。初めに大学で説明受けませんでしたか」

「そうだったかなぁ」

 確かに図解にはそう描かれていた気がするが、心臓に入っている、というのが、感覚的にどうにも理解し辛かったのかもしれない。

「当然、患者さんによっては、心臓辺りに違和感を持つ方もいますよ」

 特別なことではない、と聞き、安心したが、この時の「ざわざわ感」はその後も小さな後遺症として未だに残っている。

 

 そして点滴開始準備。この時の看護師が「生理痛で頭がぼんやりする」と、中々にこちらを心配させてくれる若い方だった。輸液ポンプを前に点滴のスピードが計算出来ないのか何度も電卓をたたき、取り留めもない話をしては頭を振る。結局点滴の開始が二時間も遅れてしまった。

 同じ女性なので気持ちは分かるが、患者である私に甘えるのではなく、そこは素直に他の看護師に助けを求めるべきだっただろう。

 なんだかんだで午後四時に点滴開始。途端に目の前が大きく回るような感覚。その夜から吐き気が出始め、便通もなくなった。翌朝、一度目と同じく顔が真ん丸に浮腫み、頬が真っ赤になった。

 朝、身体を起こし、窓を開け少し身を乗り出し抜け毛を払う。顔を洗い、談話室へ熱いお茶を取りに行く。辛くてもそのルーティンだけは守ろうと思った。

 ところがそれまでの治療より早く影響が出始め、二日目の昼から食事が全く取れなくなり、添えられた牛乳やヨーグルトを口にするだけで精一杯になった。これではまずいと翌日、彼に頼んでフルーツや果物の缶詰などを差し入れして貰うことにした。(この時は荷物の受け渡しも禁止だった)

 デパートで購入した詰め合わせの中には値段の張るマスカットや巨峰、桃の缶詰などが入っており、随分奮発したようだったが、差し入れの中でもモンキーバナナ一房には懐かしさでつい声が出た。

 若い看護師はモンキーバナナ自体見たことのない方が多いらしく、皆一様にバナナを見ては「可愛い! バナナの赤ちゃんみたい」と目を輝かせていた。

 折角の差し入れも、ブドウは一度に二、三粒、バナナは一日に一、二本しか食べられなかったが、フルーツ以外の食べ物を受け付けなかったので助かった。

 

 点滴開始から五日目、酷い倦怠感にとうとう朝のルーティンも守れず、日がな一日水分さえ摂らず、明かりもつけないまま寝て過ごすようになった。昼も夜も分からない部屋の中で、泥に沈んだような意識は「死」という言葉で一杯になっていた。

 ———いっそ治療が全く効かず、全身に転移してしまえば、早く死ねるのに。私が死んだら、彼だって自由になれるのに。そうなれば彼も今度こそ健康な人と出会って恋愛し、最期まで添え遂げられるかもしれない。連れ合いを二度まで看取らなければならないなんて、神様はなんて残酷な試練を彼に与えるのだろう。いや、そもそも私に会わなければ、今も彼は苦しまずに済んでいたのに。

 滑稽かもしれないが、この頃は本気でそう考えていた。いや、今でも少しは考えている。一度は入籍を考えたが、結局立ち消えになったのは洒落ではなく彼を没二(ボツ2)にしたくないからだ。

 

 そしてようやく点滴が終わり、入院最終日。

 部屋を訪れたC医師はまず体調を気遣ってくれた。そして私はずっと聞きたかったことを尋ねた。

「大部屋が空いているのに、個室にしてくれたのは、先生ですか」

 C医師は返事をする代わりに、こう話してくれた。

「しんどい治療の時に、他の患者さんがいるとそれだけで気疲れするでしょう。特に大学病院の大部屋は窓も開かないので、息苦しいと思います。僕なら嫌です。折角この病院に来たんだから、その間くらい、環境のいい所で治療を受けて貰えればな、と思いました」

 やっぱり、そうだったのだ。一度目も二度目も、全部C医師の御厚意だったのだ。精神的にも病んでしまい、涙を流してばかりの時に、個室であることにどれだけ助けられたことか。

 C医師にもN病院にも、感謝しても感謝しきれない。

 そしてもう一つ。

「この治療が効果なかったら、私はどうなりますか」

 C医師は冷静に、「それはCTの結果を見てから考えましょうよ」

 穏やかな声だった。

「これ(DCF療法)が終わったら、オプジーボに変わるんですよね」

「大学からはそう聞いています」

「オプジーボの奏効率って二十パーセントくらいなんでしょ」

 少し間があって、C先生は続けた。

「僕の担当する食道がんの患者さんで、一人だけ長くオプジーボを続けてらっしゃる方がいます」

 とても正直な答えに、思わず涙が零れた。誰にでも効くわけではない。でも効けば他の抗がん剤と違って長く使える。

 もしオプジーボが効かなかったら、と尋ねるのはやめた。これ以上C医師を困らせたくなかった。

「ありがとうございます。この病院に来て良かったです」

 頭を下げると、マスク越しのC医師は微笑んでいるように見えた。

 

 翌週には再びドセタキセルの点滴と、単純CT撮影のため再びN病院へ。造影CTではないためはっきりしたことは言えないが、C医師によるとがんは少なくとも大きくはなっていない、という事だった。

 

点滴二日目。顔が真ん丸に。頭皮とおでこがくっきり分かれています。