1ヶ月ぶりに会う亜紀さんは、脚にまだ湿布をまいていた。

「捻挫、大丈夫?あれから滑ってないの?」

「う~ん、翌週無理して滑っちゃったから、後でお医者さん行ってごっつう怒られてん。その後しばらくはさすがに自粛してたけど、先週はついに滑りに行ってしまった。」

「で、もしかして、またひどくなった?」

「無理せんようにはしてたんやけどなあ~。」


「この前、家まで送ってもらったお礼、何もしてなかったから、今日は私が全部おごる。そのかわりにさあ、私の行きたい店、行っていい?」亜紀さんはそう言って、ちょっとしゃれた雰囲気のイタリア料理店に入った。

まわりはカップルがやたら目につく。

「カップルばっかやなあ。」と亜紀さんがちょっと嫌な顔をして言うので「あのさあ、はたから見たら俺らもカップルに見えると思うんだけど。」とたしなめた。

「まあね。ほんまは違うのにね。」そういいながら亜紀さんはメニューを広げた。

俺達はグラスのスパークリングワインで乾杯して、セットメニューはとらずにアラカルトで前菜やメインの料理を何品か頼んだ。同じ皿の料理を2人で仲良く取り分けてると、確かにはたから見れば恋人同士に見えるかもしれない。


「あれからユウジさんは、どのあたりで滑ってんの?」

「ん~、八方でリーゼンのレース出て、その後はフリーで志賀とか、かなあ。亜紀さんは?翌週白馬行ったんだよね?」

「そうそう。行けるかな~と思って行ってみたけど、結局あかんかったわ。上まで上がってちょっと滑ったらもう足が痛くて痛くてたまらんくなって。」

「ちゃんと下まで降りてこれたの?」

「え?うん、まあ・・・」と亜紀さんは口ごもりながら言った。「結局自分で下りれんくって、負ぶって下ろしてもらった・・・」

「ひえ~、すげー大変だったんだなあ、一緒に行った人!自分の彼女でもなきゃ、なかなかそこまでできないだろ?」

「え?でもさ、ユウジさん、おんなじ状況やったらそれくらいしてくれるんちゃうん?」

「まあ、なあ・・・自分が連れてったんだったら、その責任もあるからなあ・・・」


そんな話をしていると、亜紀さんの携帯が鳴った。

「ちょっとゴメン。」その場でしゃべってくれてもいいのに、亜紀さんは携帯の発信者を見ると慌てて席を立った。

しばらくして亜紀さんが戻ってきた。

「なに、男?」

俺は半分冗談で聞いたんだけど。

亜紀さんは少し気まずそうにうなづいた。

「そう。彼氏。」





捻挫した亜紀さんを家に送っていった後、亜紀さんからはお礼のメールが一度きたきりで、その後しばらくはなんの連絡も来なかった。

今までだと、ちょくちょく俺のスキーの予定を尋ねるようなメールが入ったりしてたんだけど、まあ捻挫でしばらくスキーは自粛してるのかなあ、くらいに俺は思っていた。


志賀のスキーから約1ヶ月。3月も下旬でそろそろシーズンも終わるころ、ふっと週末の予定があいた。どっか近場にスキーでも行こうかと思い、亜紀さんに連絡をいれてみた。そういえば、志賀でスキーした時の写真やなんかもまだ亜紀さんに渡せずにいる。ちょうどいい。

「亜紀さん、今度の週末、俺、スキーに行くつもりなんだけど、行かない?」

「今度の週末?どこへ?日帰りかなあ?」

「う~ん。そうだね、亜紀さん連れて泊まりってわけにもいかないだろうから日帰りかな。俺は別に泊まりでも気にしないけど。」

「何ゆーてるんだか。ちょっと都合みてからまた連絡するわ。」

おや?と思った。亜紀さんがスキーの誘いに乗ってこないなんて珍しい。

「この前の志賀の写真とかも預かってるから、よければ連絡して。」

と言って俺は電話を切った。


翌日、亜紀さんから日帰りスキーには行けない、という連絡が入った。だけどこの前送ってもらったお礼もしたいから、平日にちょっと飲みに行く時間なら作れるんだけど?と言われた。

じゃあ、ということで俺と亜紀さんは会社帰りに軽く飲みに行く約束をした。





俺と日帰りスキーに行った後、亜紀さんはずいぶんと自信がついたのか一人でもスキーに出かけるようになったみたいだ。バスや電車を使ってスキー場まで行き、スキースクールに入ってみたり、初心者コースを選んで一人で滑ってみたり。職場や友達どうしでスキーツアーの話が出れば、そこにも積極的に顔を出すようになったらしい。


