竿燈 歴史

 


合歓木(ねむのき)に願い事を書いた短冊を下げ、それを手に練り歩き川へ流して真夏の邪気や睡魔を払う「眠り流し」が原型とされている。眠り流し自体は江戸時代以前より行なわれており、宝暦年間には現在の原型があったとされ、五穀豊穣や無病息災、技芸上達を願って、旧暦7月7日にあわせて行われる七夕行事とともに、旧暦7月15日のお盆を迎え入れるために一連の行事として現在の形になったとも言われている。「眠り流し」という言葉が訛り、秋田市では「ねぶり流し」と呼んでいる。



竿燈は、外町とまち。町人町)に住む職人や商人によって始められ、お盆に門前に立てる高灯籠を持ち歩けるようにしたのが竿燈の始まりとされている。次第に灯篭も数十個と下げるようになり、力を競うようになっていった。蝋燭(ろうそく)や提灯が町民にも普及したことや、力よりも技を競うようになったことで現在の形になったとされている。いつから現在のような形態になったのかは定かではないが数々の資料から背景を探ることができる。寛政元年に書かれた「雪の降る道」には、現在の竿燈に近い姿の絵が描かれている。文化11年に書かれた「秋田風俗問状答(あきたふうぞくといじょうこたえ)には平手で竿燈を持ち上げている絵が描かれている。慶応3年(1867年)に書かれた「出羽の道わけ」には頭に乗せて演技する姿が描かれている。



竿燈の語源は景徳傳燈録(けいとくでんとうろく。景徳伝灯録百尺竿頭須進歩(ひゃくしゃくかんとうすべからくほをすすむべし)からヒントを得て、大久保鉄作(おおくぼ てっさく。大久保鐵作)によって名付けられたとされている。また、昔は作り灯篭ネブリナガシ七夕とも呼ばれていた。