御節料理 歴史 重詰めへの移行

 


『嗚呼傍廂』(ああかたびさし)(1853年)によれば天明の頃までは食べていたが、それ以降は飾るだけとなり、正月料理は重詰め等へと変化していく。膳に盛られた料理と重に詰められた料理が用意され、このうち膳に盛られた料理を「おせち」と呼んだ。後の『東京風俗志』(明治34年)によるとお膳に供えた煮物を「御節」、重詰めしたものを「食積」(くいつみ)と呼んでいる。



重箱に本膳料理であった煮染めを中心とした料理が詰められるようになり、食積と御節の融合が進んだ。現在では重箱に詰めた正月料理を御節と呼ぶようになっている。重箱に御節料理を詰めるようになったのは明治時代以降のことと言われている。



重箱に御節を詰める手法が完全に確立した時期は第二次世界大戦後で、デパートなどが見栄えの良い重箱入りの御節料理を発売したことによるとも言われている。正月料理の重詰めについては江戸時代の文化・文政年間の料理茶屋における料理の影響を受けているとみる説もある。