私の生い立ちと使命④ | 人生どん底だった夫婦があるマインドの秘密を知って人生をブレイクスルーさせたストーリー

人生どん底だった夫婦があるマインドの秘密を知って人生をブレイクスルーさせたストーリー

がんばっているのに報われないあなたが、脳×マインド『5つの法則』と地に足ついたスピリチュアルで豊かさもパートナーシップも手に入れる

こんにちは 阿部梨絵です。
 

数あるブログの中から お越しくださりありがとうございます(^_-)-☆
 
 


 
前回のブログでは
 


中学2年生までの壮絶な家庭の状況をお伝えしました
 




 
 
 
 
 

ストレス性の胃炎で3週間入院し
 
半年間で体重は8kgも減っていました。
 
中学生なのにも関わらず 髪の毛の艶はなくなり抜け毛も酷くて薄くなりました。
 

当時の写真を見て自分でもショックだったことを覚えています。
 
 
 

結局 私がどんなに苦しい思いをしても
 
誰かに叫んでも
 
母や妹を助けたところで 
 
またあの家で生活をしながら学校に通うことは 
 
何も変わりませんでした汗
 
 
 

少しだけ私のことを気にかけてくれた担任の先生も
 

その次の月の修了式で
結婚退職をしていきました。
 


病院にお見舞に来た時 その先生は

『教員免許に合格したときは私も無理がたたって入院していてね。

合格を知ったときは病室で泣いたのよ』
 


という
 
『人生いろいろあるわよ。あなたも頑張って』
 

…という励ましっぽい内容の会話に
 

『何にもわかってないくせに』
 
 
 
…と敵意を抱く自分がいました。
 
 
 
 
 
電話相談窓口に電話したこともありますが
 
 
『お父さんとお母さんとじっくり話してみて』

という相談員さんの結論に
 

さんざん話してきたから
こうして電話してるのに


大人なんてみんな頼りにならないと
 

ますます自分を頑なにさせていきました。
 
 
 
 
 
 
 
退院して自宅に戻ると 新しい炊飯器や電化製品が買いなおされ
 

兄が暴れてハチャメチャにしたであろうリビングは
 

何事もなく片づけられていました。
 
 
 




部活を引退してからは
 
受験勉強どころではなく 無気力になっていきましたむっ
 
 
 

塾には行っても
心ここにあらずハートブレイク
 
 
 
 
 
教室が受験ムードになっていくなかでも
 
 
 
ただ家にいたくなくて 
 


彼氏や友達と夜遅くまで出歩くようになりました汗
 
 
 
 
 
 
 

 
 
その頃の兄は 母に対しての罵声が酷く
 
 
 

私はそのたびに胃が痛み身体が震えました
 ショック!
 



『勉強している』と言って1分でも家にいない時間を作るようにしていました。
 



そして
 


案の定 第一志望の高校には落ち


滑り止めの女子高に通い始めるも 一年の夏休み明けには辞めてしまいました。
 
 
 



もうそこからは 酷いものでした。

その頃から 
 
タバコとお酒浸りの毎日になりましたドクロ
 
 
 
兄から言われた酷い言葉に

自分を鏡で見れないほどだったので


オシャレして
お化粧して


その頃は自分の自信を取り戻すことに
必死でした。
たとえそれが、自分らしくなくても。







そのころちょうどバブルがはじけて 
 
今に続く不景気の始まり
 
 
 

自宅の金庫には100万円の束がいくつも入っていましたが
 



そのころから
その日の売り上げと両替、領収書と請求書ぐらいしか見なくなりましたガーン
 
 
 
 
 
そして父と母の言い争いが ますます激しくなっていきました
 
 
 
 
 
そんな中 兄は親にお金を使わせることばかり考えていました
 
 
 


『俺をこの家に産んだ慰謝料のかわりに 金をふんだくってやる!!