そのうち俺は担当を変わって仕事で亜紀さんの会社に行くことはなくなったのだけど、俺と亜紀さんの付き合いは続いた。スキーシーズンが終わってからも、スキーの相談だ、なんだかんだと、ちょくちょく一緒に遊びに行ったり飲みに行ったりしていた。

俺が東京の彼女と別れる前も、別れてからも、亜紀さんとの付き合いは変わらなかった。


亜紀さんがスキーを始めて3度目の冬。その年は俺達スキークラブのメンバーで志賀へツアーに行った。

亜紀さんはずいぶん上達していて、それなりにみんなの後をついて一緒に滑れるようになっていた。

「亜紀ちゃん、そんだけ滑れるんやったら、今日のお昼、奥志賀まで行くか。みんなで奥志賀でランチしよう。ちょっと高級やけど、おいしいとこあるんや。」

と信介さんが誘った。多分、グランフェニックスか奥志賀高原ホテルのことだろう。

「そんなきついところないんだったら、行ってみる。」と亜紀さんは答えた。

途中の斜面がコブになってなきゃいいけどな、と俺はちょっと心配だったが、みんな一緒だしなんとかなるだろうと思うことにした。


亜紀さんは喜んでみんなの後をついて滑ってきた。森の中みたいな志賀の景色も気に入ったみたいで、おもしろい、おもしろい、ときゃあきゃあ言っている。途中、スラバンの急斜面にも連れて行ってみたが、おっかなびくり、途中で何度か転びながらも最後まで降りてきた。奥志賀のコブは、さほど深くなっていなかったので、信介さんが誘導してボーゲンと横滑りでなんとか亜紀さんを下まで下ろした。

「亜紀ちゃん、うまなったなあ、どこで特訓してるんや?」とランチの時に信介さんに褒められ「えへへ、秘密の『こそ錬』してるんですヨ!」と亜紀さんはにやけた。


が。

やはりこの奥志賀までのコースは亜紀さんにはちょっと厳しかったみたいだ。思ったよりも脚に疲れが来てるようで、帰りは行きに比べて断然転ぶ回数が多くなった。しかも、人がたくさん滑った後の午後のコースは、どこも雪面が荒れてきている。亜紀さんは途中からかなり辛そうになってきた。

