*fun-filled*

*fun-filled*

楽しいこと、たくさん探そ。

Amebaでブログを始めよう!

今、この辺りは、以前の姿を取り戻しつつあります。


歩道で通行を邪魔していた漁船、乗用車の隣に並んでいた、駐車場のボート。


綺麗に片付けられました。


被災して休業していたお店も、ほぼ、復活しました。


幹線道路沿いはちょっと見、分からないくらいです。


でも、ところどころ、被災した時のまま、手をつけられていないお店もあり、


そんなところは窓ガラスや壁に、津波の跡がくっきりと残っています。


わたしの背丈くらいだから、150、160cmはあるでしょう。


裏道に目をやると、津波にながされ、用水路の上にまたがったままの家があったり。


避難している人もまだいらっしゃいます。


信号機が壊れたままのところは、他県のお巡りさんが交通整理して下さっています。


胸が苦しくなる風景が今もあります。


もうすぐ半年。


たくさんの人に支えられて生きているんだと、しみじみと、感じた半年でした。


今この時、この星に存在しているみなさん、そして存在していたみなさん。


本当に本当にありがとうございます。



当たり前の日常が幸せだと確信した半年。


あれが欲しい、これが欲しいと物欲いっぱいでしたが、実は足りないものなどなく、


必要なものはちゃんと持っていたんだと目が覚めた半年。


まだまだ、元の生活に戻れない方が沢山いらっしゃいますよね。


わたしも出来る事を探しながら、一緒に生きていきたいと思っています。




少しずつ震災前の生活にもどりつつあったこの日、また大きな余震がおきました。


眠りにおちてすぐの23時32分。


どん!と大きな突き上げに飛び起き、すぐそばで寝ていた次男の上に


おおいかぶさりました(震災以来、怖くて、家族で居間で寝ていたのです)。


わたしには、激しい縦揺れに感じました。


家中あちこちで物が落ちる音や、食器が落ちて割れる音がします。


揺れている時間は短かったのですが、やっぱり停電になってしまいました。


揺れがおさまってから懐中電灯で台所を見てみると、食器棚の食器が


割れて散乱していました。


居間からトイレへの動線上なので、とりあえず通り道になるところを片付けて、


怪我をしないようにだけしました。


外は真っ暗。闇より暗いという表現がぴったりでした。


車で慌てて出て行く人たち。津波の注意を呼びかける防災無線。


緊急出動したらしい、自衛隊のヘリの音。


すべてが不安をあおりました。


車で高いところへ避難するという旦那さんと少しもめたのですが、渋滞に巻き込まれて


かえって危険だと反対し、防災無線の、津波の予想高が1mというのを聞き、


家にこのままいることにしました。


いつでも動けるように、服を着たまま休みました。



翌朝、やっぱり停電したままです。


そして電気と連動して水も出ません。


当然のことながら、タイマーセットしていたご飯も炊けていません。


旦那さんは会社へ行かなきゃだし、ご飯どうしようと思いつつ、ガスを試してみたら、


つ、点きました!嬉しい~!


やったことないけど、鍋で炊いてみようか?


