会津田島祇園祭 太々御神楽(だいだいおかぐら)
24日の午後に田出宇賀神社の拝殿脇の神楽殿で太々御神楽(だいだいおかぐら)が奉納される。神楽舞の奉仕者は、神社のある宮本地区の人々と宮司、「楽」(がく)と言われる平太鼓(ひらだいこ)、笛の方等の人々により行われる。太々御神楽は終始無言で、歌も言葉もなく舞い、楽人の奏する調べと拍子だけで進行する。会津田島祇園祭の太々御神楽は江戸時代に郡山市の安積国造神社(あさかくにつこじんじゃ)より伝習したといわれており、「慶応三年太々御神楽稽古役付帳」などに記録が残っている。
内容
清祓(きよはらい)
右手に鈴、左手に祓串(はらえぐし)をもって面を着けずにお祓いの舞をする。
天地開闢(てんちかいびゃく)
『こじき』にある伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)2神の国生みで、男神と女神の面をつけた2神が矛を立てて廻り舞う。
剣の舞(つるぎのまい)
赤色の大鼻の面をつけ、舞楽に似た衣裳を着て、右手に鈴、左手に剣を持って舞う。
幣の舞(ぬさのまい)
翁面をつけ右手に鈴、左手に幣を持ち舞う。
田耕・稲蒔・稲刈
高天原の農耕を意味している。田耕は怖い表情の白狐面で鍬を持って舞う。
岩戸掛り(いわとがかり)
『古事記』の天岩戸隠れを演じる。天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴に恐れて天岩戸(あまのいわと)に隠れ、世界が闇になったため、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)が相談をして、天宇受売命(あめのうずめのみこと)に舞を舞わせ、大神が岩戸を細目に開けたところを天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)が岩戸に手をかけて開けて大神を再び連れ出し、世界が再び明るくなるという筋を追う。舞では天岩戸が神楽殿の奥に岩屋らしく作られて、手力男命が初度は力及ばず開かないで倒れてしまうが、宇受売命の舞の後、2度目に成功する。岩戸に両手を掛けて引上げるように、後に退ると岩戸の奥に燭明に照らされた鏡が光り劇的な効果をあげて、この舞のクライマックスを演出する。
魚取り(さかなとり)
釣竿を手にした事代主命(ことしろぬしのみこと)と、腰にはけごを付け、鎌を手にしたひょっとこが現れ、舞う。
諏訪(すわ)・鹿島(かしま)
これも『古事記』の出雲国における国譲りの神話を舞う。建御雷命(たけみかづちのみこと。鹿島明神)は色の白い武将の面に剣を持ち、建御名方命(たけみなかたのみこと。諏訪明神)は色の赤い武将の面に鎌と岩を持つ。国譲りの条件として高天原方と出雲国方をそれぞれ代表して力比べをする。建御雷命が建御名方命を信州諏訪まで追い詰めて勝ち名乗りをあげるまでの闘争が力強く演じられる。
猿田彦(さるたひこ)
天孫降臨を主題とする演目で、赤い天狗の面をつけた猿田彦神(さるたひこのかみ)が、国譲りも決まったところで瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨するのを、矛を持って迎えに行くところを演じる。
太平楽(たいへいらく)
太々御神楽の最後で、舞のあと大撒供(だいさんぐ)といって菱餅(ひしもち)をまく。
この太々御神楽が終わると、一年がかりで続いた会津田島祇園祭すべての行事が、神社、お党屋、屋台ともに終わりとなる。