武者絵 歴史 幕末以後

 


やがて、外国船がたびたび日本沿岸に近付くようになり、武力で開港要求を迫るに至って国内は騒然となった。そして、この時期以後、再び合戦絵が風刺的な絵として登場、さらに明治維新の頃の混乱の様子は、月岡芳年(つきおか よしとし)らが取上げている。また、明治初期の西南戦争に関しては、歌川派の絵師たちが虚実取混ぜて多数錦絵に描いた。しかし、明治時代以降盛んに描かれ始めた、菊池容斎(きくち ようさい)の『前賢故実』(ぜんけんこじつ)などに倣った厳密な考証に基づく歴史画の陰に隠れて、次第に武者絵の人気は下降線をたどっていく。また、政府の「尊皇愛国」を掲げる徳育的歴史教育の視覚メディアの一端を担うようになり、「忠君」をテーマとする画題が多く扱われるのも明治期の武者絵の特徴である。



その後日清戦争が起こったが、この時が錦絵史上における最大で最終の戦争絵ブームであった。日清戦争の様子は、役者絵を主に描いた豊原国周(とよはら くにちか)や、小林清親(こばやし きよちか)らによって錦絵に描かれている。この後、浮世絵自体が終焉を迎えるが、凧や幟といった際物の世界では昭和に入っても細々と描かれ続けた。