始めチョロチョロ中パッパ、だよね。


弱火ではじめて、強火・・・ちょっとちりちりと音がしたら、コンロからおろして


蓋をしたまま、しばらく蒸らす・・・。


こんなもんかな、と、適当に蓋を開けてかきまぜてみたら、なかなか良い感じです。


ちょっぴりおこげも出来ていて♪


家族にも高評価をもらいました。


ライフラインが一つでも生きているのは心強いです。



この日、わたしは公休日。


旦那さんを送り出した後、早速部屋の片付けに取り掛かりました。


職場も気になったのですが、家の中が大変なことになっていたのです。


食器は、普段使いのものがほとんど壊れてしまっていました。


夕べ取りきれなかった破片があちこちちらばっています。


二段タンスは上半分がまっ逆さま。


一体どうしたらこんな落ち方をするのか・・・



半日がかりで片付け、子供と外の様子を見に行ってみました。


ガソリンスタンドは長蛇の列。


お店も、店先だけで限られた商品だけの販売。


一ヶ月前に逆戻りです。


みんなで頑張ってもとの生活に戻れるようにがんばってきたのに・・・



17時15分頃、電気が復活しました。



3月15日


休みをもらったので、食料調達がてら、市内の様子を見ようと自転車で


出かけました。


行きなれた道を進んで行き、ゆるいカーブを曲がると・・・


風景が一変しました。


道路脇に寄せられた瓦礫、家から運び出した家財道具。


疲れた表情でそれらを運んでいる人々。


見慣れた街のあまりの変わりように、そこから進む事ができませんでした。


家からほんの数百m先です。


こんなことになっていたなんて。言葉が出ませんでした。



引き返し、違う道を行くと、信号機が機能していないところが多数ありました。


歩道はあちこちヒビが入っていたり、陥没していたり。


自転車で行けるところのスーパーは出来るだけ回ってみましたが、


どこも長蛇の列でした。


精肉や生鮮食品は扱っていないけど、ちょっとした食料は勤め先で手に入るので、


なにも買わずに家に戻りました。



3月17日


この日、やっと勤め先スタッフ全員の無事を確認出来ました。


車を流されたり、津波で家を失ったりしたかたもいましたが、


生きていて本当に良かった。



3月18日


職場の電気が復活したので、レジが動くようになりました。


本格的にお店を営業するため、この日一日使って店内のお片づけ。


家では水道が復活しました。



3月23日


ツイッターで、今なら並ばなくても買い物が出来るよの情報を得て、近所のスーパーへ。


久しぶりの精肉を手に入れることが出来ました。


ただ、どの商品棚もスカスカでした。


土地柄、野菜は豊富にありました。



3月24日


次男の卒業式。


避難していたあの教室で、私服での卒業式。


手に入れにくい状況にもかかわらず、綺麗なお花が教壇に飾られていました。


また、避難している皆様で、花道を作っていただきました。


皆さん、大変な中、祝福して下さってありがとうございました。


忘れられない卒業式となりました。



3月29日


この辺りのスーパーでは、並ばなくてもお買い物が出来るようになり、


品物もそれなりのものが手に入るようになりました。



4月5日


11時、待ちに待ったガス供給再開!


東京ガスの方でした。






朝、目が覚めると、視聴覚室としての役目もある避難先の教室のテレビが


大音量でついていました。


まだ寝ている人がいます。


一番近くにいたのはうちの家族だったので、こんな早朝に迷惑でしょと


旦那さんを諌めたのですが、旦那さんも困惑していました。


おれも迷惑だと思っていたんだけど、あそこにいるおじいさんがつけろって・・・。


えぇ~ガーン


もっと他人に気を配ればいいのに。


それでもテレビに目をやると、とんでもない映像とニュースが流れていました。


津波、原発事故・・・


三日分の情報がいっぺんに飛び込んできて、暗い気持ちになりました。


こんなことになっていたんだ・・・



電気が復活したので、とりあえず家に戻る事にしたのですが、


我が家はまだ通電していませんでした。


同じ敷地でもブロックが別れていたようです。


ただ、水道が出ました。


とりあえず、わたしはこの日も仕事だったので、職場へ。


ほぼ前日と同じ作業で、同じような時間に帰宅。



家族は家にいました。


で、旦那さんはおにぎりを大量に作っていました。


どうしたのかと聞くと、この辺り一帯を回って、リサーチしていたんだそうです。


電気はつくか、どんな状況か、水は出るか。


そのうちの一軒のお宅で、炊飯器を持ち込んで炊かせて頂いたそうなのです。


見ず知らずの他人に、あ、ありがたい・・・。


リサーチして出た結論は、水が出ているのは、通電済みの敷地にある、


貯水タンクのおかげみたいだということです。


電気が復活したおかげで、タンク内の水が送り出されているみたいだと。


あわてて、お風呂を綺麗に洗い上げ、新しい水を溜め込みました。


水は確保したし、ご飯もあるし、電気がなくても気を使わない家にいるほうがいいと、


家で過ごす事にしました。



22時頃、我が家も電気が復活しました。





ちっとも休めないまま朝を迎えました。


8時までに出勤しなければならないので、行く前に一度家に帰りました。


明るいうちに、ちょっとづつでも片付けないと。


うさぎさんとかめきちにもご飯をあげて。



出勤途中の道は、人の往来が激しかったです。


通りかかったお店のまわりは、どこも長蛇の列。


勤め先のお店にも昨日以上に人が並んでいました。


本当に大丈夫だろうか。


新たに来たパートさんやアルバイトさんもいて、従業員はそれなりに揃いました。


昨日の打ち合わせどおり、なんとか店先のみに並べた商品を、点数制限を設けて


販売しました。


慣れない作業、続く余震、なかなか減らないお客様。


用意した品物はどんどんなくなっていくのに、まだまだ並ぶお客様。


これ以上並ばれてもお売りする商品がなくなってしまうので、


妥当なところで今並んでいるお客様までで今日は終わりですと、区切りをつけました。


休憩なしで2時過ぎまで頑張りました。


のどはからから、食欲がないからと食事をちゃんととっていなかったため、


余計に疲れを感じました。


店内にあった期限切れのパンを昼食としてとり、また、明日の準備です。



一度家に戻ると、誰もいませんでした。


まだ、避難所か。


ただ、部屋の中が片付いている。


旦那さん、片付けてくれたんだな。


昨夜は寒くて仕方がなかったので、アウターの下にまたアウターを着込み、


レッグウォーマー、アームウォーマーでしっかりガード。



避難所では小型ライトを天井に向けて照らしていました。


みんなでこうすると、ほんのり部屋全体が明るいのです。


夜、出入りする人のため、なにより明かりが恋しいので点けていたのですが、


使い続けたせいか、電池が切れました。


暗い中で電池を入れ替えようと、寝転がりながらごそごそしていたら、


周りがちょっと明るくなったのです。


誰か新たにライトを点けてくれたんだなと、思いながら、なおも電池の入れ替えに


四苦八苦していると、外に出ていた旦那さんが声を掛けてきました。


「電気、復活したぞ。」


慌てて身を起こすと、小学校の廊下に煌々と明かりが灯っていました。


ああ、綺麗だなあ。涙が出ました。


こんな夜中に通電するなんて・・・


電力会社の人が寝る間を惜しんで復旧作業してくれていたからでしょう。


感謝の気持ちでいっぱいでした。


周りの人は疲れきって寝ているようで、ほんの一部の人しか気付いていませんでした。


23時のことでした。