田楽 歴史 鎌倉・室町時代

 


鎌倉時代にはいると、田楽に演劇的な要素が加わって田楽能と称されるようになった。鎌倉幕府執権 北条高時は田楽に耽溺したことが『太平記』に書かれており、室町幕府の4代将軍 足利義持増阿弥(ぞうあみ)の芸を好んだことが知られる。田楽ないし田楽能は「能楽」の一源流であり、「能楽」の直接の母体である猿楽よりむしろ高い人気を得ていた時代もあった。



田楽は、大和猿楽の興隆とともに衰えていったが、現在の(猿楽の能)の成立に強い影響を与えた。能を大成した世阿弥は、「当道の先祖」として田楽から一忠いっちゅう。本座)、喜阿弥きあみ。新座)の名を挙げている。