郡山うねめまつり 歴史

 


1955年昭和30年)10月に「市勢発展のため」、荒池(あらいけ)にて第一回の「采女まつり」が開催された。当時は荒池湖畔の南側広場に祭壇を設置して采女供養祭を行ない、うねめ百態が描かれた20艘の燈籠船や龍頭を装飾した屋形船を浮かべ、采女官女巫女を載せて池を一巡するスタイルだった。また、郡山消防署協力の水中噴水、東北電力提供のサーチライトの演出、花火の打ち上げなどもあった。しかし、資金難を理由に1962年昭和37年)を最後に、その後は開催されなかった。



1965年(昭和40年)に旧郡山市と安積郡(あさかぐん)9カ町村が合併し、市民が一体となれる祭りを催したいという気運が高まったことから、郡山市と郡山商工会議所が中心となり、郷土の伝説である奈良時代の宮中女官の「采女(うねめ)物語」を主題とした祭りとして「郡山うねめまつり」を開催するようになった。通常はこの年を第一回としている。



1993年平成5年)にはうねめまつり30周年を記念して岩代國郡山うねめ太鼓が作られ、祭りに加わった。



2002年(平成14年)からは、祭りの参加者の浴衣姿のコンテスト「ゆかた de うねめコンテスト」が開催されている。ゲスト審査員には著名人が招待されることが多く、過去にはファッションデザイナーコシノジュンコ小篠ゆま女優長山藍子サッカー元日本代表の城彰二などがゲスト審査員を務めている。



2011年(平成23年)には震災復興のため、郡山市出身の西田敏行が招待され、踊り流しに登場した。



2015年にはミラノ万博のジャパンデー・パレードで披露された。