ダメ人間、脱却日記。
ちょっと鬱鬱な過去を振り返るブログです。
備忘録というか、記憶の棚卸しというか。
あとは、うつ病やらACやらで闘病・脱却中の人の参考になればと思って書いてます。

たまに息抜きに日常書くけど、そんな時はミドルテンション。

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日常記事以外の各記事はコメント拒否なので、コメント用記事を設置しています。
掲示板的にお使いくださいな。

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内容がアレで荒れやすいブログなので、コメントは承認制です。ご容赦。
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10)逃避ロジック1

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ちょっと脱却記からはズレてしまいますが、当時私がなぜ寝続けていたかについて振り返ってみました。
正確には、逃避についてなんですが、長くなっちゃったので、2回に分けてます。
もしかしたら、どこかの誰かの、治療の参考になるかもです。
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起きてる間、私の頭の中は、四六時中、絶えず何かを考えていた。

私は、後でこれを「ぐるぐる思考」と呼ぶようになった。
答えのない思考が、延々頭の中で ぐるぐる と回るので「ぐるぐる」

 「あー、頭がぐるぐるしてるー」
 「ぐるぐる考えてるー」
 「ぐるぐるが続くー」
 「ぐるぐるさんが~ぐるぐるさんが止まらない~」

みたいな感じ。
困った症状に名前付けると、気分が少しだけ軽くなります。ハイ。

「ぐるぐる思考」はうつ病が治った後、ACだとかなんだとかゴタゴタした頃まで続いた。


 それは旦那に対する恨み言だったり、婚家で築けなかった自分のライフスタイルだったり。

 時にはニュースに対してだったり、目の前の物体から連想する悲しい思い出だったり・・・。

 自分の挙動に関した批判だったり、未来を絶望したり。

 時には、とんでもない3段論法で、自分を追い込んだり責めたり、悲壮感に苛まれたり。


とにかく、意識のある間は「思考し続けて」いて、さらに「自分を責め続けて」いるのだ。
大変疲れる。

 得に入浴中が酷かった。
 入浴という目的以外、何もできない・何もない場所なので、延々と考えてしまう。
 湯船に浸かったまま、疲弊して動けなくなることもあった。
 (多分、トラウマ以外にも、こういう理由もあって、お風呂を敬遠していたのだろう。)


はっきり言って、無駄な自分苛めです。

客観的に見れば、ただの自意識過剰で、被害妄想で、マイナス思考過ぎる。

健全な精神では理解しがたい。

もっとも、今だから、笑って言えるんですがね・・・


ただ、病気になってる本人はいたく真面目という点が問題。
「思考」している物事が「真実」だと思っているから、他者の助言なんぞ、受け入れられない。
(周りの人間は、さぞ辟易してたことでしょう、マジでゴメン・・・)

