4日目以降、少しずつ食事がとれるようになって1週間後には暇だなって思うほど体力回復した。

 

相変わらず部屋の人たちはうるさいけど悪い人達ではないので顔を合わせればお話するくらいにはなった。

しかしよく1日中喋れるな。めっちゃ元気やん笑

 

もう一つの悩みは点滴。3日置きくらいに刺し直すからだんだん刺せるとこがなくなってくるし、失敗されたりするから腕が真っ青。

私の血管が細いせいなんだろうけど。

テープ被れも酷かった。

 

この頃から母が疲労心労でやつれてきてて。毎日見舞いに来てくれるのは嬉しかったけど、申し訳なさでいっぱいだった。

早く元気になって退院しなくちゃ!と、頑張ってご飯食べた。

 

体調が良くなっては悪くなっての繰り返しで、クレアチニンも上がるばかり。

友達が遠くから見舞いに来てくれるのは嬉しかったけど、自分が置いてかれている感覚がした。心配してくれているのに最低だなって思った。

 

入院2日目3日目も吐いて吐いて吐きまくって水分すら摂れない。

頭痛もひどくなるばかり。

 

私が入った病室は詰所からいちばん遠くて比較的元気な方が入院してたんだけど、元気な分うるさい。おばちゃんだからかもしれないけど。

 

頭が割れそうなくらい痛いときに大声でしゃべられるのはほんとにきつい。

入院3日間で何度もナースコールしている自分の方が迷惑をかけてると思い我慢した。だんだんナースコールするのも申し訳なくなってトイレに籠るようになった。トイレ入るとき点滴棒がめっちゃ邪魔よな(・ε・)

今思えばこれが良くなかったなと思う。

体調が悪くて入院しているんだからそれは仕方ない。最初に言っておけば後から言いにくくなることもなかったな(´・ω・`)

 

入院なんて幼稚園のとき以来(手の腱を切った)だから全く勝手がわからない。

感心したのは毎朝、主治医が様子を見に来ること。

私だけじゃなく担当の患者全員の話を聞いて回ってる。

なるほど。お年寄りに人気の病院だけある。

でもそれが鬱陶しかった。なんか胡散臭い先生だと思ったごめんさい←

 

体調が悪いうえに廊下側のベッドだったからまったく光が入らず、蛍光灯の灯りでおかしくなりそうだった。

毎日、母が来てくれることだけが救いだった。

このとき母は人工透析は免れないことを主治医から聞いていたらしい。

岐阜市の個人医院ではわりと名の知れた大きな病院。

とりあえず退院は未定のまま。

母がすぐに来てくれて、病室に入ってすぐ点滴を受けながら書類にサインしていく。

入院に必要なものを母と確認しながら一度家に帰りたい。母では荷物をまとめられない。と言ったら夕食までに戻るってゆう条件付きで帰宅できた。

母でも全然大丈夫だったんやけどね( ´⊿`)y-~~

 

とにかく一旦家に帰りたかった。荷物だけまとめてコンビニでお茶と水買って。

戻ったらすぐ夕食。すきやきかなんかだったと思う。

腎臓病の食事は不味いって聞いてたけど意外にそんなことなかった。

もともと薄味好きだから薄味なのは全然平気。白米好きだから低たんぱく米はなかなか慣れなかったなー。

 

そうこうしてる内に面会終了時間になってしまって、帰り気を付けてね、おやすみ~って母が帰っていった途端に寂しさと不安が押し寄せてきてね。

4人部屋だし声押し殺して泣いた。

ひとりになってやっと!やっと!!大変なことになったって実感した。

私はなんて頭が悪いんだろうね。

 

帰り際の母の顔。悲しいような心配しているような不安でたまらないような自分を責めているような、あんな表情させたことなんて一度もなかったのに。見る事なんてないと思ってたのに。

 

寝る前に母に

「ごめんなさい。言うこと聞いて早めに病院に行けばよかった。こんなことになって本当にごめんなさい。これ以上悪くならないように頑張るから。」

ってLINEして。既読スルーだったけど母もいっぱいいっぱいだったんだと思う。

 

夜中に何度か吐いて動悸もひどく1日目は全然眠れなかった。

きっと母もそうだったと思う。