宿まであと少し、というところで、亜紀さんは「あっ」と声を上げて不自然な転び方をした。疲れてきて、転倒しても体がうまくついてこない。足をひっかけた。

「大丈夫?」

亜紀さんの後ろを滑っていた俺はすぐに滑り寄った。

亜紀さんは起き上がらない。

「ひねった?」

もう一度聞くと、亜紀さんはうなづいた。

「あかんかもしれん・・・足首、ブーツん中でぐきっ!て言った。頭、一瞬真っ白になった・・・」

とりあえずパトロールを呼んでもらって、亜紀さんを宿まで連れて帰った。


翌日、俺は車で亜紀さんを連れて病院に行き、そのまま亜紀さんを家まで送ることにした。俺は亜紀さんの家もわかっているから、それがいいだろう、ということになった。

ふもとの病院に連れて行ってみたが、幸い骨には異常はなく、軽い捻挫とのことだった。

「来週には、スキーできますか?」と亜紀さんが医者に聞いた。

「痛みがおさまりゃあ、滑れんこたあないやろうけど、あんまりおすすめはせんね。ねんざはしばらく安静にしとくのが一番だからね。」と医者は言った。

「亜紀さん、来週もスキーの予定なの?」

「うん、ちょっとね。白馬で約束があるんよ。」


帰りの車内で、色々話すうちに、ふっと俺の彼女の話になった。

「ユウジさん、今年も彼女と北海道スキー行くん?」

「ああ、言ってなかったっけ?あれ、だめになっちゃった。」

「え!?」さすがに亜紀さんは驚いた顔をした。

「なんかやっぱ離れてるとねえ。だんだん疎遠になって。最後は電話でけんかして終わり。その後連絡ない。俺からも連絡してないし。」

「それって、別れよう、って終わったわけじゃないんでしょ?まだ終わってないって向こうは思ってはるんちゃうの?」

「ん~、でももう何ヶ月も連絡ないしね。ダメなんじゃない?」

亜紀さんはしばらく、なんと言ったらいいんだか、みたいな顔をしていたが「ま、ユウジさんも結構ろくでもない人やからね。しゃあないね。」とうなづいた。

「あのさあ、ろくでもない、ろくでもない、って言うなよお。こうして病院連れてって、家まで送ってやってるのに。」

俺が苦笑いしながら抗議すると、亜紀さんも笑いながら言った。

「そうやね。ありがとね。それに私もあんまり人のこと言えんからな。ろくでなし同士かもな。」


そういやあ、俺は亜紀さんに彼氏がいるとかいないとか、一度も聞いたことないなあ、と思った。







その月末、亜紀さんと日帰りでハチ北に行った。

俺は朝早めに車で家を出て亜紀さんを迎えに行き、リフトが動き始める前にゲレンデに着くことができた。

車の中で俺は亜紀さんに「眠かったら寝ててくれていいよ。」と言ったのだけど、結局亜紀さんは眠りもせずにしゃべり続けた。

ゲレンデでは、途中亜紀さんが「一人で好きなとこ滑りに行ってくれてもいいよ。私、だいぶ一人でも動けるようになったから。」と言ったのだけど、俺は今日はそんなにガンガン滑るつもりもなかったので、結局ずっと亜紀さんにつきあってのんびり滑った。


亜紀さんのいいところは、怖がらないこと、だった。

自分でスピードコントロールがうまくできない、ってこともあるんだけど、結構普通にすいすいと滑って下りていく。

「スピード、怖くない?」と聞くと

「怖くないわけじゃないけど・・・だって、止まられへんもん。だから、転ばないように、ぶつからないように、うまくバランスとりながら板の上に乗っかってる。」

「止まる時はどうすんの?」

「う~ん、いつも、止まられへんかったらどうしよう、ってびくびくしながら滑ってる。やけどまあ、『最悪あの辺で転べばいっか』って思いながら行けば、そんなに怖くもないかなあ。」


午後からは、初心者コースを脱して少し急な斜面に連れ出した。

「え!?こんな急なとこ、うち、滑れるかなあ!?」と亜紀さんは最初しり込みしたが、

「ボーゲンで、足をハの字でふんばったらいいからさ。俺の後ろ、ちゃんとまねしてついてきてごらん。」

というと、亜紀さんは神妙な顔をして、1ターンずつ、俺の後をついてきた。

俺にとっては、全然、どってことない斜度だが、スキー2回目の亜紀さんには十分怖いらしい。

斜面の中ほどまで来たところで怖くなって腰がひけたのか、「ぎゃっ!」と言って亜紀さんがこけた。こけたままずるずると斜面を滑落した。だけど雪は柔らかいし、たいした斜度でもないのでまずケガする心配はない。

俺は亜紀さんが落ちたところまでサーッと滑っていって、亜紀さんに手を貸して身体を起こしてあげた。

「ゲレンデマジックって言うけどさあ、ほんま、自分が滑られへんと、まわりで普通に滑ってる人たちみんな、頼りになる人に見えてくるよなあ。」と亜紀さんは言った。

「そうだろ?俺のこともちょっとは見直した?」

「そうそう。仕事だけやったらね、そんなバリバリできる人やとも思われへんからね。」

「なんだそれ、ひどいなあ。」


午後は少し早めに切り上げたが、途中の温泉で汗を流して帰路につく頃にはあたりは薄暗くなってきた。

時間的にもちょうどよかったので、神戸あたりで夕飯を食べて帰る事にした。

「あ、神戸寄るんだったら、せっかくだし夜景のきれいな道、通ろっか?」

別にいいよ、と亜紀さんがいうので六甲山の展望台に寄り道をした。

週末の六甲山は夜景を見に来たカップルでいっぱいだ。

「うわあ、やっぱきれいやわあ!」

車を停めると亜紀さんが声をあげた。

「そうだろ?前に彼女がこっち来た時にも連れてきてさ、そん時もすげー喜んでたから。」

「車がないと、こういうとっからの夜景は見られへんからね。近くに住んでても、なかなかこんなん見る機会ないわ。」


その後は新神戸のホテルに隣接したレストラン街で夕飯を食べて、亜紀さんを家に送った。

なんだか以前に彼女がこっちに来た時のデートコースをなぞったみたいだなあ、と俺が思っていると、亜紀さんがぽつりと言った。

「ユウジさんてさあ、結構ろくでもない人やよねえ・・・」

「なんだよ、それ?」

「いーやー。別に。ちょっとそう思っただけ。」

亜紀さんは「今日はありがとね、もう自分だけでスキーに行く自信ついたわ。次はどっかスクールでも入ってみる。」と言って車を降りた。

「うん。まあ、また機会があったら一緒に行こう。」

俺もそう言って手を振った。




ユウジ8 へ

亜紀さんと待ち合わせた店は、居酒屋といっても、グループよりは個人客をねらったちょっと落ち着いた雰囲気の店だった。俺達はカウンターに案内されたが、カウンター席もゆったりしていて窮屈な感じはしない。

