唯識(ゆいしき skt:vijJapti = maatrataa)とは、個人、個人にとって唯(ただ)、八種類の識(しき)によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである。ここで、八種類の識とは、五感に対する識別作用(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な、表象、認識、思考の諸行為を内含し、それらと相互に影響を与えあうその個人の無意識の領域をも内含する。
あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な虚構であり客観的存在ではない。それら諸存在は無常であり、生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空(くう)」であり、実体のないものである(諸法空相)。このように、唯識は大乗仏教の空(仏教)の思想を基礎に置いている。また、唯識と西洋哲学でいう唯心論とは、基本的にも、最終的にも区別されるべきである。