こんばんは

服薬タイミングを見誤って(半分忘れてた)

2時間くらい眠れなさそうなので

更新してみようと思います照れ音譜

 

症状緩和のため編み物もしてたのですがちょっと休憩てへぺろ

 

そもそもなぜ治療しようと思ったのか

治療が『必要』となったこと自体は

10年前どころか私が小学校4年生の頃まで遡らなければならないため

今回は割愛します。

 

直接的な切っ掛けは中学2年生の頃から始まった

いじめが原因だろうと今でも思います。

*いじめ後遺症も抱えており、離脱症状が緩和したらPTSDの治療をする予定です。

 

いじめが心、精神に与える影響は計り知れません。

アメリカなどの先進国では、いじめを“する”側が隔離されカウンセリングや

更生プログラムのような特別な教育課程を経ると聞いたことがありますが

日本では逆で、いじめを“される”側が隔離された状態に

図らずもなってしまう現状です。(とても悲しく悔しく馬鹿げてる現実です)

 

それは未だに『いじめられる人間に原因がある。』

『いじめられる人間が悪い』という認識の歪みがあるからなのだと思います。

 

まあ、その話は今は置いておいてあせる

 

私がいじめられたのは中学2年生から。

きっかけは1年生の時にクラスのリーダーみたいな女子から

(現代ではスクールカーストというようですね。)

「あんた、面白いしグループ入れてあげる。だから一緒に○○を無視して?」と

ある日突然声を掛けられたことでした。

 

当時の私はとても冷めた子供で

女子がなぜ何人も連れだってトイレに行くのか訳が分からず

トイレも移動教室も一人で行動するような人間でした。

そんな姿がカッコイイと好意的にとらえられたようで(かなりラッキーでした 笑)

金魚のふんのようにくっついて来たがる子が何人かいたので

一人っきりになることはありませんでした。

これは小学校の頃、割と人気者だったこともある気がしています。

自分で言うなってね。

 

まあ、そんなこんなでクラスメイトを無視すれば

人気のグループに入れるという選択を迫られた中1の私。

当然断りました。

「なんでそんなことしなきゃならないの?私○○ちゃんのこと良く知らないけど

別に悪い子だと思わないから無視なんてしないし。

貴女が気に入らないと思う何かがあったのなら、2人で解決するべきだよ。

周り巻き込んで虐めみたいなことする意味が分からない。

だって、こないだまでずっと一緒にいたじゃん。仲直りすれば?」

こんなようなことをダ―――っと言った記憶があります。

 

とんでもねぇ奴ですね汗

今でも同じこと言うと思いますけどね 笑

 

こんなこと言ったもんですから翌日から彼女たちのグループからは無視され始めました。

中学校1年のときは一部が無視しているだけの軽いもので終了。

2年にクラス替えになった際、担任の謎の采配で私がいじめられるであろう構成のクラスに放り込まれたのです。

 

さて2年になって本格的にいじめが開始。

私はそこから2年間、学校で笑顔になることはありませんでした。

笑いそうになっても、腹筋を使って笑いをこらえていたほどです。

その時の私の心の中は「私が笑うと気持ち悪いんだ。」「笑ってるところ誰かに見られたらまたいじめられる」

そんな考えで一杯でした。

学校にいる時間中、ずっと洗脳されるのです。

お前は気持ち悪い奴だ。消えろ。○ね。等

 

そして家では学校に行きたがらない私を良く思わない両親から説教。

行かない!と抵抗した日にはひっぱたかれる事もありました。

いじめも怖かったけれど、怒る母も怖かったし、

見て見ぬふりや、いじめっ子を信用する教師も怖かった。

 

当時私の周りは敵だらけだったのです。

死ぬことばかり考えて中2は過ごしました。

中3になり、受験を控えても いじめは止みませんでした。

ですが、高校にいける!というのが私の希望になったんです。

 

そして希望の学校に何とか合格したのですが・・・

そのころには私の精神は限界だったのです。

2年間毎日いじめられ、幻聴や妄想に取りつかれていました。

 

そんなんで新しくスタートをきれるわけもなく・・・

(高校は誰も知り合いがいないところにしました。)

高校1年の夏休みが終わるころには教室に入れなくなりました。

そして部活でのいじめが始まり

高校2年の冬、先輩に殴られるという事件が発生しました。

学校は問題をもみ消しましたが、その態度を見た父が私を心配し

私立の転校先を用意してくれたのです。

 

※ここまで話に出てこなかったのですが、父は会社を経営しており

更に複雑な親戚事情からなかなか我が家の事まで干渉できない人です。

 

そこで転校したころには、もう誰も信じることができなくなっていました。

そして、母が交通事故にあった事を機に・・・心療内科を受診したのです。

(これまでも受診させてほしいと、懇願はしていました。

過呼吸などの苦しい症状が出ていましたから。でも、母は

「私の娘がそんな変なとろこに行くわけないでしょ!」と・・・。

そこで母がいない隙に父に頼み込んで連れて行ってもらったのです)

 

そこから高校に通いながら

心療内科に通う日々でした。・・・