soliloquy of a girl
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11月3日

あれからもう一年が経つ…

カラオケに行くと、母は決まってある曲を歌う前に、

「もう、大丈夫でしょ?」

と私の顔色を窺いながら聞く。
もう大丈夫だよって笑顔で答えてはみるものの、
本当は耳をふさいでしまいたい気持ちで必死に次歌う曲を探してる振りをする。

あの歌を聞くと鳥肌がたつ。
一年経った今でも。

去年の11月5日、友達からメールが入った

「死んでたわ。自殺だった」

大学に入ってかなり仲良くしていた友達が20才という若さで命を絶った。
一人暮らしをしていた彼の自宅に様子を見に行った友達が発見した。
その時流れていた曲が「あの曲」

その知らせを聞いて私は何がなんだか分からず予定通りバイトに行った。
今思えばその神経が分からない。
でも、ただただ実感が湧かなかったんだと思う。

それまで近い人の死に直面したことがなかった私は、
「死」というものがあまりに現実味のないものだった。

彼はとても優しい人間だった。
気持ち悪いくらい優しくて、何でこんなに優しいんだろうって不思議に思った
でもそれは単純はことで、
彼自身がすごく弱かったから、
助けて欲しかったから、周りにいつも優しかったんだなって
彼を失ってから気付いた。

悔しかった。
もっとしてあげられることはあったはず。
人間の人生とは、生きた年月の長さで決まるものではないし、
死んでいく者がそれで満足だったなら何も悲しむ必要はないはず。
それでも…
自分のことでいっぱいいっぱいになってた私は、
彼のSOSにちゃんと答えてあげられなかった。

彼がどんな気持ちで死んでいったか、知る由もない。
笑顔で死んでいったのか、苦しくてたまらなかったのか
一人になるのが大嫌いだった彼は一人で死んでいって…
そしてそのまま2日も放置されていた
寂しかったよね…

ほんとにごめんね

棺の中にいる彼を見て、
初めて本当にお別れなんだって知って
かなり取り乱した覚えがある。

自らの命を絶った彼を恨み
彼を助けられなかった自分を恨み
一人の人間がこの世から消えたというのにいつも通り学校はあって普通に電車はくる
そんなことも恨んで

でもその一週間後、不思議なことが起きた
夢に彼が出てきてくれたのだ。
彼はいつも通りの笑顔で、
「オレはもう大丈夫だから、ほんと、お前、がんばれよ」
そう言ってくれた。
今でも鮮明に覚えている。

あの夢以来、私は立ち直ろうと決心した。
彼に恩返しすることのできなかった優しさを、
大事な人にたくさんたくさんあげる、
そう決心して前に進むことにした。

それがあって今の彼氏と付き合うことになって
たくさんの優しさをもらっているしあげているつもり。

大切な人、家族、友達、
みんなに支えられて私はここまで生きてこれたんだ。
だからみんながいるうちに、
自分が生きているうちに、
たくさんたくさん優しさをあげようってそう今は思っている。

今でも学校の生協で彼に似たような人を見かけると
もしかして…
なんて思うけど、
彼はもういない
でも一生私の中では大切なものをくれた人として消えることはない。

Sleep in peace...

幸せ

母に不思議な質問をされた。

「ママのこと、幸せだと思う?」

私はこう答えた

「それ相応に幸せなんじゃない?」

「それ相応って?」

と、母。

母は、私に言わせれば決して楽な人生を歩んできた人ではない。
だから、
「幸せだよ」
の一言で表すのが失礼な気がした。

私だって、
たいした人生じゃないけど、
「○○は幸せだね」
と一言ですまされたらシャクな気がする。

一応少しくらい努力してますから…
みたいな。

でも
銀河鉄道の夜で言う「ほんたうの幸せ」
なんてないと思う。

仮に人がみな「幸せ」だとしたら、
些細な「不幸せ」探しが始まるに違いない。

むしろ、
人間はみんな「不幸せ」の中から些細な「幸せ」
を探してるんじゃなくて、
「幸せ」という状態の中で
些細な「不幸せ」を探してるのかもしれない。

だから誰も「幸せ」に見えない

部分的に見れば私だって幸せなこともたくさんある

でも
「ほんたうの幸せ」
なんてものは存在しないんじゃないかな。

だって人間だもん

うつつつつつ

どうすればイイかわからない。
一生を左右し兼ねない決断なのに
どうしたらイイか分からない。
挙句の果てに
家にも帰れなくなってて
どうしたらイイかわかんなくて
渋谷で立ち尽くしてた。
ほら、また泣いてる。
涙がとまらない。
これが欝ってやつの仕業なら
早くどっか行っちゃってほしい。
欝は絶対に治りますって言われたけど、
ここまで付きまとわれると、
欝のいない生活が思い出せなくなる。
台風一過のごとく
ある日目覚めたら
雲がいなくなって
何もかもがキラキラで
私も輝けるんだろうか。
「欝のいた日々が懐かしいな~」
なんて言ってみたり。
ぷぷっ
ちょっと面白い。
あ~私病んでるね。