「今日はわざわざ来てもらってごめんね。」と俺は亜紀さんに言った。

「いいえ、こっちこそ。この前のスキーではさんざんお世話になったから。ありがとうございました。」

亜紀さんはぺこりと頭を下げた。


「念願のスキー初体験、どうだった?」

「おかげでめっちゃ楽しかったよ!絶対また行く。」

「なかなかね、スキーやらせても、寒いとか、怖いとか、めんどう、とか言って、最近は、はまってくれる子少ないんだよね。」

「ああ、でもそれは、本人の好き嫌いもあるやろうけど、最初にどういうスキーをしたかによるんちゃう?私はすっごい親切に丁寧に教えてもらったから、怖いとかしんどいとか、ちっとも思わんかったもん。つくづく、うちはラッキーやったんやなあ。」

確かに。

第一印象というのはとても大事だ。最初に適当な装備や間に合わせの道具で体験したばっかりに「寒い」「雪が入る」「足が痛い」と言って続かないケースも多い。


「例えばさあ、」と亜紀さんは一緒に来ていた由香さんの話をした。

由香さんは、つきあっている彼氏に言われて何度かスキーをしたことがあるのだが、そんなにスキーに積極的ではない。彼氏がスキーに行きたい、というから、仕方なくつきあって始めたそうだ。

「やけど、普通の人なんてさ、よっぽど上手か根気があるかじゃないと、べったり初心者の相手なんかしてられへんやん。最初は彼が『教えてやる』とか言ってたらしいんだけど、最初の1時間くらいちょろっとつきあってくれただけで『俺、ちょっと滑ってくるから、お前ここで練習しとけ』ってほっぽり出されてしまってんて。」

「そりゃそうだろ。普通は初心者にちゃんと教えるなんて無理だって。せめて1日くらいはスクールで基礎やらせてからじゃないと。」

「そういう意味では、今回はほんまに皆さんによくしてもらって、私は恵まれてるな。信介さんにもお世話になったしな。またお礼言っといてね。」


その後も俺達はスキーの話や、たまに仕事がらみの話なんかで盛り上がった。

俺がよく行くゲレンデの昼ごはんの話をすれば、亜紀さんがこの前のゲレンデで食べた何がおいしかった、みたいな話をしだしてゲレ食談義で盛り上がる。

俺がレースの話をすれば、亜紀さんは滑った時のスピード感が気持ちよかった、みたいなことを楽しそうに話す。

もともと亜紀さんとは気が合いそうだから、今回もスキーに誘ったんだけど、2人きりで話していても全然会話が途切れることがなかった。むしろ帰り際に時計を見て「え!?もうこんな時間?」と驚いたくらいだった。


「今度の週末はな、由香ちゃんにつきあってもらって、とりあえずウエア買いに行くねん。この前の感覚忘れんうちに、早くまた次のスキーに行かなあかん、と思って。でも次は誰に連れてってもらおっかなあ。まだ一人で行く自信はないしなあ・・・」