さらに困るのが、どう考えたって、「自分が悪い」という結論に行きつくスパイラルに嵌っている事。

ニュース見て、最終的に「自分が悪い」に行き着くって、どんだけ頭イカレてるんだ、と思うが・・・。


真面目な話、これが 自分ではもう止められない境地になっちまってる と、ものすごく疲労する。

注意は散漫になるし、朦朧とするし、酷い時は行動と思考が一致していない事(乖離状態と言うらしい)もある。
後で、何をしたか良く憶えて無いなんてのも珍しくなかった。

 例えば、何かの数を数えようとする。
 数えてるうちに、「ぐるぐる思考」がどこからともなく湧いてくるので、集中できない。

 何度数えても、途中で数がわからなくなる。

 「ぐるぐる思考」でストレスを感じ、集中できない事にストレスを感じ、
 何倍もの時間をかけて、何かをしていることにストレスを感じる。

 ストレスが通常の3倍という按配。



この、嫌な思考のスパイラル から逃げる対策・・・・・・つまり、逃避するには、寝て意識を失う(思考を止める)のが手っ取り早いのだ。

精神的な疲れもあって眠くなる、というのは、こういう理由じゃないかと思う。


最終的には、逃避できて、思考が止まればいいから、「寝る」以外でも構わない。
方法は人によって様々だと思うけど、私の場合は、

 1.寝る

 2.TVを見る

 3.ネットを徘徊する

の3つが、主な逃避の手段だった。

9)ダメ人間な生活がはじまる

最初の数日は本当に病人みたいだった。

 寝る、食べる、薬を飲む、また寝る。

とにかく、早く自室に籠もりたい(むしろ、布団に逃げ込みたい)から、食事は手早く食べる。

トイレに行くのを、不必要に我慢してたこともある。

お風呂も気力が湧かないと入らない。

「入れ」といわれると、「ちゃんとしないと、また責められる」という感覚に陥る。
婚家で風呂が共用だった事を思い出すからだ。


 入らないと悪く言われる(に違いない)、今は入りたくないと言えない(言っちゃいけないに違いない)
 好きな時間に入れない
(許されるわけがない)


何故か、そんな風に考えてしまう。
突き詰めれば、私の心の中の問題なんだけど、その所為で、酷くストレスを感じていた。

 生活のリズムが乱されてるように感じて、不快感と脅迫感に襲われる。


 この目前のいやな感覚がどうにか解決しないと、次の事にも進めないと感じる。

 こんな些細な事で、先に進めない(まともな生活が出来ない)私なんて、終わってると自責する。

 「終わってる」ということは、もう何をやってもダメに違いない。


そんな風に、一つの事を、クルクルと考えてしまうので、生活の全て・自分の挙動の全てが何か義務感に急かされているように感じてしまう。

何だか良く判らない思考の所為で、今度は目が冴える。

入浴する気になれないまま、TVを見たりして逃避する。

そのまま、夜中になるまで落ち着かない。

夜中を過ぎると、家からも、外からも、人が活動してる音が無くなる。
そうすると、今度は安堵して、自由な気持ちになる。

落ち着いて、少し冷静になる。

ところが、その頃には両親も寝てるし、水音が近所迷惑になるので、お風呂なんて入れない。
風呂の湯も冷めてしまっている。

結局、入りそびれて、何もすることが無くなる。

無くなるんだが、目が冴えてしまったので、何かして過ごす。

そのうち夜が明ける・・・


日が昇るのを眺めながら、規則正しい生活が送れないダメな自分を責める。
激しく後悔してはいるが、昼間の雑踏に恐怖を感じて、また布団に入る。


横になると、薬の所為もあって、昼過ぎまで目が覚めない。

起きたら、何か食べて、薬を飲む。

また寝る。

夕食に起きて、また寝る。

母がお風呂に入れと急かす。

また、落ち着かない感覚で夜半まで過ごす。


と、悪循環になり、めでたく昼夜逆転の生活になった。

普通じゃ到底考えられない、ダメダメな生活の幕開けだった。

8)気になる事がある

実家に着いたのは、22時前だったと思う。

本当は時間なんて覚えていない。
旦那の帰宅時間、婚家と実家の距離、食事の時間を考えて、だいたいそのくらいだろうって時間だ。

だから、実家に着いた後、荷物をどうやって運んだのか、何がどうなったのか正直覚えていない。

布団に入って、すぐに眠った。

着替えたくないし、お風呂なんて入りたくないし(良く考えたら、2日入ってないことになる)、とにかく何も考えず眠りたかった。

一つだけ気になることがあった。

メールだ。

この期に何を・・・と思う。バカじゃないかと思う。

だが、何故か、この状態を他の人に知られたくないという気持ちがあった。
(この気持ちは、結果的にまた悪い状態を引き起こしたのだけど)

荷造りの時、着替えや薬よりも、パソコンと携帯を最優先で選んだくらいだから、まぁ、ネジがズレてたことを差し引いても相当気にしてたんだろう。


とはいえ、その頃の私の友人といえば、月イチくらいで連絡を取る地元の同級生、車で1時間くらいの街に越してきてた幼馴染、趣味サイトで知り合ったメル友くらいで、リアルタイムの私を知る友人は皆無だった。

私は、婚家の近くに友人が居なかった。いや、出来なかった。
まず、近所には同年代が居ない。
狭い町だったので、家や旦那との繋がりが無い知人も居なかった。
というより、婚家に馴染むことに必死で、作るタイミングを失ったままでいた。

