⑪阿弥陀如来の本願とは、「本願を信じ念仏すれば仏になる」という教えですが、これを信ずることは難しいのです。
とくに人は、常識で物事(ものごと)を判断する性分(しょうぶん)がありますから、宗教のことも自分に都合(つごう)よく判断します。そして、自分は何でも分(わ)かっているつもりで、「念仏したぐらいで、どうなる」と気にもかけないのです。ですから、本願を信ずることほど難しいことはなく、これ以上難しいことは他(ほか)にありません。
しかし、如来は、念仏を気にもかけない救い難き人間と見通(みとお)して、本願をおこしたのでした。
⑫本願念仏を論じた、インドの二人の高僧(こうそう)、中国の三人の高僧、そして日本の二人の高僧方は、お釈迦(しゃか)さまがこの世に生まれ出た理由と、如来の本願だけが人間を足元(あしもと)から救う教えだと、はっきり教えてくれます。
このことを身をもって、数百年の時を越え、数千キロの国を超えて、現代の日本の私にまで伝えてくれました。
⑬お釈迦さま(紀元前463~383)はインドのリョウガ山で、人々のために次のように、力強く説法しました。
「南インドに龍樹(りゅうじゅ・2~3世紀頃)という偉大な仏弟子が出て、霊魂が有るとか無いとか、死後があるとか無いというような、私たちの人生にあまり関係のない説を打ち砕(くだ)く。そして、すべての人が救われる、如来の本願という尊い法則を声高らかに説く。自ら念仏する身となり、安楽浄土(あんらくじょうど)に生まれるだろう」と。
⑭難行や苦行をして悟りを開こうとするのは、陸(りく)の砂漠を一人で歩いて行くようなもので、苦しみばかりあって、何の成果(せいか)も得られません。私たちの感情では、苦しい行をした方が、ありがたいものをいただけるような気がします。でも、道理からいうと、反対になります。
念仏の行とは、水に浮かぶ大船に乗って多くの人々とともに進み、楽でありながら利益(りやく)は大であります。このことを龍樹は明らかにしました。
⑮阿弥陀如来の本願の教えに、大きな感動を覚えて念仏しようという気になったならば、船に乗っているのと同じで、自然(じねん)も浄土の世界へ到着します。ただ、私たちがすることは如来の号を称する、つまり念仏することです。
そして、聞法に励み、まわりの人々にあたたかい言葉をかけて生活することが、阿弥陀如来の御恩(ごおん)に報(むく)いることになります。
⑯インドの天親菩薩(てんじんぼさつ・5世紀頃)は『浄土論』という論文を造って、「私は一心(いっしん)に、いのちと智慧の尊さを教えて下さる、無碍光如来(むげこうにょらい)の教えによって生きることを誓います」と表白(ひょうはく)しました。
そして、『大無量寿経』によって真実を顕(あら)わし、「如来の大誓願は、太陽の光によって闇がなくなるように、人間の暗く狭(せま)い心を、すみやかに打ち破ってくれる」と教えてくれます。
⑰本願の働きは、すべての人にかけられており、そのことに気付いてもらおうと、天親は「一心に誓います」と表白したのです。
「一心に…」ということはとても大切です。「あっちの神さまに手を合わして、こっちの仏さまにも、願かけて…」、ということではないのです。
功徳が多く、大宝海に喩えられるような広やかな如来の世界に気付けば、私たちは如来の浄土世界の大切な一員として、家族のように迎え入れられます。
⑱如来の世界は、泥の中から清浄(しょうじょう)な花を咲かせる蓮華(れんげ)にも喩えられ、煩悩の泥にまみれた人間でも、如来の光に照らされて、清浄でいきいきと輝く身になります。
そうなると、煩悩がどれだけ出てきても、苦しみは長続きせず、尾を引きません。煩悩に煩(わず)わされながらも、遊ぶかのように、余裕(よゆう)をもって苦しみ、余裕をもって腹を立て、余裕をもって悲しめるようになるのです。一歩ひいて、自分を見直すことが出来るのです。
そんな生き方をしている人は、まわりの人に励(はげ)ましを与えます。本人は意識もせずに、念仏してごく普通に生活しているのですが、まわりの人に何かあたたかいものを感じさせます。
⑲中国の曇鸞(どんらん・476~542)は、得が高く、当時の梁(りょう)という国の皇帝はいつでも曇鸞の住む土地に向かって礼拝(らいはい)し、菩薩(ぼさつ)と仰いでいました。
曇鸞はある時、病気になり「仏教を勉強するためには、健康で長生きをしなければいけない」と、仙人の不老長寿(ふろうちょうじゅ)の秘法(ひほう)を学びました。秘法を会得(えとく)した曇鸞は、菩提流支(ぼだいるし)という高僧に「不老長寿に勝る法はないだろう」と自慢(じまん)したのです。すると、菩提流支は言下(げんか)に「少しぐらい長生きしても、今この人生の意義に目覚めなければ、空しく死ぬだけだ。人生は長さではない、深さだ」と曇鸞を叱(しか)りつけ、浄土の経典を授(さず)けました。
さすがに曇鸞は自分の過(あやま)ちにすぐ気付(きづ)き、仙人の聖典をその場で焼き捨て、深く浄土の教えに帰したのです。