俺は頭の中でスケジュール帳を思い浮かべた。スキーシーズン中は何かと予定がつまっているものだが、月末の土曜1日なら確かあいてたはずだ。

「なんならもう1ぺんくらい付き合ってあげよっか?俺、月末の土曜あいてるから、日帰りでよければハチ北かどっか連れてってあげれるよ?」

「ほんまに?う~ん、でも、毎回つきあってもらうのも申し訳ないしなあ・・・」

「でもまだ一人では滑りに行く自信ないんだろ?」

亜紀さんはずいぶん恐縮して悩んでいたけど、結局「スキーをしたい」って気持ちの方が強かったみたいで次回は2人で日帰りスキーに行く約束をした。


そろそろ帰ろうか、と言う頃、亜紀さんが俺に聞いた。

「そうそう、この前のお土産、もう彼女に渡せたん?」

「いいや。俺、彼女東京に置いてきちゃったから。ずっと遠距離でなかなか会う時間がないんだ。」

「そうなん?大変やなあ。彼女はスキーせーへんの?」

「するよ。来月一緒に北海道行く約束してるから。お土産もそん時渡す。」

「ほんまあ。カップルで2人ともスキーできたらいいよね。由香ちゃんとこみたいに、片っぽが無理にあわせなあかんとしんどいもんな。」

「まあね。でも毎回彼女としか滑らない、ってのはめんどくさいこともあるし、俺は俺で好きに滑りたい時もあるから、今くらいでちょうどいいのかもしれないな。」


お勘定をしてもらう時、最初亜紀さんは、世話になったお礼だから全部自分が払う、と主張した。

だけど、どう考えたって俺の方がたくさん飲み食いしてるし、あまり飲み屋で女の子が全額払う、ってのも連れの男性としてはかっこがつかない。

しばらく俺と亜紀さんは伝票を奪い合っていたが、結局亜紀さんが1000円分だけ多めに払う、ということで落ち着いた。


「じゃあ、またね。次のスキーもよろしくね。」

「うん、また日にちが近づいたら細かいこと連絡するよ。」

そう言って俺達は別れた。



ユウジ7 へ

亜紀さんのスキー初体験から数日後、会社でスキークラブの信介さんから呼び止められた。

「ユウジ、亜紀ちゃんに会う予定、あるか?この前のスキーん時の写真が何枚かあるんやけど?」

しばらく亜紀さんとこへは仕事の用事はなかったけど、別に亜紀さんの顔を見がてら写真くらい届けてもいいかな、と俺は思った。

「いいですよ。届けます。」

俺は信介さんから渡された封筒を開けて、中の写真を見てみた。

レストハウスの前でみんなで撮った記念写真や、教えてる最中に信介さんが撮ったんだろう、雪の中でひっくりかえって笑ってる写真なんかがあった。雪まみれになってる亜紀さんは、すごく楽しそうに大口を開けて笑って写っていた。

「亜紀ちゃん、素直でかわいいよなあ。こういう子が、もっといっぱいスキーやってくれるとええんやけどなあ。」

信介さんが言うのも無理はない。最近の若い子はあまりスキーをしなくなってる。どちらかというとボードの子が多い。うちのスキークラブも、平均年齢は毎年上がっている。

「大丈夫ですよ、亜紀さん、2日目もかなり喜んで滑って転びまくってましたから。」

亜紀さんは、結局2日目もほとんど俺と一緒に滑っていた。というより、午前中ちょっと一緒に昨日のおさらいをしていたら、他のみんなは隣のゲレンデに移動してしまっていたのだった。

しかしおかげでのんびり亜紀さんのペースで練習することができて、帰る頃にはほぼ一人でリフトに乗ってくるくるコースを滑れるようになっていた。

「ま、機会があったらまた遊びにおいで、って、亜紀ちゃんにはゆーといてくれや。」と信介さんは仕事に戻っていった。


俺はとりあえず亜紀さんの会社に電話をいれた。

「もしもし、亜紀さん?今日、会社にいる?」

電話口に出た亜紀さんは答えた。

「今日?実はこれから出かけなあかんのよ。なんかあった?」

「うん、たいした用じゃないんだけどさ。この前のスキー旅行の写真、信介さんが焼き増ししてくれて預かってるから、渡しに行こうかなあと思っただけ。」

亜紀さんはしばらく考えてから言った。

「今日の晩は、ユウジさんは予定あいてる?実は用事って、ユウジさんの会社の方やから、なんなら仕事終わった後、もらいに寄ろうか?」

「俺は予定は空いてるけど。でも別にそんな急ぐもんでもないしさ、無理してこっち来てくれなくてもいいよ?」

「いや、ほんまにちょうどその辺で用事なのよ。この前のお礼もしたいから、軽く一杯ごちそうさせてよ?」

俺と亜紀さんは、夕方6時に、俺の会社の近くの居酒屋で待ち合わせることにした。


亜紀さんとは仕事でしょっちゅう顔を合わしているものの、よく考えたら仕事以外で2人きりで会うなんて初めてだなあ、と、俺は思った。



ユウジ6 へ

信介さんばかりに亜紀さんの面倒を見させておくのも申し訳ないので、昼からは俺が亜紀さんについて滑ってあげた。

亜紀さんは、午前中半日でだいたいの滑るコツをつかんだみたいで、ゆるい斜面ならそれなりに一人でターンしながら滑れるようになっていた。明日は初心者の子供達と一緒に遊べるかもしれない。