そんなわけで、友人と呼べる人は皆、遠方だったのだ。

離れている友人(この顛末を知らない友人)には、まだ普通の私と思われていたかった。
いや、思われていなくちゃいけないと感じていた。

病気が恥ずかしいんじゃない。

言っても理解してもらえない。
たとえ理解してもらえても、私が悪いと言われるに決まってる。
じゃなかったら、敬遠されるに違いない。

と、思い込んでいたのだ。

だから、「レスしなきゃ!レスが滞ったら、何かあったと思われる!」と、変な脅迫感を持っていた。


それでも、その日は何もできなくて、ただ眠った。

家に置いてきたペットの事も気になったが、それより、眠気が勝った。

前日のように、気を失うような感じではなく、純粋に「寝たい」と思った。


今度は、夢を見た。

中身は覚えていないが、酷く急かされる夢だった。

7)父のこと

その頃、私は実家の父と断絶状態だった。

家族の恥部をここで告白するのもどうかと思うんだが、私の母は我が家で一番の難題だ。
会社だろうが、趣味サークルだろうが、どんな環境でも必ず敵視する人間を作る体質で、家の中でも頻繁に癇癪を起こす。
本人は無意識らしいのだが、あちらとこちらで言う事が違うため、家族同士を揉めさせることも多かった。
(そんな母に対してでも、依頼心を持っていたのは複雑な気分だが・・・)

で、その母が嗾けたせいで、私と父は1年半ほど絶交状態になっていた。


それでも、娘が錯乱したと聞いて来てくれたのだから、父にも何か思うところがあったのかもしれない。

父は、それまでの事は何も言わなかった。

ただ、黙って「家に帰るぞ」と言った。

父が母と一緒に来たと判った瞬間は、正直、恐怖感があった。
詰られると思った。

だが、私には何も言わず、責めず、旦那と二人で車に荷物を積み、義父母や伯父に当たり障りのない挨拶をし、黙って車を出した。

本当に、父は何も言わなかった。

ただ、連れて帰るのが当たり前のようにして、婚家を(結果的に)逃げるようになった私を責めなかった。

今、この状態で何をどうすることも出来ないのに、ひたすら対応策やら原因やらを捲し立てている母の言葉も、ゆるゆるとかわしてした。

途中、高速のサービスエリアで夕食をとった。

私には丸々1日半ぶりの食事だった。

( ああ、そういえば・・・昨日のお昼から何も食べてない・・・ )

一瞬そう思ったが、食べたくなかった。
空腹感さえ感じなかった。

でも、食べないといけない気もした。
動物的にというより、連れてこられたので、食べないと責められる気がしたのだ。

だが、食事より、他者の反応に落ち着かなかった。

私はどうでもいい部屋着のままで、バスタオルを被った珍妙な姿だ。
店の店員も奇妙な顔をした。
空腹云々より、他者の反応のほうがずっとずっと気になった。

母も体裁を気にしたのか、苦笑いして「バスタオルくらい、取りなさいよ」と言った。
だが、父はそれを制した。

その頃、まだ私は自分の病気の本当の正体も、原因も掴めていなくて、父にどう接していいかも判らなかった。
正直、気まずかった。

絶交していた父に助けられていることが、屈辱的にも感じられた。

目の前にある、気まずい空気をどうにかしたくて、一言だけ言った。

「迷惑かけて、すいません。しばらくお世話になります・・・。」

私は黙って、運ばれた料理を食べた。

食べる速度はいつもよりずっとずっと早かった。
味なんてどうでもよかった。
砂か、石でも食べてるようで、ぜんぜん美味しいと思えないし、濡れた紙が喉を通っていくみたいで、気持ち悪かった。
むしろ、食事という行為をしている自分に罪悪感を感じていた。

(こんな状態でも、いっちょまえに食事をするんだ。もう人として終わってるのにね)

