田楽 歴史 平安時代

 


平安時代に書かれた『栄花物語(えいがものがたり)には田植えの風景として歌い躍る「田楽」が描かれており、大江匡房(おおえ  まさふさ)の『洛陽田楽記』によれば、永長元年(1096年)には「永長の大田楽」と呼ばれるほど京都の人々が田楽に熱狂し、貴族たちがその様子を天皇にみせたという。平安後期には寺社の保護のもとにを形成し、田楽を専門に躍る田楽法師という職業的芸人が生まれた。



草創期の田楽は御霊会(ごりょうえ)との結びつきが強く、仏事に演じられる舞楽に対して卑俗な演芸と見られていた様子が、比叡山の教円座主の若い頃のエピソードとして『今昔物語』に「近江国矢馳郡司堂供養田楽語第七」として残されており、当時の田楽の様子も活写されている。