さて、スキー場からホテルへの帰り。

ホテルからゲレンデまでは車で送ってもらったが、林道をうまく滑れば帰りはホテルのすぐ前までスキーで滑り込むことができる。当然みんなホテルまで滑って帰るつもりでいたのだが・・・

問題は亜紀さんだった。

林道は細いから、大きくターンする余裕はない。ところどころ急な下りになったり、逆に平らな道が続いたりする。

「亜紀さん、どうしよっか?みんなホテルまで、この細い道滑って帰るんだけどさ?」

「途中で落っこちたり、止まらんくなったり、怖いとこ、あるんかなあ?」

「う~ん、俺らにはなんでもないけど、亜紀さんにはちょっと怖いとこ、あるかもしれない。」

「でも、みんなこっちから帰るんやよねえ・・・」

亜紀さんは少し迷っているようだった。が、ただの林道だ、亜紀さん一人くらいなんとかなるや、と俺は思った。

「いいや、亜紀さん、なんかあったら助けてあげるし。どうしても滑れなかったら、最悪スキー板脱いで歩いて帰ればいいし。こっちから帰ろう。」

亜紀さんには俺のすぐ後ろをついてくるようにといって、俺は林道をゆっくり滑り出した。


最初はだらだら緩い下り坂が続く。途中でちらちら後ろを振り返ると、亜紀さんは、ターンできないので足をハの字にふんばったまま、緊張しながらまっすぐ滑ってくる。

途中から、少し斜度がきつくなった。やばいかな?とちょっと思ったら、案の定、亜紀さんはふんばれずに「あわわわわっ!」と声をあげた。自分で止まれなくなったのか、そのまま滑って俺の背中にドン、とぶつかった。

「ご、ごめんなさい!」

「大丈夫だよ。」

俺は亜紀さんの身体が暴走しないように前で支えながら、ボーゲンでゆっくりと坂道を滑り始めた。

「大丈夫。暴走しないように俺が止めててあげるから。安心して。俺につかまってくれても大丈夫だよ?」

亜紀さんはなんとか自分でスピードをコントロールしながら滑ろうとがんばっていたけれど、結局ほとんどの間、俺の腰にしがみついたままホテルまで滑って帰ってきた。


夕食前。俺がホテルの売店で土産物を見ていると、亜紀さんがやってきた。

「ユウジさん、今日は、ありがとう。色々迷惑かけてごめんなさい。でもめっちゃ助かりました。」

亜紀さんは照れながらお礼を言った。

「あ~、あれくらいなんてことないよ~。それより、亜紀さん、スキーおもしろかった?」

「うん、めちゃ楽しかった!誘ってもらってよかったわ。これで自分でもスキーに行けるな。」

「亜紀さんが、またスキーやりたい、って今日思ったんだったら、連れてきたかいがあったな。」

話していると、亜紀さんは俺が手にしているお土産を見つめた。かわいいジャムのセットだ。

「もしかして彼女にお土産?」

「うん、そう。」

俺は答えた。亜紀さんには、俺に彼女がいるなんて話したことはないけれど、別に隠すことでもない。

「そうなんや、信州、ジャムおいしいもんね。じゃ、私お風呂入ってくるから、また後で」

そういって亜紀さんは去っていった。



ユウジ 5 へ

亜紀さんは、会社の同期で何回かスキーをやったことがある、って女の子と一緒にうちのクラブのツアーに参加することになった。


「スキーする時って、どんなかっこするの?靴とか、何履いたらええん?」

「ん~、ウエアとか手袋とかゴーグルとか、そのへん一式は誰かに借りれると思うし、板とスキーブーツもレンタルで大丈夫だよね。だから、スキーウエアの中に着るもんだけ用意してこればいいよ。」

「だからあ。そのスキーウエアの中が、みんなどんなかっこしてんのかがわからへんねんてば。スキーブーツって運動靴履いてから履くん?」

さすがに、俺もこけた。スキーやったことない人って、そんなとこからわからないんもんなんだ。

俺は亜紀さんに、厚手の靴下やフリースのトレーナー、脚はスパッツか厚手のタイツでも用意したらいいんじゃないかと教えてあげた。


さて、スキーツアー当日。亜紀さんの友達は、多少は滑れるってことで子供達と一緒のグループに入り、亜紀さんは全くの初心者ってことで、とりあえず初日は指導員の資格を持っている信介さんに一から教えてもらうことにした。それこそ、ブーツの履き方、板の履き方、立ち方から、って感じで。

「じゃあ亜紀さん、スキーの板を履く時は、ブーツの底に雪がついてるとうまく履かれへんからね、まずブーツの雪をちゃんと落とすようにしてください。こんな風に、ストックでこんこん、ってブーツ叩くと雪が落ちるから。」

