娘との再会を果たし、ふと後ろを振り返ると蔵の土壁と下屋が崩れていた。
家の中に入ると実兄がいた。仕事が早く終わり帰宅していたのだ。
遅い昼食をとっていたら、いきなりの地震。食器棚を支えるのに必死だったと言われた。
台所に入ると幾つかのグラスが床で割れていた。とりあえずマトメてあったって感じ。
私たちはまず、反射式ストーブを探し、懐中電灯を用意し、様々なリモコンから電池を抜き、ラジオも出して、毛布を出して夜に備えた。明るいうちに最低限の荷物をまとめ、服を着込み、適当にご飯を済ませ、茶の間にいた。夜が来て、暗闇を怖がる娘のために懐中電灯をつけていた。何度も襲ってくる余震にビクビクしながらの夜。
何でもいい、今の状況が知りたいとラジオを流す。伝えられる現状に血の気が引いた。
確か、地震発生後の津波は7メートルでは?情報が混乱しているのか?車に行ってテレビを見れば良かったのかもしれない。
でも、ガソリンが心配になってそれまでに至らなかった。停電するとガソリンスタンドも機能しないと思っていたから。
・・・現状を知るのが怖かったのかも・・・
時間の流れが遅く感じる。
時間を持て余し、とりあえず地震発生当時の家族の状況を聞いた。
娘は、短縮授業で下校時間だった。学校の玄関で友達と話していたときだったらしい。
大きく揺れ始め、友達と2人で外に出て固まってしまったらしい。同級生の男の子に「こっちにきて!」と声をかけられ、安全な場所に移動出来たと言っていた。3人で揺れに耐えているとき、職員駐車場の地面が割れてくるのを目の当たりにしたらしい。割れる地面、盛り上がる玄関先、9歳の彼女たちにとって、どれほど恐ろしい思いをしたことか。ある程度揺れが収まりかかったあたりに、先生が駆けつけてきたと、先生たちも恐怖の中子供たちの安全を第一に考えてくれた。
直ぐに母が娘を迎えに行ったらしいが娘は号泣していたらしい。

私も報告しながら「明日は片付けだ」というと実兄が「消防が来たなら、下の階も水浸しだろうから長靴持って行け」とアドバイスをくれた。

そんな話をしながらも度々くる余震のたびに荷物を持ち、様子を伺いながら避難に備えた。
余震で寝た気もしなかったけど、そんな感じで1日は終わった。
今日は出かけていた為にお昼が遅くなってしまって、外食先で家族で箸を置き、午後2時46分ガヤガヤとしている中、黙祷をしました。
母と連絡がつき娘の無事も確認した。
旦那からはメールは届いてたから無事だと思う。
上司から『女性陣は家が心配だろうから今日は帰って良いよ。明日は片付けがあるから出勤してっ』と言われたが、余震が続いている状態・・・
車を運転するのも勇気がいる。
しかし、早く娘の顔を見ないと安心できない。
勇気を出して家路についた。
帰り道は道が崩れていないか、注意しながらの運転。
もう少しで家につく・・・
私はブレーキを踏んだ。
地割れ。かなりの段差で迷ったけど、車が傷ついても早く家に帰りたい。娘に会いたい。この思いが勝った。ゆっくりアクセルを踏んで、なんとか通れた。
家につくと母と娘も帰ってきていた。
私は娘を抱き締めながら号泣した。




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3月11日午後12時10分
いつものような会社のお昼時間、車の中で一人で過ごす。
亡くなった祖母の日課「笑っていいとも」最初の10分間を見るべくエンジンを始動させ車内TVをつけようとしたら・・・映らない。
いつもは当たり前のように電波が入るのに、おかしいと思いながらもスルーしてしまった。

午後2時46分
揺れ始めてからの緊急地震速報。
前々日の地震もあってか、全員逃げる準備は出来ていた。
地震のときは机の下に・・・。なんて言うけれど、あり得ない。沢山の製品に道を塞がれ、逃げ場がなくなる。そんな事は既に確認済み。そして、耐震性って何?って感じの築・・・何年だ?
とりあえず、すごい揺れの中、外に、外に、それだけ考えた。
廊下は「クローバーフィールド」って映画のワンシーンのように天井の蛍光灯がチカチカしながら消えた。
会社は3階建ての外階段。私は2階からの脱出。
出口で一部が腰を抜かして動けなくなっていた。倒れそうになっていた空のコンテナを支えながら、その子たちが逃げるのを待ってたけど、今にも泣き出しそうな感じ、揺れが一旦おさまった瞬間彼女らに怒鳴りつけた、母のように・・・だってお母さんだもん。
何回も襲ってくる揺れに震えながらも、みんな外に避難。振り返ると3階から黒い煙。
荷物を持つ余裕が無かった人のために、3歳児を持つ人が戻って行った。
散々止めたけど行ってしまった。特に怪我もなく帰ってきたけど。
私も子供が小さいときは、まさに「母は強し」だったけど、子供が10歳にもなると「今、死ぬ訳にはいかない」って気持ちの方が強かった。
上役たちが3階に行って消化活動をしている。
事務所に残った一人が「沿岸で津波7メートルだそうだ」と叫んでいた。
いつの間にか消防車が来ていて、地元の消防署の迅速な行動に少し感動していた。
地震発生から30分もたっていない・・・と思う。

外に避難してからの女たちは、私も含め、家族の安否確認で、必死だった。
スマホは直ぐにつながったらしいが、携帯はかなり時間がかかった。私は10分程度かけ続けた。
久々アップ




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