と、見えない誰かに嘲笑されてる気もした。

でも、食べないと死ぬから食べた。
早く食べ終わって、店から出たかったから食べた。


父は少しだけ、困惑と驚きが混ざったような顔をした。

6)普通の対応

バスタオルは、その後1、2年は私にとって無くてはならないアイテムになった。

被ってると安心する。
何も見なくていいし、誰からも顔を見られないですむ。
窓の外に気をつける必要も無いし、タオルの柔らかい手触りがなんとなく安心できた。

屈強な壁より、締め切った部屋より、布団より、ずっとずっと強力な防護壁だった。
いつでもどこでも、被っていられるし、持ち運べる。
なんて素敵なアイテムなんだ、バスタオル。


・・・と、説明できるのも最近になってからで、当時は直感的に「これを被りたい!」と思った。


バスタオルを被った私は、勝手口の前に停められた、実家の車に乗ろうとした。

・・・乗ろうとして、ある人物に気付いた。

それは旦那の伯父で、私達の仲人をしてくれた人だった。

( なんでこんな日にここにいるんだ・・・ッ )

数ヶ月に1度、来るか来ないかで、他の親戚より顔を合わせることが少ない旦那の伯父が、よりによって今日、最悪の状態の私の前に現れるなんて・・・!

しかも、普通は通らない勝手口の前に居るなんて!

私は青くなり、何も言えなかった。
急いで車に乗り、後は旦那と両親が何とかしてくれと思った。

おそらく義父母から何か聞いて、心配して見に来たのだろう。
まだ古臭い因習がまかり通っていた田舎だったから、こういう時の対応は仲人が・・・なんて反応もありえなくない。

そう思うと、大した挨拶もせず、申し訳無い事をしたと思う・・・。


今でも思うのは、私の病気について一番良く知っていたはずの旦那が、一番間違った対応をしていたということだ。

私のお気楽な旦那は、「気力でなんとかなる」とか「薬を飲めば治る」といった風に考えていて、いくら口で説明しても判らなかったらしい。

私がうつ病と診断されてから数年、彼が私の病気に理解を示したことは無かった。
「自分に出来ることは何かあるか?」という素振りすら無かった。

それは悪意でなくて、想像できなかったのだと思う。
薬で治るような、身体的な疾患と同じように考えていたのだ。


旦那でさえそうなのだから、婚家の家族に判るわけがない。

心配し、説得し、諭すような、当たり前の対応が適切だと、誰もが思っていたんだろう。

おそらく、伯父が来ていたのは、そういった当たり前の対応のひとつだったのだ。
(結果的には逆効果だったのだけれど・・・)


あの時、「尋常ではない」と考えていたのは、実家の父だけだと思う。

5)バスタオル

( 電話が鳴ってる・・・ )

翌朝、職場からの電話の音で意識だけは戻った。
ただ、布団から出て起きる気力が湧かない。というより、音が怖いので、出るどころじゃない。

亀のように布団に潜る。
電話に出なきゃいけないと思ってはいるんだが、怖くて布団から出られない。

お気楽な旦那は、こんな状況になっても一晩寝たくらいで私が元に戻ると思っていたのか、または職場に行くと思っていたのか、自分で休むと言えると思ってたのか、私の職場に連絡してくれたりはしなかったらしい。

やがて、電話の音は止んだ。

その後、しばらくして、母屋の義母が職場と電話してるらしい声が聞こえた。
職場が母屋に掛け直してきたのだ。

婚家は小さいが、古い商店を営んでいた。
田舎の何でも屋だ。
常時人がいるから、掛け直してきたのだろう。

義母が何か、私に声をかけている気もする。

人と顔を合わせたくない私は、決して布団から出なかったし、声も出さなかった。
昨日縛ったドアノブの紐を旦那が解いてるるかもしれないし、ますます出るのが怖くなった。

そして、また眠った。
もう、何もかもどうにでもなれと思っていた。

次に目が覚めたのは夕方だった。
実家の両親が来た音で目が覚めた。

勝手口に人の気配を感じ、私は両親かどうかを確認した。
そして、両親以外は人が居ないかどうかも執拗に確認した。

多分、旦那と義父母と両親で、何か話はしたんだろう。
内容は知らないけど、私はしばらく実家で休むことになった。

着替えと、とりあえず必要なものをまとめて、父と旦那が車に積んだ。
部屋から出るのが怖いから、自分で積めない。

けど、車に乗るまでの数メートルは外界の中を歩かないといけないわけで・・・

何かで防護しなきゃ・・・と思い・・・

私は、直感的にバスタオルを取り出して被った。

4)寝るというより気絶

うつ病が表面に出る時、突然体が動かなくなったとか、起き上がれなくなったなんて話をよく目にする。
私は専門家じゃないし、今更、自分の症例が何だったのか追及する気もないから、当時の事を詳しく分析はできないのだけど、そういった無意識の抵抗というより、錯乱に近かった気がする。

