チャララ☆ -2ページ目

チャララ☆

ウリハッキョとウリハッキョを通して育つ心と絆の話

アンニョンハセヨ チェサミです(´▽`)

今日は(先ほど)、西陣青商会主催の講演会がありました。
結成7年目を迎えるにあたり、実りある会として、30~40代同胞たちの
確固たるコミュニティとして役割を果たそうと、子どもを持つ親がほとんどの
会員やその対象の悩み、またひとつの道標をしめそうと企画された講演会でした。

テーマは『子どもを伸ばす親、伸ばさない親』。
講師は京都朝鮮初級学校の学父母でもあり、西陣支部常任委員でもある
朴 卿 胎氏。
大阪工業大学卒業後、テキサス・インスツルメンツでIC半導体設計にかかわり、
退職後は塾講師を始め、現在二つの塾を経営されています。
場所は京都初級学校の教室で、懐かしく子どもたちの机に座り、塾講師のお話を
聴いていると、学生に戻ったような気分になりました^^

講演はたった1時間でしたが、内容はもりだくさん!!
一言一句、無駄がなく、とても聴きやすい 分かりやすい そして色んな情報と
実践に伴った説得力のあるお話でした(o^-')b
何時間でも聴いてられそう、というか聴きたかった(*゚ー゚*)

 

講演後、机を円にしてみんなでお弁当を食べながら、質疑応答。
案の定 質問が尽きず、またどんな質問や相談にも自分の信念を持って
応えられていて本当に気持ちよかった!!

この講演を聴くのと、聴かないのでは確実に子育て・・・というか、親としての
自分育てに差が出ると痛感しました(・ω・)/

京都はもちろん、他地方のみなさ~ん(*^ー^)ノ
素晴らしい講演です、ぜひ講演依頼してみてください('-^*)/

講演会の写真

 

 

まだまだ間に合う・・・かな? 今日から肝に銘じて実践できるように頑張ろう(・ω・)b 

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ご存知の方も多いと思いますが、今年4月に京都第1と京都第3が統合し、
新たに
京都朝鮮初級学校としてスタートしましたにゃ

統合したことにより、もちろんいいことも沢山ありますが、今まで使ってた
ッカー部のユニホームが使えないとか小さな問題も諸々・・・。
ハッセン達のユニホーム資
金作りとしてサッカー部後援会オモニ達が
冷麺を販売されてるようですしゃきーん

1セット(4人分)で¥1,000円だそうです。
外で冷麺食べることを思えば安い
美味しいですよakn

 

読者のみなさん、もしよろしければいかがですか~キラキラ
特に京都在住の方は沢山冷麺食べて下さいおじぎ

我が家も微力ながら協力させて頂きます頑張る
がんばれガッツ 京都朝鮮初級学校!!桃 

ご注文の方はコメント、メッセージでお名前、住所、連絡先、食数を書いてください。
お支払い、発送に関しては返信にてお伝えします。
または直接 京都朝鮮初級学校にご連絡いただいても結構ですいちばん
※TEL(075)491-4468

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私のいくつかのお気に入り&情報源としているブログから、
ぜひ読んでいただきたい記事を紹介します

Arisanのノート
朝鮮学校についてメディアが伝えるべきこと

先日、大阪市内の朝鮮学校の授業内容などを取材した特集が、
NHKの関西ローカルで放映されることがあり、その録画を見た。

それによると、この学校では、日本で暮らす子どもたちのために
日本の民主主義制度の仕組や意義を教える授業を行っているようである。

だが、今の現状では、この生徒たちはきっと、日本の民主主義の
意義を教える授業内容と、実際にその「民主主義」の仕組によって
選ばれた政治家たちによって自分たちが不当に苦しい立場に置かれ
ているという現実との食い違いに、またその政治家たちを選んで支持
している「民主主義社会」の住人たち(一部であっても)のひどい差別性
との食い違いにも、やがては気づき、何を信じたらいいものやら悩む
ことになるだろう。

まったく重ね重ね気の毒なことだ。

同じ大阪に住む人間としては、民主主義の正しい仕組とその意義に
ついての授業は、むしろ多くの日本の政治家や有権者、とりわけ
橋下徹大阪市長や「維新」の議員たちにこそ、「今一番受けてもらい
たい授業」だと思う。

それはともかく、朝鮮学校に関しては、産経のような悪質なメディア
による報道は論外だが、比較的良心的なものであっても、「朝鮮学校
は、それほど偏向していたり特殊ではない」とか「自らこれほど変わろう
としているのだ」という点を強調したものがほとんどだ(ほとんどと言って
も、そんな報道自体希少だが)。

そうした番組や記事は、もちろん氾濫している悪意に満ちた報道よりは、
ずっと良いかもしれない。

だが、それらの報道からは、「開かれて」いたり「変わろうとしている」
朝鮮学校の姿だけを映し出して、その学校と人々とがこの日本社会の
なかで置かれている状況の深刻さを、何か表層的にだけしか報じて
いないという印象を受ける。

