風流踊(ふりゅうおどり)

 


この項目では、民俗芸能について説明しています。日本の美意識については「風流(ふりゅう)」をご覧ください。

 

 



風流踊(ふりゅうおどり)または風流(ふりゅう)とは、中世芸能のひとつで、鉦(かね)太鼓など囃しものの器楽演奏小歌に合わせて様々な衣装を着た人びとが群舞する踊りである。室町時代に流行した。 

 

 



華やかな衣装で着飾り、または仮装を身につけて、鉦(かね)や太鼓、笛などで囃し、歌い、おもに集団で踊る踊りである。のちには、華麗な山車行列や、その周囲で踊った踊りを含めて「風流」と称した。疫神祭(えきじんさい)や、念仏田楽などに起源をもつ芸能と考えられている。文明9年(1477年)まで続いた応仁・文明の乱以降とくにさかんになり、踊りを中心に広まった。歴史的には、『豊国祭図屏風(ほうこくさいずびょうぶ)に描写された慶長9年(1604年)の豊臣秀吉七回忌における豊国神社(ほうこくじんじゃ/とよくにじんじゃ)の風流踊がよく知られている。



江戸時代に入ると、一回性の趣向を凝らして人目を奪うといった風流の精神は失われ、固定化された踊りとして各地の農村に定着した。風流踊りの踊り歌は武家の視点に立った武家好みの歌詞が多く、藩政下において雨乞いの一手段として奨励・助成された。多くの風流踊りは継承が途絶えたが、三重県伊賀地方などでは現在も継承されている。



後世、亡者慰霊のための念仏踊盆踊り雨乞踊り虫送り太鼓踊浮立(ふりゅう)、剣舞(けんばい)、迎講(むかえこう、ごうこう)仏舞(ほとけのまい)、小歌踊(こうたおどり)願人踊(がんにんおどり)、綾踊(あやおどり)奴踊(やっこおどり)花笠踊(はながさおどり)棒踊(ぼうおどり)、祭礼囃子、太鼓打芸(たいこうちげい)など、多くの民俗芸能、民俗行事の源流となった(東日本に散在する三匹獅子舞や鹿踊(ししおどり)も風流踊に起源をもつ芸能であるといわれる)