ここ最近で感じた胸の内を、
はっきりと言葉にして、
形に残そう。

当初は話が違ったのかもしれない。

感染症の影響で休校期間が続き、

授業動画を撮影することになった。

 

学年の数学科の教諭は、

私とA先生のみ。

A先生は私より歳が2回りほど上である。

 

当初、学校には備品として

動画を撮影するための機材はなく、

動画の撮影は、

A先生のスマホは型が古いため、

私のスマホで行われていた。

 

この段階で、私には抵抗があった。

 

何故、仕事で準備が必要なものを、

一個人の所有物を、

毎日毎日、何時間も使って、

準備しなければならないのか。

 

それが私には理解できなかった。

 

しかし、ここで一度思い直した。

 

動画を準備すれば、

生徒の予習の手助けができる。

その動画は、その時点で、

私のスマホでなければ、

きれいに撮影することができない。

 

ならば、しかたがない。使うしかない。

そうして自分のスマホで撮影を開始した。

 

 

 

動画撮影が始まってから、A先生は、

「さぁ、やりましょうか」

の一言で、

私と、

私の時間と、

私のスマホを、

我が物顔で動画撮影に使っていった。


また、

スマホを固定する器具を

家から持参したが、

それについての文句が止まらないA先生。

 

何故そこで文句……。

あなたは動画撮影の環境を整えることに

一切協力をしていないではないですか。

 

A先生が動画撮影をしている間、

私はA先生の授業を見ている。

 

A先生の授業が見られるということは、

非常にありがたいことであるから、

私自身と私の時間が、

そこに使われるのは、

非常に有意義であると感じた。

 

(そう思わずにはやってられない)

(だから、しっかり授業を見て勉強した)

(実際、勉強になった)

 

動画撮影後、

膨大な動画データを移行し、

ラベリングをするのは私。

YouTubeに動画をアップするのは私。

生徒に動画のURLを配信するのは私。

動画を保存するハードディスクも私の自前。

スマホを固定する器具も家から持参。

 

スマホを固定する器具は、

もっと良いものを買えたと思うが、

A先生の対応に呆れ、

買う気が起きなかった。

 

A先生は動画を撮影した後、帰宅。

私は撮影後、1時間~1時間半は残り、

動画配信作業。

 

いまいち納得できない仕事が続く。

 

そうしているうちに、ちょうど一週間前、

数学科で注文したiPadが届いた。

 

これでやっと

私のスマホは使わなくてよくなった。

 

 しかし、

 

A先生は

「さぁ、やりましょうか」

と、以前声をかけてくる。

 

私が撮影に帯同することは

どうやら当然のことらしい。

 

しかし、

やはり、A先生の授業が見られて、

非常に学びが多い。

それは嬉しい。

 

でも、A先生が撮影をしている間、

私は私の分の撮影ができないんですよ。

 

A先生が、午前中から16時まで

休憩をはさみながら

細切れに撮影をする。

となると、私の分の授業動画は

いつ撮影をするのか。

 

ズバリ、

A先生の撮影が終わった後、

16時~18時頃にかけて撮影を行う。

or

iPadを持って帰って、

家で撮影をする。

 

そうするしかないとわかっている。

そうしないと自分の撮影が進められない。

 

わかっているのに……

 

A先生

「じゃあ、先生は家で撮ってきてください」

 

 

……………

 

 

……………

 

 

…………… え?

 

 

それが当然のことだと思ってます?

 

 

何故ですか?

 

 

……………

 

 

……………

 

 

…………… わかりました。

 

 

やります。

 

 

 

そういうことを繰り返して1週間。

 

今日は本当に頭にきた。

 

今日は土曜日。

 

昨日の金曜日、

いつも通りA先生は16時まで撮影。

 

世は未だ、緊急事態宣言の最中。

 

私の分の授業動画で

火曜日配信のものは、

できれば、昨日中に撮影を終え、

今日は在宅勤務にしたかった。

しかし、撮影が完了せず、

今日は午前中だけと決めて出勤。

 

撮影開始後、

保存データを確認してみると、

昨日撮影したA先生の動画には

音声が入っていないことが判明。

その動画は、

月曜日に配信を予定していたもの。

 

一方で、

私の分の動画は、

予定通り午前中に撮影を終え、

12:00までに退勤を予定していた。

 

職員室に戻ると

A先生と遭遇。

 

合うや否や、

 

A先生

「先生いたんですね。

 撮影が進められそうだな。

 先生は何時までいますか?」

 

恐れていた言葉だった。

いやいや。私の都合は?