政治的な理由による「無償化」からの除外や、自治体による補助金
停止といった政治的な排除と圧迫、差別的な市民たちによって加えら
れる行動・言動の暴力、そうした朝鮮学校の生徒たちが置かれている
酷い状況を作り出しているのは、当のわれわれ日本の有権者であり、
日本社会のマジョリティー市民の責任に他ならないというのに、その
ことに光が当てられることはなく、ただ朝鮮学校の現状が不遇さの中
での「好ましい」変化のように描かれるだけである。

まるで、こうした困難な状況は朝鮮学校の生徒たちが不幸にしてたま
たま蒙っている災厄のようなもの、それを見ている日本の視聴者・読者
たちの責任とは関わりを持たない自然現象のような出来事であるかのようだ。

これらの差別や暴力が、すべて朝鮮人たちに責任や理由があるかの
ように言う極右的な論調ほど露骨ではないとはいえ、そこには歴史や
社会の人権状況に対する主体的な責任を放棄しようとする、メディアの
作り手と受け手(視聴者、市民たち)との共犯意識が透けて見えていると、
思われても仕方がないだろう。

この無責任さが、全ての差別や排除、暴力の震源だということを、差別を
受け続けてきた人たちはよく知っているはずである。

それに、こういうこともある。

上記の番組で紹介されていたような、朝鮮学校の「開かれた」あるいは
「自己変革的な」取り組みというものは、元来は日本社会や国際環境の
動向とは別個に、自分たち自身の意志によって選ばれたものだと思う。

だが不幸にして今の日本社会の差別的な現実の中では、こうした元来
自主的な取り組みは、無用の困難さを背負わされることになっていると
いうのが実情だろう。以前にも書いたことだが、日本の差別的な政策や
世論は、こうした朝鮮学校の自主的な発展のあり方を阻害するという意
味でも、不当な暴力性に満ちていると言うべきなのだ。

子どもたちが置かれている状況の不当さが、誰によってもたらされた、
どういう不当さであるかという事実には目を向けず、ただ朝鮮学校の
「変化」だけを一見中立的にとりあげる報道によっては、こうした努力や
困難の本質というものも見えようはずはないのである。

ここでは、国際情勢や日本政府・社会・マスコミのあり方の不正義と思わ
れるものにはあえて言及しないが、大きく譲って(歴史的経緯や国際政治
の問題をひとまず括弧に入れるとして)、最近生じている日朝両国間と
日本社会内部の「政治的緊張」なるものが、かりに避けがたい自然発生的
なものであったとしても、その「緊張」のしわ寄せが、生徒たちの身の危険や、
不当な政策、マスコミ・世論のヘイトスピーチ的な言説という形で、もっとも
弱い立場の子どもたちに差し向けられるという、この社会の腐ったあり方こそ
が、報道され、人々の変革への意志の対象となるべきなのである。

いったい、もし朝鮮学校が日本人にとって、「開かれて」いるとか「変わろうと
している」とか「偏向してない」とかとは思えないような存在であるならば、
それは差別や排除や脅迫や偏見にさらされても当然なのか?

それを当然だとする考え方自体が、とてつもなく差別的であり植民地主義
なのではないか。

日本のメディアが、日本の大多数の視聴者・読者に向って問うべきである
のは、朝鮮学校の「開かれた」姿以前に、まず自分たち(メディアとその受け手)
自身の、閉じられた意識の在り方だろう。

そうすることによって、「民主主義社会」では政治のあり方を決める主役と
されている有権者や納税者たちに、よき変革への意志を持ってもらうことこそ、
メディアの使命というものではないのか?

もう少し、自分の思っていることをはっきり書こう。

政治的な理由を名目とした、「無償化」からの除外や補助金の停止という
所業は、無論それ自体不当なことである。

だが実のところ、そうした政策は、一貫して続いてきた日本の国家と社会の
植民地主義的な体質を正当化・公然化することを(あえて「北朝鮮報道」風に
表現すれば)「狙い」としていることは明らかだ。

「拉致」や「ミサイル」などを口実として、政治家たちも、有権者たちのなかの
悪質な部分も、この「狙い」を実現しようとしているのであり、朝鮮学校の生徒
たちは、いわばその生贄のようなものにされていると言えるだろう。

今の日本の「政治」、「民主主義」とは、概ねそのようなものに墜しているという
ことが、残念ながら現実なのである。

その自分たちの社会の差別的な現実、そこで犠牲のようにされている人たちの
実情に向き合わせ、現状の変革への自覚をうながすということが、民主主義国
のメディアの役割ではないのか?

伝えられ、論じられるべき主要なものは、朝鮮学校の「美質」や「前向きさ」
ではなく、日本社会の「醜さ」であり、その「醜さ」に直面し乗り越えてこそ
われわれが共に形成しうるはずの、未来の社会のあり方のはずである。

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