転生(てんせい、てんしょう)



転生てんせい, てんしょう)とは、死後に別の存在として生まれ変わること。肉体・記憶・人格などの同一性が保たれないことから復活と区別される。また一部の宗教では再生とも言われる。仏教では、特に輪廻と区別はされていない。また、再び生まれる、「再生」という語ではなく、再び存在する、「再有」という語を用いる。仏教では、魂の存在を認めていないため、輪廻における主体(アートマン)を想定する他の思想と区別するためである。転生する前の人生のことを前世、転生した後の人生のことを来世と言う。輪廻のように人間動物を含めた広い範囲で転生すると主張する説と、人間は人間にしか転生しないという説がある。


一般には仏教を語る上でのみ触れられるが、仏教に固有の思想ではなく、釈迦以前の思想家にも見られ、インドのみならずギリシア古代の宗教思想にも認められる。インドでは六道輪廻にみられるような生まれ変わり(→輪廻)による苦から解脱することが目的とされた。現代の日本では、仏教における転生を、単に民衆を道徳へ導くための建前として語られたにすぎないとする者も多くいるが、過去の日本では、輪廻思想は仏教において前提とされる一般的な考え方であり、浄土教源信(げんしん)などのように、転生を信じながら真摯な布教活動をした宗教家が多くいた。

古来、宗教団体や心霊研究者等が科学的研究をしているが、多くは事例蒐集(収集)のみで終始させることが多い。本質的に真正な科学的、合理的手法による実証の極めて難しい分野であり、信じる、信じないの議論に陥ってしまうことが多いのが実情である。