
小学生の時、剣道教室に通った。
その時、「竹刀についている紐状のものは刀の背の側(切れない方)を示す」と習い、試合で「構え」に入る前の、腰の横で持つ時には、「背の側を上、切れる刃の側を下に向けて持つ」と教わった。
私は今でもこの持ち方で、さっと構えの体制に抜く事ができる。
オースティンの、アメリカン・トラディショナル流の空手を教える教室の先生は、これが逆なのである。
つまり、「竹刀の紐の張られているほうが刃であり、その切れる側を上にして持つ」と教えているのだ。
時代や流派などにもよるのかとも思うので、「それは間違っている」とは言えない。ただ「私はそう教わったが逆なので興味深いですね」とだけ話した。
日本と米国でこういうちょっとした違いはある。
よく言われる、のこぎりの使い方が違うとかいうのもある。交通が車が右か左かの違いも、何らかの「その動きのほうがとりやすい」という違いから来ているのだろうか?
体の動きとは差でなく、発想の違いでいえば、お釣りの数え方が違ったりする。
例えば、6ドル50セントのものを買い10ドル札を出したとする。お釣りを相手に確認しながら渡す場合。
私なら、計算しお釣りは3ドル50セントになるから、1ドル札を1、2、3枚と渡した後50セント分のコインを渡し「お釣りは3ドル50セントになります」と告げる。
米国人の場合、、まず50セント分のコインを手渡し「これで7ドル」としたあと、1ドル札を1枚づつ渡しながら8ドル、9ドル、はい10ドルと数えていく。
つまり米国人は購入した物の価格にお釣りを足してながら、手渡されたお札の金額にしていくのである。日本でこういう数え方でお釣りを渡されたことは一度もない。
こういうのは、思考の方法が違うというより、算数の教わり方の違いかもしれないが。
そういう違いがある中で、陸上の円形トラックは時計と逆周りが基本として同じである。
無意識にトラックを走ると、私も時計と逆周りがしっくりくる。米国人たちもその方向で走る。
と確認できるのが、本日のTシャツ。
背中に「トラックの走り方」が書かれている。①一生懸命走れ②左に周れ③一番で戻って来い、である。左回りなのである。
日本と米国式の違いで、「これは米国式のほうが良いな」と思うのは、書き物が左からみ偽に書いていくという、文章の進み方。
横文字でノートをとり、左ページからみぎぺーじへ進んでいくのだと、右利きの場合、書いた文字を右手で触ってしまうことはまずない。これが日本語の縦書き、右ページから左ページは進む書き方だと、書いた文字を右手の擦ってしまったりする。
まあ、最近は日本語でも縦書きで書くことは少ないのかな?
文字としては、縦書きでさらさらと書かれた手書きの日本語は「美しい!」と思う。手紙が縦書きでさらさらと書ける人が羨ましかったりもする。