 
いつもそう言っていました。
 
 
 
 
 
だから兄は専門学校に行きながら
 

ボランティアでの世界客船クルーズにも行ったし
 

学生の身でありながら100万円以上の車も買ってもらっていました。
 
 
 
 
 
 
 

泣いてわめけば口封じに飴をもらえるのか…


我慢している自分はいったいなんなんだろう…
 
 
 
 
 
私はというと
母親からの家計や店の資金繰り事情を聞かされ
 


『お父さん借金してでも 店を続けるっていうのよ』


『大変な思いして収めているのに あの仕事は 全然お金にならない』
 


など 母の不安を全て聞く役になっていたので
 



さらに毎日が不安でしたしょぼん
 
 

 
自分のことなんて真剣に考える心のゆとりなんて少しもなかったし
 



甘えたり頼ったり

完全に失った10代でした。
 
 
 
 
 
そしてプツリと糸が切れたのでした……。
 
 
 

その頃から 寝る以外家には殆どいない生活でした。


バイトをして夜中まで遊んでの繰り返し
 
 
 

次の年に 
公立高校へ入学しても
 



その生活はほとんど変わることがありませんでした。
 
 
 

友達の家、彼氏の家、
お酒 タバコ バイト 学校では寝る  
 



そんなどうしようもない生活でした。
 



母から見たら成績もそこそこだった優等生の私は完全にいなくなり
 



身なりが派手になっていく私の姿を見て
 


イライラしながら酷いことを言うようになりましたプンプン
 



その言葉はトゲだらけで 私の心に突き刺さっていきました。
 



『Yちゃん(妹)は、あんたみたいにしたくないから塾に通わせる』


『そんな服で近所を歩かないで』


『あんたの付き合っている友達が悪い』


『タバコ臭いの迷惑だから どこか外で吸ってくれる?』
 
 
 
母は
立ち直れないほど傷つけたいようでした。
 
 

 

そして
いつも通り夜遅くに帰ると


玄関にチェーンがかけられていて
 

中に入ることが出来なくなりました。
 
 
 


部屋の向こうの暗闇が 
私を外へと押し出すかのようでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とても寒い日でした
 
 

 
こんな暗くて冷たい家でも帰る場所がここだという悔しさと空しさが広がりました
 
 
 

だったら
 
 

 
もう  
何もかもいい。
 
 
 
 
 

何日も家に帰らない日がありました。
 
 
 


母は私の顔を見てはイライラして
 
 
 


まるで『汚いもの』『厄介なもの』でも見るような態度でした。
 
 
 



父と母は 儲からなくなった店のことで 激しい口論をし


ののしり合い
 
 
 
兄は望み通りに電化製品と家具を買い揃えてもらい


両親を避けるように部屋から出てこなくなりました。
 
 
 


そして妹はいつも傍観者でした。
 
 
 
 


 
母が家計を支えるためにパート勤めをすることになり
 


それを知って家事を手伝うのは 
私だけでした。
 
 
 
今更
どうしてそんなことするのか?
 



他の誰でもなく母親に愛されたいからでしょうね
 
 
 
 
 

母親にどんなに酷いことを言われても
 
いつだってシッポをふる飼い犬のように
 
抱きしめてもらいたいと
 
心の底では思っているわけですよ
 
 
 
 
 
 
 
 
 こんなになっても母親を憎み切ることはできず




自分の寂しさや悲しさ
 
全ての原因は 母を苦しめている父にあると思い込むようにしました。
 
 
 
母から連日聞かされる父の悪口にのっかってそこにベクトルを向けました。
 
 
 

 
母を憎む気持ちは私自身を苦しめるものになり
 
それを感じないように 
一生懸命に父を憎みました。
 
 
 
 
 
 
 
高校最後の三者面談で 
 
『短大でも 専門学校でもいいいから進学して お金をだしてあげるから』
 
と母が泣きながら言って


母が学歴に拘るほど
腹立たしさが増しました。






日々 無事に終わることに必死で
将来なんて考えられなかった
 

『いざ将来真剣に考えろ』と言われても
 

そこに自分の人生はありませんでした。
 
 
 

一日でも早くこの家から離れることが
 

私の希望でした。
 
 
 

高校からの紹介で就職し事務員を3ヶ月したころ
 
妊娠していることがわかりました
 

(今年19歳になる長男です)
 
 
 
 
 
これから一人暮らしして 
 


なんていう計画を立ててる矢先の妊娠だったので
 
 
 
最初は手放しでは喜べませんでした。悩みました。
 
 
 
 
 
でもやっと自分の人生を築いていける
 



赤ちゃんは…

私の
自由と希望そのものでした
 


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ではでは…続きはまた次回に


今日もお読みくださり
ありがとうございます^_−☆



ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキ