【古代賀茂氏の足跡】高天彦神社 | 東風友春ブログ

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高天彦神社は、金剛山の中腹にある台地に鎮座しており、高鴨社からは距離わずか1.5kmの位置関係にある。

高天彦社は、「高天」にある集落のはずれ、古杉の美しい参道を抜けた奥に鎮座しており、社殿のさらに背後には「白雲峰」という神体山が聳えている。

 

 

高天彦神社

所在地/奈良県御所市北窪

御祭神/高皇産靈神・市杵島姫命・菅原道真公

例祭/十月五日

日本民族が太古から神々の住み給うところと信じていた「高天原」も、実は御祭神の鎮まるこの高天の台地であります。御本社の背後には美しい円錐状の御神体山が聳えていますが、社殿ができる以前は、この御神体山の聖林に御祭神を鎮め祀っていました。古杉の聳える参道は北窪・西窪の集落に通じていますが、そこがかっての葛城族の住地であります。

【高天彦神社由緒書】より

 

高天彦社の説明では、鳥越憲三郎氏が「高天原の語源は、この高天の大地にあったのである」と述べた「神々と天皇の間」の説が披露されている。

高天彦社は、大和朝廷に先行する葛城王朝の祖神たる高皇産霊神を祀っており、この高天彦社の鎮座する「高天」の台地こそ、日本神話に登場する「高天原」であったという訳だ。

 

 

もともと「高天」は高天原伝承地であり、社前には「高天原旧跡地」の石碑が立っている。

しかし、金剛山の南に「高天岸野神社」「高天佐太雄神社」とあって、金剛山を古くは「高天山」と言ったことから「高天」はただの地名であり、この地を「高天原」だと見なすのは荒唐無稽と言わざるをえない。

そもそも古来からの社名である「高天彦神」が、高皇産霊神を指すのか、実のところよく分かっていない。

 

高天彦社の創建年代は不詳。

神社の形体は古く、社殿ができる以前は神体山を信仰の対象としていました。

尚、高天彦社の記録の初見は、「新抄格勅符抄」において「高天彦神社四戸、大和国宝亀十年(775)充」と見えるのが最も古い。

延喜式神名帳では名神大社に列していますが、明治の旧社格では村社

高天彦社について「大和志料」では、高市郡高市村の住人、岡本氏の蔵する家系図を紹介しています。

 

【岡本家系図譜伝】「大和志料」奈良県教育会(1914)より

 

「大和志料」では「悉く信ずるに足らずと雖も、原書を検するに料紙書体また近代のものにあらず。兎に角同家相伝の説なるべし」と前置きしながらも、系図中の「真高額宿禰」のもとに「世々葛木高天の里に住してより其の郷を領す。由りて高天神主に任ず」と書かれてあることから、岡本家は高天彦社の神主家だったと判断したようです。

 

この系図では「天神立命」の子に「玉依毘古・玉依毘売」と書き、玉依毘売の子に「劔根命」と続いて、岡本家の先祖としています。

剣根命は、神武東征の論功行賞にて初代葛城国造に任じられたことで有名です。

 

橿原朝の御世に剱根命を以て、初て葛城国造と爲す。卽ち葛城直の祖なり。

【先代旧事本紀】(平安初期成立)国造本紀より

 

一般的に葛城氏は、この剣根命を遠祖としてきました。

 

 

さらにこの系図には、興味深い記述が見受けられます。

「若麻都麿」のもとに「八咫烏命の末裔に因りて、烏の図形を以って家紋と為す」と書かれていたり、又、「針麻呂直(剣麻呂の誤記)」の下に「遠祖の神慮を慕い、旧地を探して、山背加茂の岡田の郷に住み、また葛木の郷に帰る。ここに於いて鴨県主と葛城直と二流に相分かれる」と書かれていることは注目に値します。

 

しかし、その後に「ここに四男一女が生まれ、その一女は高津宮大后に為す」とある高津宮大后とは、仁徳天皇の大后「石之日賣命」のことであり、石之日賣命は葛城曾都毘古の娘なので何世代も離れており、系譜が混乱していて信用できない。

もしくは剣麻呂が、四男一女が生まれた先祖の旧地を慕って、加茂岡田の郷に移り住んだと表現したものなのか、何れにせよ検証不可能である。

 

 

さて、天神立命のもとに「この大神は高御魂命の御子、またの名を建角身命、或いは天神立命の後、また八咫烏と称え奉る也。山城国風土記曰く云々」とあるから、系図作成者が賀茂社伝承を意識していたことは確かであろう。

しかし、天神立命を建角身命と同一視しながら、あくまでも天神立命を岡本家遠祖としているのは、彼らが受け継いできた独自の伝承だからと考えざるをえない。

 

つまり岡本家の先祖の葛城氏は、賀茂氏と同族の意識があったと思えるのです。

もしかすると、高天彦社の祭神は剣根命か、天神立命だったのではないでしょうか。

賀茂社伝承にある建角身命が宿りました葛木山の峯とは、高天彦社の神体山である白雲峰を想定したのかもしれません。