序章2

私は帰国子女。
小学校2年生から日本の中学入学直前までNYで過ごした。
今思えばたったの4年だけれど、
その4年が、今までも、そしてこれからも私の人生を大きく左右していくに違いない。

私はアメリカ人になりたかった。
髪を金髪にして、ピアスの穴をあけて、親と英語で話して。

NYに着いて、すぐその場所を気に入った。
幼かったから、新しい環境に馴染むのに抵抗を感じなかったのだろう。
家も、庭も、食べ物も、スーパーも、人も、何もかも大きくって、
感激した。

初めNYの現地校に入ると、同じ学年に日本人が数人いた。
案の定、その中では、「新しい子いじめ」が即座に開始する。
それに耐えてそれでも日本人とくっついていようとする子がほとんどなのだが、
私は元々気が強かったのだろう、
自分がいじめられることなど許せなかった。

そうして現地の子と仲良くなるよう努力した。
最初は会話など全く成り立つわけもなく、
”YES,YES”と笑顔で頷くしかなかった。

それがいつからだろう、もう思い出せない、
何不自由なく友達と話せるようになっていた。
ESLといって、授業を抜け出して、日本人の先生に日本語を教えてもらうプログラムも半年もしない内に卒業していた。

日本人同士でくっついてばかりのくだらない子達を尻目に、
私は英語もぐんぐん上達し、アメリカ人の友達がたくさんできた。

アメリカ人になりたかった。
幼い子供にとって、「周りと違う」ということは何よりもいやなことだ。
私は日本人だった。
別に日本人であることが恥ずかしいとかではなく、
こんなにアメリカに馴染んでいるのに、
それでも日本人であることが悲しかった。

周りの子達は、私が日本人であることを気にしていなかったと思う。
自分達と同じアメリカンだと感じていたのだと思う。

それでも、家に帰れば親は日本人だし、日本語の塾にも通う。
だから家で英語しか喋らなかったこともあったし、
アメリカ人っぽく、"night"と言って親のほっぺにキスする習慣をつけたことだってあった。
今思えばくだらない。

形式的には日本人、でも実質はアメリカ人

私はそう思っていた。
私はアメリカ人。

アヴェ・マリア

私の一番といってイイくらい好きな曲
シューベルトのアヴェ・マリア。

宗教的な歌なのに、なぜか悲しい。

「美しすぎる悲劇」を連想させる。

宗教もある意味、「美しすぎる悲劇」だからなのかもしれない。

イエス・キリストには妻子が在ったらしい。
そんなことが知れ渡ってはキリスト教が成り立たないと、
皆その事実を知りながらひた隠しにしてきたらしい。

それが唯一描かれているのが
ダヴィンチのかの有名な「最後の晩餐」

現在でもこの話はキリスト教者の中でタブー視されているらしい。

そんな事実があるにも関わらず、
何かを信じることができる人間の根幹にある美しいとも言える信仰心と、
それ故に起きる様々な戦争。

何かを信じることは美しくもあるが時としてとても悲しい。
信じる力はその者を支配し善くも悪くも操ってしまう。

「西洋人はフィクションを基に生き、日本人はファクトを基に生きている」
そんな言葉をいつだったか聞いた覚えがある。

フィクションを基に生きているからこそ、
9.11のとき、ブッシュはハリウッド映画の一場面の様なばかばかしい演説ができたのだろう。
フィクションを基に生きているからこそ、
あのグラウンド・ゼロにfreedom towerと称してアメリカ独立記念の年と同じ高さ、1776フィートという世界一の高さを誇るビルを建設しようとするのだろう。

日本であったら、もう今まで以上に目立たないように、目立たないように、
そう考えて建設するのではなかろうか。

この違いに唖然としながらも、
何かを信じることができる心というものに惹かれないわけでもない。

人間の信じる心とその力とは、つくづく面白いな、と思う。

強い人間になりたくて

私は弱い人間だ。
それは百も承知。
生まれつきなのかそう育ったのか、知らないけど、
私は弱い人間だ。

そんな私は「強い人間」になりたいと思ってきた。

高校のとき、私はテニス部のキャプテンをしていて、それがものすごくハードだった。
私にはカリスマ性があるわけではなく、努力して「キャプテン」をやっていた。
あのときはほんと辛くて、悩んでばかりで。
そのストレスで私は親友にあたり、家族にあたった。
親友はそんな私を見捨てるでもなく、ずっと傍にいてくれた。今でも大の親友だ。