理性に対する心理と身体のストライキというより、錯乱寸前で理性が意味不明に動いてた感じ。

今でも、思い起こすと、「恐怖で心臓が止まりそう」な感覚が思い起こされる。
「死なない」為には何かしなくては・・・と思ったのかもしれない。

実はその頃の私は、うつ病に特有らしい「死にたい」という衝動がまだ無かった。
(そういう感覚は、もっとずっと後になって湧いた)

まだ、もがいてたんだ。

ただ、どうしてあんな行動に出たのか、何がそこまで私を疲弊させたのかは、今でも良くわからない。
振り返ると、当時の私の環境は、それ程のストレスでもないように思うこともある。

今の私なら、乗り切れたかもしれない。
(最も、あの時期があり、休養があるから、今の私なのだけれど)

ただ、その当時の私は、仕事場でも家でも、本音を言える人が居なくて疲れていた。
誰かに愚痴を言ったら、回りまわって町の知り合い皆にバレるんじゃないかとビクビクしていた。
風習も違う、昔からの友人・知人もいない土地全体からの重圧。
なかなか話し合いができない旦那との関係。
それと実家の父母との拗れた繋がりで、四苦八苦していた。

どの方向を向いても、「自分」が理解されていないと感じて、自分が消えていくような感覚に陥っていた。

だから、これ以上消えてしまわないように、最後の抵抗をしようと考えたのかもしれない。


台所に蹲ってから旦那が帰ってくるまで、おおよそ1時間弱は記憶が朦朧としている。

義母が私を呼びに来た気もする。
いや、夕食の支度があるから、義母は呼びに来たと思うのだが、怖くて聞かないようにしてたのかもしれない。
(別に作った台所は全く使われることなく、食事は一緒になってしまっていた)

義母の名誉の為に書くと、彼女は別に怖い姑でも、鬼でもない、優しい人だった。
明るくて、人懐こくて、人付き合いの上手な人だった。

義母は、いつもと様子の違う私を心配し、驚いていたと思う。

私が怖かったのは、特定の個人ではなくて、私以外の他者全てだったのだ。



とにかく、旦那が帰ってくるまで、台所の隅でじっとしていた。

実を言うと、旦那が帰ってきた後も、良くは覚えてない。
彼は何か言ってた気もする。

何を言われても私は「怖い」としか言えなかった。

ひたすら繰り返した。
「怖い、お母さん呼んで、お母さん、怖いから、お母さん呼んで」

それから後も良く覚えてないのだけど、旦那に諭されて布団で寝たような気がする。
けれど、台所から動けないと思い込んでいるから、簡単に布団に入ったはずはないんだ。

だから、うっすらとだけど、「寝室では身を守れない」といったような事を言ったような気もする。
「母屋との境の扉を使わないで、紐は絶対解かないで」と言った気もする。

旦那が、その事を、他の家族にどう説明したかは今も知らない。

諭されて布団に入った私は、翌日の朝まで眠った。

いや、眠ったというより、意識を失ってた。

3)とにかく怖かった

文字通り、「這々の体」で荷造り紐を買ってきた私は、震えながらドアノブと近くの柱を結んだ。
母屋からは入れないように、何重にも、しっかり結んだ。

それから、仕事用のソフトスーツを脱ぎちらかして、部屋着のワンピースに着替えた。
ソフトスーツなんて、「まとも」でいるために着てるような服、息苦しくて、悲しくて、着てられなかった。

部屋着のワンピースは夏用のノースリーブで、秋口の夕方では涼し過ぎたけど、寒い事より、恐怖のほうが勝っていた。
その時は、上着を着ようとか、他の服に着替えようなんて少しも思わなかった。

