会津田島祇園祭 歴史
鎌倉時代の文治年間(12世紀末葉)、当時の領主 長沼宗政(ながぬま むねまさ)の祇園信仰により、この地に祇園の神である牛頭天王須佐之男命(ごずてんのうすさのおのみこと)を居城鎮護の神として祀り、旧来からの田島の鎮守であった田出宇賀神社の祭りに祇園祭の制を採り入れたのが起源とされる。伊達政宗が会津を支配した時代に一時中断されたが、慶長8年(1603年)に住民が当時の城代 小倉行春(おぐら ゆきはる)に願い出て再興が許され、領主長沼盛実(ながぬま もりざね)が京都八坂神社に準じた祭礼を取り入れた祭式を定めて現在に至ったとされる。なお、当初は「天王祭」と称されて6月15日に行われていたという。
また、明治12年(1879年)より田出宇賀神社の祇園祭日に併せ、隣地にまつる熊野神社祭礼を祇園祭の格例に準じて行うことが定められた。