そんな自分を私は大嫌いだった。悔やんだ。
自分が好きでやっていた部活、好きで引き受けたはずのキャプテン。
なのにえらそうに周りにあたっていた。

この経験から私は「強い人間」とは、好きなことをしている時くらい、どんなに辛くても笑っていられる人なんだ、って思った。

現在私は司法試験の勉強をしていて、予備校に通っている。
予備校を始める前に自分に誓った。
どんなに勉強が大変でも、弱音を吐かないで、笑っていられる人でいる、と。
だって好きで通わせてもらっているんだから。

私はいつでも笑うよう努力した。

そしたら欝になった。
私より忙しい人なんて周りにもたくさんいる。
なのに私は欝になった。

ほんとバカらしい。

笑っていようと一生懸命になって、気付かないうちに溜め込んでいたらしい。

今となってはなかなか笑えない。
回復しつつはあるものの、薬がなくては体調は悪く、眠ることができない。
そんな自分が惨めで恥ずかしくて薬を飲む度、涙を呑む。

「そんなんでエグってんじゃねーよー」ある人にそう言われた。
彼は冗談半分で言ったのだろう、私の心には重くのしかかった。

何で私はこんなに弱いのだろう。

誰か教えてください。
「強い人間」って何ですか?
どうすれば「強い人間」になれますか。

序章1

そろそろ書こうと思う。
私がこのブログを始めた理由の一つ。
この旅についてどうしても綴っておきたかった。

私は今年の夏1ヶ月ほど母とNYへ旅行へ行った。
何故一ヶ月も?
と思われる方も多いだろう。
私は昔NYに住んでいたことがあって、ただの旅行ではなかったからだ。
私には故郷へ帰るようなものだった。

…行く前はそう、思っていた。

お誕生日☆

日付が変わってしまったので昨日、10月23日は彼ピの誕生日。
待ち合わせ時間を一時間間違えるという大失態をおかしてしまったけど、とても幸せな一日だった。
おいしい焼肉を食べてるときの幸せそうな彼の顔。
プレゼント渡したときの嬉しそうな顔。
でこピンし合ってじゃれ合う時間。
何か全てが愛おしくって
忘れたくなくて。
自分じゃない誰かの嬉しそうな姿にこんなにも幸せを感じれる。

おまけに彼が私達の11ヶ月記念の手紙を書いて渡してくれた。
すごく、泣きそうなくらいうれしかった。

小さな幸せに救われた日。
小さな優しさに救われた日。

何か頑張れそう。

お誕生日おめでとう♪
ダイエットは明日から笑
でぶでぶなおじさんになっても一緒に誕生日祝ってあげるから安心して。
あんな幸せそうな君の顔が見れるなら。

社会復帰

最後にブログを書いたのは10月3日…
早2週間も経ってしまった。
気付かないうちに。

そう、気付かないうちにストレスに虫食まれていた私の体は
何気にいっちょ前に自律神経失調症に。
多いんだって、最近。

あの時のだるさといったら表現のしようのないもの…
永遠とベッドにいたくって、
気持ち悪くって、頭痛くって。

私としたことが、彼との大事な日を忘れてしまうほど、毎日を生活している気がしなかった。
そんなことも怒んないで見過ごしてくれた彼にはほんとに支えになってもらった。

はあ~2週間冬眠してた気分だな。

でももう今日から社会復帰しましたの。
ほどほどにね。
笑って笑って。
キラキラな人々に囲まれて、支えられて、笑えないわけがないもの。
それを再確認できた貴重な、もう二度としたくない体験でしたとさ。

人は一人じゃ生きていけないもろいモノだけど、
他の人を支えられるすごいたくましいモノなのです。

とか言ってみたけど、ほんとはただ単に、最近彼が遊びほうけてて寂しくなったから
「構ってもらいたい病」
だったりしてね。

うしししし。

今日の雨は

今日も雨だったけど、
彼の車からみる雨はいつもそんなに悪くない。
車に乗るとき、彼は運転しながらいつも彼の腿の上に置いた私の右手を握っててくれる。
それがすごい好き。
危ないけどね笑
だから雨だろうと何だろうと構わないってだけかな。

今日はちょっとだけ人間が好きになった。
救急車が通るときに道をあけてる車達を見て、
「やるじゃん、人間」
って思った。
当たり前なんだけどね、なんかね。
なんだかね。

雲に隠れた東京タワーはキレイだった♪