 

私は即座に、

「午前中で帰らせていただきます。」

と答え、

退勤時間が迫っていることをアピール。

 

だって、今日は

A先生と打ち合わせて

出勤した日ではないから。

私が自己判断で出勤した日だから。

いつ帰ろうと私の勝手なのでは?

 

その後、

昨日A先生が撮影した動画に

音声が入っていないことを伝えると、

 

A先生

「午後に撮らないとだな。

 午後に撮ったら、

 先生がiPadを持ち帰って、

 YouTubeにアップすれば

 間に合うでしょ?」

 

いやいや。だから。

 

それを当然のことだと思ってます?

 

確かに今回は想定外の事態でした。

仕方のないことです。

A先生のせいではないと思います。

 

でも、

 

撮影の間の私の時間と、

撮影の後の私の時間を、

自分の時間かのように

こうすればいい

ああすればいい

と安直に発言をし過ぎではありませんか?

 

確かに、

動画配信は生徒のためです。

生徒のために力を尽くすのは、

学校教諭の使命です。

 

だから、

本来であれば、

午後に学校に残って、

動画撮影をして、

今日中に動画をアップして、

準備を整えるべきだったのかもしれない。

 

しかし、

今回はどうしても

それはできなかった。

 

何かが違う。

 

私の時間が、

私の労働力が、

まるで無限に、

いつでも、

都合よく

使えるモノのように扱われているように

どうしても思えてしまった。

 

私のやっている仕事に対する

配慮を感じられなかった。

 

どうしても納得ができず、

今日は、午後の仕事を断った。

 

朝一番の動画配信は

今回はできない可能性が高い。

 

生徒たちには申し訳ない気持ちである。

生徒のために力を尽くせなかった。

仕事を全うしていない。

教師失格だろうか。

 

でも、

今日みたいな粗末な言葉をかけられて、

それでもなお、

自分を奮い立たせることは、

今回はできなかった(したくなかった)。

 

YouTubeへの動画配信の方法

動画の保存方法

動画のラベリング

アップロードにかかる時間 …… etc.

 

これらがどんなものかを

自分から知ろうともしないくせに、

 

教えても、

「そうなんや」

の一言で済ませ、

人の話を大して聞きもしないくせに、

 

「生徒のためだろ?しっかりやれよ。」

などの言葉は発さないでくださいね。

 

人の労働力を粗末に扱うようなA先生の

“ありがたい”お話は、

今はおそらく

そう簡単に心に留めておくことは

できないと思います。

 

 

 

私の労働力はタダではない。

 

 

 

私がゼェゼェ言って、

大変だと嘆きながらやっている仕事は、

非効率なように見え、

本当に小さいことのように見え、

誰でも簡単にできることのように

見えるのかもしれないです。

学校全体から見れば、

まだ大した力には慣れていないと思います。

 

私の授業力はまだまだ満足に達しない

と感じているのは事実ですし、

A先生が主に授業をした方がよいのは、

これもまた事実だと思います。

 

それでも、

どうしたら効率的か、

どうしたら生徒のためになるかを

考えながらやっている仕事です。

 

私は私なりに

誇り高くこの仕事をやっています。

 

その私の労働力を軽んじるような、

湯水のように湧いてくるような、

そんな扱いをされる筋合いはありません。

 

歳上の先生であろうが何であろうが、

そのような扱いは、

今後一切やめていただきたい。

 

他からの適切な評価があって、

頑張れる、もうひと踏ん張りができる

というのは、事実あると思います。

 

しかし、

頑張れる、もうひと踏ん張りができる

ということが当たり前なことと

考えてはいけないと思います。

 

適切な評価があって頑張れる。

頑張るから適切な評価がある。

 

この信頼関係があって、初めて

良い仕事ができるのではないかと

私は考えます。