屠蘇 風習
正月に屠蘇を呑む習慣は、中国では唐の時代から確認できるが、現在の中国には見当たらない。日本では平安時代から確認できる。
廿九日、大湊にとまれり。くす師ふりはへて屠蘇白散酒加へてもて來たり。志あるに似たり。元日、なほ同じとまりなり。白散をあるもの夜のまとてふなやかたにさしはさめりければ、風に吹きならさせて海に入れてえ飮まずなりぬ。芋し(もカ)あらめも齒固めもなし。かやうの物もなき國なり。求めもおかず。唯おしあゆの口をのみぞ吸ふ。このすふ人々の口を押年魚もし思ふやうあらむや。今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「九重の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」とぞいひあへる。
— 紀貫之「土佐日記」
宮中では、一献目に屠蘇、二献目に白散(びゃくさん)、三献目は度嶂散(どしょうさん)を一献ずつ呑むのが決まりであった。貴族は屠蘇か白散のいずれかを用いており、後の室町幕府は白散を、江戸幕府は屠蘇を用いていた。この儀礼はやがて庶民の間にも伝わるようになり、医者が薬代の返礼にと屠蘇散を配るようになった。現在でも、薬店が年末の景品に屠蘇散を配る習慣として残っている。
年末が近くになると一部の薬局・薬店でティーバッグタイプの屠蘇散が販売・もしくは味醂に添付されている場合がある。日本酒・味醂などをコップなどの容器に注ぎ、袋に入った屠蘇散を大晦日の夜に浸けて元旦に頂く(生薬が原料で独特の香りと味がする。好みによって酒類や砂糖などの甘味を調製する)。