五千円札は

津田梅子さん 元祖 ケジョですねー乙女のトキメキ

ヘレン ケラー

ナイチンゲールと親交があり

女子高等教育に生涯を捧げた人ラブラブ

身分の区別ない女子教育を目指し


近代日本女性の教育に貢献し

女性が教育を受け職業を持つようになる

時代の先駆けとなった人ですねラブラブ

Story 


元幕臣の父 津田仙氏の次女として

現在の東京都新宿区で誕生


仙氏は 蘭学を学び アメリカに留学

明治維新にちょんまげを切ってしまうほどの

改革派の人物で 様々偉業を

成し遂げたお父様です♪


農業技術の研究 学農社農学校の設立

青山学院(現在の青山学院大学)の創立や

筑波大学付属盲学校の前身である

楽善会訓盲院の設立にも尽力


足尾銅山の被害地救援運動や

閉山運動にも尽力し支えました

また いち早くキリスト教を学び

日本人初のメソジスト派キリスト教徒

でもあります! そんなの娘が梅子さん


明治時代に 仙氏が 北海道開拓使次官の

黒田清隆氏と知り合ったことで


梅子さんの運命は動き始めますうずまき


黒田氏が女子教育にも関心を持っており

仙氏もそれに同調し当時6歳の梅子さんを

海外留学させることに地球

広い見識と型にとらわれない考え方を

なさるからこその素晴らしいご決断‼︎

1871年(明治4年) 欧米視察に派遣した

岩倉使節団と一緒に渡米アメリカ

女子の官費留学生 第1号


山川健次郎氏 (エール大学留学)の妹の

山川捨松さん (後の大山捨松さん会津藩家老の娘 山川 咲子さんのこと)


益田孝 (三井財閥を発展させた実業家であり大茶人)

の妹永井繁子さん


津田塾大学を創立することになる津田梅子さん

の3人でしたドレスドレスドレス


ワシントンDC近郊のジョージタウンに住む画家の

ランマン夫妻の家に預けられ

父親への手紙も英語で書きラブレター

14歳のときに 私立女学校へ進学し

ピアノ 語学 英文学 自然科学 心理学 芸術を学習

アメリカの初等 中等教育を受け


11年後の1882年(明治15)に帰国飛行機

旧友の再会 左から 津田梅子 アリス ベーコン 

瓜生繁子 大山捨松


帰国後に外務卿(現在の外務大臣)

井上馨氏から夜会への招待が届き 

伊藤博文氏に再会し 英語の指導や通訳として

雇われる事に


ここで梅子さんは 伊藤博文氏から

下田歌子さんを紹介されます乙女のトキメキ

歌子さんは 桃夭女塾を開いていた方で

華族女学校創設準備に加わり

明治天皇の内親王の教育係を引き受け

女子教育調査のためロンドンへ留学し

ビクトリア女王会見も果たし 帰国後

実践女学校の設立した女性チューリップ


このご縁で 梅子さんは

日本語を覚えて 日本でリスタートを切りますふんわり風船星

さらに

華族女学校の英語教師に推薦されます

華族=元公家 元武家のお嬢様が通う学校🌸


(山川捨松さんは伊藤博文の依頼で下田 歌子さんと

ともに華族女学校(後の学習院女学部)の設立

準備委員となり 津田梅子さんやアリス ベーコン

さん達教師として招聘するなど その準備に貢献します しかし 開校した華族女学校の授業は古式ゆかしい 儒教的道徳に沿った男尊女卑の教育内容だったので 山川捨松さんは 失望する…)


華族女学校で教鞭をとる一方

ヘレン ケラーさんを訪問したり

ナイチンゲールさんと会見したり 

ヨーク大主教とも会見

精力的に活動を続けます乙女のトキメキ

しかし 日本女性が置かれていた状況では

せっかく身につけた西洋の学問や生活習慣 見識を

女性が活かせる場所はなく…


カルチャーショックを受け

女性の地位向上のために

自分自身で学校を作ろうと決意乙女のトキメキ

自分の意思で再び渡米し 

ブリンマー大学で生物学を専攻します

再び留学したことにより

女子教育を広める大切さを実感ラブラブ


帰国後は再び華族女学校に勤めながら

明治女学院でも講師を務め

女子教育の支援を積極的にスタート

学問は 環境よりも意欲

 少人数教育を提案


1900年(明治33年)

父やアリス ベーコンさん(捨松さんの親友  ホストファミリーの末娘) 梅子さんと一緒に留学した 大山捨松さん(大山巌氏の妻)が 瓜生繁子さん(永井繁子)にも声をかけ 彼女たちの協力を得て

津田塾大学の前身 女子英学塾を創設乙女のトキメキ

大山捨松


大山捨松さんは 日本に帰国後 

参陸軍卿 大山巌氏と結婚 伯爵夫人となり

鹿鳴館の華と呼ばれた方


女子英学塾は 英語を通じて視野を広げ

国際的教養のある女性を育成

することが目的‼︎

ここで

身分にとらわれない女子教育 

を実現すべく邁進していきます乙女のトキメキ


日本の女性の地位を向上させる必要性から

みずから自由な教育ができる学校を作ろうと考え


1910年東京の麹町

女子英学塾(現在の津田塾大)を創設


梅子さんは 女性が社会に出て役に立てるような

実用的な教育を目指したのです地球

現代では 女性の地位 大学進学 就職など

当たり前かのように思ってしまいがちですが


津田梅子さんが 今の日本の女性の地位を

開いて 高めてくださった

類稀な先駆者としてご活躍なさった事を

感謝しながら 五千円札を使いたいなぁ札束


今 この時代になって さらに

教育の素晴らしさ 大切さの原点を

お教えくださっているのだと思いますラブレター


そして 人のご縁とは いかに素晴らしいかと♪

ご縁を大切にしていきたいと思います♥️♥️♥️



今日も楽しくハッピーな1日にチューリップ



Love & Thank U 女の子ラブラブ