着替えてる間にも、何か怖い事が起こりそうな脅迫感で落ち着かないくらいなのだ。

もう普通にしてることができない(と思い込んでる)私は、今の自分を他人に見られる事に、異常な危機感を感じていた。

もう精神力で乗り切れない。
だったら物質的に外界と自分を遮断しなきゃ。
隙を作ちゃだめだ。

その時の感覚を、どう言っていいか今でも判らないけど、とにかく怖いのだ。
人に会うのが怖い、物音が怖い、何も無いはずなのに、何か起こりそうで怖い・・・

たとえ家族でも、顔を合わせたくない。
ご近所さんの話し声、道端の会話、車の音、全て聞きたくない。
旦那でさえ、危害は加えないと判っている程度で、信用できないと思い込んでいる。

なんだか、世の中の全部が私を監視して、嘲り、笑ったり、非難してくるように感じていた。

怖くて仕方ない私は、とりあえず外から部屋内が見えないように、カーテンと雨戸を閉めた。
締めてる間も他者に見つからないだろうかとビクビクした。

それから、部屋の中で安全を確保できそうな場所を探した。

寝室はダメ。行き止まり。何かあったら逃げれない。
それに、道路に面した窓があるから、誰かが覗くかもしれない。

居間もダメ。母屋から見える。
隠れる場所が無い。

数分ほど、部屋の中をうろうろした末、磨りガラスと塀で、外からは見え難い台所を選んだ。

私は台所の隅にうずくまった。

2)極限は奇行

事件というのは、大したことじゃない。
私が仕事で出ている間、姑が私達の部屋に入った(ことが判った)のだ。

姑が部屋に入ったこと事体は、特に責めるべき事でもないと思う。(個人的には良くないと思うが)
その時の私には、十分な引き金になったというだけだ。

怖い・・・。
もう、世の中で身を守れる場所が無い・・・。
精神まで、ずかずかと侵食されてる気がする・・・・
もうだめだ・・・限界だ。

 
匙を投げた瞬間、私がまずしたことは、コンビニで荷造り紐を買うことだった。

その頃住んでた家は、半2世帯住宅。
お風呂と洗濯は他の家族と共用だが、トイレと台所だけが増築された「離れ」(というより、増築した部屋)が、当時の私達夫婦の部屋だった。

「離れ」と他の家族が住む「母屋」の間には、申し訳程度のドアがある。
その扉が、私のプライベートと外界を隔てる境界線だった。

私にとって、砦ともいえるドアなので、それを完全に封じてしまおうと考えたのだ。

ただ、ドアには鍵が無かった。だから、紐で縛る事にした。


離れの部屋には勝手口があったが、鍵は私と旦那しか持っていない。
母屋との境の扉を封じてしまえば、この部屋に入れる人間は、私と旦那だけになる。

境になってるドアを閉めれれば、旦那意外の人間は私の”世界”に侵入してこない。

侵食が防げる!防がなきゃ!


・・・今考えると、尋常な思考回路じゃないと思う。

もっとも、今だから、そう思えるんだが、その時は真剣に、自分を守る方法はこれしかないと考えていた。
もう、あまり良く覚えてないけど。


今でもはっきり覚えてる事といえば、コンビニまで履いて行った靴が、右と左で違ってた事くらいだ。
確か、旦那の2つあったサンダルを、右左別に履いてた気がする。

隣近所が親密な田舎の町だったから、「あそこの嫁はどうしたんだ?」と思われてたかもしれない。

私は、誰とも目を合わせないように下を向き、とぼとぼと歩いた。

( 靴が違う・・・ )

うっすらと思ったが、そんなことは重要じゃなかった。

裸族ってみました。

ウツウツな脱却記はおいといて。

たまに日常でも書いておこうと思う。


というか、現在の私はタオル被ってないし、ふつうに働いてるんですけどね。


今日は仕事前に裸族になってみました。


ダメ人間、脱却日記。-ラーゾック☆



ぴぐ、結構楽しい。
ナツカシのUO思い出すわ。


関係ないけど、シラタさんと友達30人計画って立てたんだっけ。
酒の勢いで。

シラタちゃ~ん、5人ふえたよ~☆

・・・ぴぐで・・・。