皆様お久しぶりです

今日で東日本大震災10年…
思い出すのは
この時姑が入院していて、一旦自宅に着いた時地震があり、テレビを見て愕然としました。
東北で大きな地震が…
旦那さんの妹が宮古市に住んでいるので急いで電話をかけました。
その時は通じて電話の向こうでは港のサイレンが鳴り響き、今から避難を始めると…無事に避難出来たら連絡くれると約束して切り、姑が心配だったので病院に戻ると、古い建物だった為、かなり揺れたらしく取り乱していました。
(私が住んでいるのは愛知県なんですが、かなり揺れました)
私の旦那さんは岩手県出身で、
妹はは宮古市に嫁いでいました。
宮古の津波の映像は見ると未だに涙が出ます。
妹とは1週間以上連絡が取れず、妹以外の兄妹は全員愛知県にいる為、いたたまれない思いで毎日電話をかけまくりました。
やっと連絡が取れ、家は1階が浸水。(港から300メートル程しか離れていませんでしたが、奇跡的に家は流されず、家族も全員無事。あの時は心底ほっとして涙が溢れて止まりませんでした。
認知症の姑は看護師から震災の話を聞いたらしく、妹から連絡来るまで本当に認知症なんだろうか?と思うほど鮮明でした。
無事を確認すると徐々に曖昧になっていき、
その年の6月に永眠しました。
そして初盆でフェリーで帰省した時、(旦那の実家がある所は車が無いと移動出来ないので毎回車も積んでフェリーで帰省していました)
仙台港出みたものは一生忘れられません。
岸壁に打ち上げられた大きなタンカー…
実家のある田野畑村へ向かう途中毎回見ていたお店は跡形も無くなり、瓦礫置き場になっていました…
そして田老町を通り田野畑村へ行くのですが…テレビで見た光景を目の当たりにして、声が出ませんでした。
姪を連れて行った田老町の駅…
小さな商店街…何も無いのです…
田野畑村は山の上という事もあり、津波の被害はありませんでしたが、以前旦那が働いていたホテルが津波で4階まで浸水、その時一緒に働いていて、独立した料理長のお店は津波にのまれ…
旦那さんがぽつりと
何も無くなっちゃったな…
と言った言葉が忘れられません
その時私に出来ることは募金位しかなく、募金箱見る度にお釣りを入れていました。

もう10年。まだ10年。

最後に一日も早い復興と、被災された方々が少しでも安心して住める町になりますようお祈り致したます。