亜紀さんは、言われて申し訳程度にブーツを叩いているがとても雪が落ちるような叩き方ではない。まあ、初めてのことだからそんな力加減もわからないんだろうけど。

スキー板を履こうとするけれど、ブーツに雪がついたままだから、当然うまく履けずにもたもたしている。

「あ~、まだ靴に雪がついてるんやわ。足、ちょっと見せてみ。」

親切な信介さんは、かがんで亜紀さんの足をかかえ、靴の裏についている雪を落としてやっている。まるで、じいやだ。


しばらく平地で板の扱いに慣れさせた後、信介さんは亜紀さんを初心者コースのリフトに連れて行った。

リフトの乗り降りは実はスキー初心者にとっては最初の難関だったりする。乗り場や下り場は微妙に傾斜だったりするし、通路の幅もせまくて人が前後にいるから、初心者には身動きとるのも難しい。

案の定、亜紀さんはリフト乗り場に続くちょっとした傾斜で立ち止まって順番を待っていることができず、ずるずるとずり落ちていってしまう。あんまり運動神経がいい方ではないらしい。信介さんが必死で抱きかかえるようにして亜紀さんをひきづり、リフトに乗せていた。

「全くの初心者って、大変だよなあ・・・信介さん、面倒見がいいから大丈夫だけど」と俺はちょっと離れたところから様子を伺っていた。


リフトから下ろされると、一応亜紀さんはよちよち歩いてコースの上までやってきた。

「亜紀さん、ほしたら、そこで足をハの字に開いて立ってみて。」と、ボーゲンから教えるつもりで信介さんが声をかけた。

「ハの字、ですね?」

亜紀さんは、ちょっと斜面から乗り出しすぎた。でもって、多分、どこをどうふんばったら斜面で止まっていられるのか、全く感覚がつかめていなかったに違いない。

亜紀さんが板をハの字に開いて下を向いて立ったたとたんに、板が滑り出してしまった。

「げっ!?」「まずいんちゃうん?」俺は亜紀さんの後ろに立ってた信介さんと顔を見合わせた。


びゅーっ。板をハの字にしたまま、亜紀さんの体は直滑降でどんどん斜面を滑り下りていってしまう。

「お~い、亜紀さん、止まれ~!!」

信介さんが叫んだが、無理な話である。ここで止まれるくらいなら、最初から滑り出しちゃったりはしないだろう。

亜紀さんは、直滑降のまま、転ぶことも曲がることもせずに斜面の一番下まで滑っていってしまった。

それ以上滑っていくと、レストハウスにぶつかりそうな勢いだ。

「ぶつかる!」と俺達が思った瞬間、亜紀さんが転んだ。足をとられて、とか、つまづいて、とかって感じではなく、まるでスライディングでもするかのように横っ飛びに転んだ。


信介さんと俺は慌てて亜紀さんのところに滑って行った。

「亜紀さん、大丈夫!?」

亜紀さん、開口一番

「スキー、めっちゃおもしろい!びゅーって滑るん、めっちゃ気持ちい!!」

信介さんが恐る恐る聞く。

「転んだけど、大丈夫か?足、ひねったりしてへんか?」

「大丈夫やよ。だってちゃんと自分で転んだから。私、止まり方わかれへんからさ、こりゃ転ぶしかないなあ、と思って。転んでも痛くなさそうなとこ選んでわざと飛びこんでん。」

「・・・」

「なあ、最初っから転ばんとこんなに滑れるなんて、私もしかしてスキー向いてるかもしれへんなあ?」

本人はニコニコご満悦な様子だが、俺や教えていた信介さんは冷や汗もんだ。


「よし、亜紀さん。まずは止まり方から練習しような。」

気を取り直して信介さんが言う。

「あ、ついでに上手な転び方も教えてください。」


まあなんにせよ、亜紀さんが初スキーを楽しんでくれてるみたいで俺はほっとした。



ユウジ 4 へ

俺と亜紀さんは結構長いつきあいだった。なんてったって、俺は亜紀さんが初めてスキー履いた日を知ってるくらいだから。

亜紀さんは俺が仕事の営業で行った先の社員だった。

亜紀さんは直接の担当者ではなかったけど、何度か亜紀さんの会社を訪問するうちに話をするようになったのだ。


ある時、雑談をしていて趣味の話題になった。

「俺、冬場はスキーばっかですよ。会社のスキークラブに入ってるんですけど、合宿やったり大会出たり・・・。やっぱり競技やるとタイムで結果出ちゃうから、どんどんはまっちゃいますね。」

