新宿オペラシティ。

久しぶりの写真展。


初めて彼の作品を見たとき

頭を殴られた感覚だった。




人の作品の意味を考えるのではなく

感じることしかできない。




そこで、

感じることで

自分の感覚を確かめるような

そんな作業をしている気がする。


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他人の作品の中に
自分を見つめる機会が

眠っている気がして。




でも、展示の仕方は考える。

写真は日本ではまだまだメディアや記録の

意味合いが強い。



ロンドンで自分の作品が

人に認められれば

1枚何万円でも払ってでも

飾りたい、と言ってくれる方がいた。


実際、ロンドンでは約70枚ほどの

私の写真が

誰かの家に飾られたんだろう。

(売れた枚数的に、、、)


写真も絵も

人が生み出した作品は

人の目に触れて

初めて価値がある。


見られなければ

存在していないのも

同じだ。



「私はこんな作品を撮ります。」

それは

「私はこんな人間です」

と、表現の一部になる。


だから、いつまでも

完璧にならない。


完璧にならないから

人間味があって

味が出る。


だから、やめられないよ。



もっと、たくさん撮りたい。

触れたい。

自分をむき出しにする

そんな作品残したい。



これは、一種の存在欲だ。