たてもん祭り たてもん
たてもんは、帆掛け舟(舟型)を模した万燈で、長さ約16メートルの太い心柱に、帆に見立てた底辺約8mの大きな二等辺三角形の枠に、10-12段の横木を渡す。横木には60から100あまりの縁起の良い図柄を描いた丸提灯または雪洞(ぼんぼり)を吊るし下げる。この三角枠上部には恵比寿を描いた提灯、心柱最上部には鉾留(ほこどめ)として八角行燈(あんどん)を据え神の依代とする。八角行燈からは割り竹で出来た柳(枝垂〔しだれ〕)と言われる8本の長い髯籠(ひげご)を垂らす(現在は小さな電球がたくさん付けられている)。これは、悪霊が神様への贄にとりつかぬように睨みを利かせるためである。三角形の枠最下部には1枚、高さ約80cm、長さ約4mの下額(絵額)に武者絵等を描き、左右に2枚、両面に2枚飾る。これらを2.6m×2.2m角、重さ約1.5トンのそり台中央に立てる。車輪のないそり台なのは、もともと浜辺や砂利道で曳いていたからである。
そり台には山車を曳くために長さ約10mの2本の担ぎ棒に数本の横木を渡す。そこに縄で網掛けし囃子担当の子供たちが乗り込み笛や太鼓で囃す中、80人から100人程で総重量5トン程の舟形万燈を威勢良く曳き回す。また組み立てには釘は1本も使わず縄のみで組立てていくが、漁師独特の結び方を駆使している。現在のようなたてもんの形になったのは享保年間(1720年頃)といわれ、現在の大きさになるのは昭和の初め頃になってからである。提灯の数は、明治時代には約25張り、大正時代には約50張りであった。また現在提灯の絵柄は様々であるが、昔はどの町も絵柄は魚であったといわれる。これは神様への贄である魚を舟に大量に積んであることにより、神様に喜んで頂くためである。
夕刻にはたてもん7基の提灯に火が灯り諏訪神社前に集まってくる。くじ引きで諏訪神社境内へ入る順番を決めると、午後8時30分頃から1基ずつ順番に境内社殿横の広場(駐車場)に入り、担ぎ手とたてもんから繋げた8本の控え綱を持つ各若衆が、勢い良く5トン程のたてもん自体を3回転しこれを2回行う。8本の控え綱を持つ各若衆は神様に良く見ていただくため、飛び跳ねながら、時に縄にぶら下がり宙を舞うように回ると、提灯と柳(枝垂)の明かりが美しい光の輪をつくり祭りは最高潮に達する。なお控え綱は、高くて平たいたてもんを回す時に、バランスを取って傾いたり倒れたりすることを防止する役目がある。回し終えると、たてもんは社殿正面に移動し、町内関係者は社殿でお祓いを受け次の町内に引き継ぐ、すべての町内が回し終えるのは午後11時頃となる。その後散会し各町内で直会(なおらい)という労をねぎらう会が行われ終了となる。
なお、魚津市内のありそドームには、提灯60張りの小型たてもん、海の駅蜃気楼には、高さ7m、提灯58張りの小型たてもん、新川(にいかわ)文化ホール(ミラージュホール)には、たてもんの縮小模型(提灯60張り)、魚津歴史民俗博物館には、たてもんの縮小模型(提灯75張り)が常設展示されている。