「へえ、スキーかあ。ええなあ。実は私、スキーやったことないんよ。」

「え、嘘?珍しいんじゃないですか、亜紀さんの世代にしては?」

その頃は下火になったとはいえまだスキーブームは続いていたし、俺より1つか2つくらい年上の亜紀さんの年代だったら、学生時代にさんざんスキーで遊んでいた子の方が多いはずだ。


「なんか学生時代は部活とバイトで忙しくってさあ、暇がない、お金がない、ってゆーてるうちに終わってしまったし。会社入ってからもなんか行きそびれててね。今年こそ、スキーするぞ!と思ったら地震にあってそれどころやなくなってしまったし・・・結局今までスキーしたことないまんまやわ。」

ああ、阪神大震災の時か、と思った。俺はその時はまだ関西にはいなかったけど、俺の周りでも地震の時大変だった、という話は未だによく聞く。

「いっぺんスキーやってみたいなあ、って思ってるんやけど、なかなか機会もないしなあ。わけわからんんから、いきなり一人では行かれへんし、かといって今さら『私をスキーに連れてって!』とかも言いにくい年やしなあ・・・」

別にスキーくらい、お安い御用なのに、と俺は思った。そういえば、近々ちょうどクラブのスキー旅行がある。今回は練習、というよりは、メンバーの家族や友達も来たりして慰安旅行みたいな企画だ。別に部外者が遊びに来たって問題はないし、クラブの中には教えるのが上手な人もいるから、スキー初体験するには結構いい環境かもしれない。


「亜紀さん、今度うちのクラブの旅行があるんだけどさ、今回は家族とかも呼ぶお遊びみたいな企画だから、よければ亜紀さん遊びに来て見る?指導員やってる人とかもいるし、毎年初心者の子供が来たりもするから、一緒に教えてもらえると思うよ?」

「え、そんな全然関係ない私なんかが行ってもいいの?」

「大丈夫、大丈夫。結構友達連れてくる人もいるし、今回はトレーニングとかじゃないから大丈夫だよ。みんないい人だしさ、教えるの上手だよ。一人が来にくかったら、誰か友達誘って一緒にこればいいんじゃない?」

「ほんまに?じゃあちょっと考えてみる。」

俺は、決まったら連絡くれるように、と自分のプライベートの携帯番号を亜紀さんに渡した。



ユウジ 3 へ

その日、仕事が休みで昼間からぶらぶらパチンコをしていたら、俺の携帯が鳴った。

相手を見るとスキー仲間の先輩からだった。その時は、ちょうどいい感じで出てる最中だった。そろそろ来シーズンのニューモデルのブーツや板が出てくる頃だし、どうせそんな誘いだろう、と思ってとりあえずほっておいた。

パチンコ屋を出てから先輩に折り返しの電話をかけた。

「もしもし?ユウジです。すみません、さっきは電話出れなくて。ちょっと取り込み中だったもんで。」

「お~、ゆうじ、大変や、お前、亜紀ちゃん仲良かったやろ?亜紀ちゃんが電車にはねられた。」

「え!?」

俺は一瞬何を言われているのかわからなかった。


「えと・・・先輩、電車にはねられたって、どういうことですか?」

「昨日、駅でホームから落ちて、電車にはねられたらしい。詳しいことはわからん。」

「じゃあお見舞いとか・・・?」

「いや、もうあかんかったらしい。また連絡するから、お前、数珠用意しとけや。」


俺は混乱したまま電話を切った。

電車にはねられた・・・?数珠・・・?あかんかった・・・?

それらが、亜紀さんが電車にはねられて死んだ、って意味だとわかるまで、しばらく時間がかかった。


亜紀さんはスキー仲間の一人だけど、仕事関係でもつながりがあったからスキー以外でもよく連絡をとっていた。仕事以外でも、ちょくちょく飲みに行ったり遊びに行ったりしていたんだけど、最近はちょっとしたことがあって俺からはあまり連絡をとらないようにしていた。別に避けていたわけじゃあないんだけど。


ちょっとしたこと。

最後に会った時、俺は亜紀さんに思いっきりビンタされた。

ビンタされても仕方ないかなあ、という思いが半分、俺ビンタされなあかんようなことしたかなあ、という思いが半分。

俺は亜紀さんとは、かなり仲がよかったから。


ユウジ 2 へ