この「Uncle Wiggily in Connecticut」という短編。学生時代に読んだときは、全体の9作の中でそれほど強い印象に残ったという記憶はないのだが、今回、何十年ぶりかで新訳(河出文庫)で全体を頭から読み直してみて、最後の場面の「あたし、いい子だったよね」という台詞のところで、思わず不意打ち気味に涙が出てしまった。その場所が春休み期間の混み合った新幹線の座席だったので、かなりやばかったのだがw。今回の新訳は翻訳者の方が「新訳を作るにあたっては、とにかく人物たちの、そして語りの声をよく聴くことを心がけた」とおっしゃっていて、(直接話法か間接話法かを問わず)会話の部分については、非常に生き生きとしたものになっていると個人的には思っている。それが作品の力を押し上げ、先に書いたような「不意打ち」につながっているという面は否定し難い。
一方、その訳者の思いと関連があるのかどうかまでは定かではないが、英語の原文を日本語的に類似する表現に移し直すようなところも多々あって、その際に微妙に原文とはニュアンスが変わっているような箇所もいくつか見受けられる(例えば、「エズメに(その3)」のガスマスクの箇所。あるいは「笑い男(その9)」の「異存はなかった」という表現とか)。今回取り上げる個所も、非常に微妙なところではあるものの、僕的には上にあげた傾向にあると思われる箇所である。(その1)に続く元カレとの大事な思い出を語った会話部分で、元カレと話者・エロイーズが列車の座席に座り、女物のコートに一緒にくるまってじゃれあっている場面にそれはある。
1)「でね、あの人がなんとなく片手をあたしのお腹(なか)に当てたわけ。ね。それでね、あの人いきなり言ったのよ、君のお腹は本当に綺麗(きれい)だ、誰か将校がやって来てもう片方の手を窓から突き出せって言ってくれたらいいのに、って。そうでもしないと釣り合いがとれないよ、ってあの人言ったのよ。(「コネチカットのアンクル・ウィギリー」『ナイン・ストーリーズ』河出文庫)
僕自身はこの短編を読むのは初めてではなかったので、なんとなく意味がわかったが、実際、この訳で初めて読んだ方には、この元カレが言った「ジョーク」(多分そうだろう)の意味がすんなりわかっただろうかと、ちょっと心配になる箇所である。特に「そうでもしないと釣り合いがとれない」という部分なのだが、ここの原文はこうである。
"Well, he sort of had his hand on my stomach. You know. Anyway, all of a sudden he said my stomach was so beautiful he wished some officer would come up and order him to stick his other hand through the window. He said he wanted to do what was fair.
「He said he wanted to do what was fair.」という部分が、上の「そうでもしないと釣り合いがとれない」になるわけだが、原文を直訳風に訳すと「彼は(自分は)公平なことをしたかった、と(彼は)言ったのよ」となる。ジョークを解説するくらい馬鹿げたことはないのだが、ここでウォルトが言っているのは、エロイーズの綺麗なお腹を触っている方の手があまりに「ハッピー」なので、もう一方の手が車窓から寒空に突き出させられるという「アンハッピー」な状況もあって、やっと「俺はフェアーだ=ズルをしていない」と胸を張って言える。だから、あくまでフェアーあることを望む自分としては、あえてそうしたいくらいだと、言っているわけである(注)。無論、この言い回しは、それくらいエロイーズが好きで、今、非常に幸せだという「のろけ」ですけど、はい。
1)で「釣り合いがとれない」という訳をつける限りは、誰かと誰かの間での、あるいは何かと何かの間での「釣り合い」を話題にしているわけだが、例えば一方がウォルトとして、もう一方は誰のことだろう。その場にいた唯一の人物=エロイーズとの釣り合いでは話が合わない。強いていうならば「自分ほど幸せでない世間の一般的な男ども」と釣り合いが取れない、と言っているのだろうか。概してアメリカ人は、他人との釣り合いなど気にしない質(たち)だと思うのだが・・・。あるいは、右手と左手の間で「釣り合いがとれない」というのだろうか。ここでは、「釣り合いがとれない」状態にすることがウォルトの本意でなく、むしろ一方を悲惨な状態にあえて置くことで「釣り合いがとれない」状態にしないと、「フェアーじゃない」と言っているのであって、どうもこれもピンとこないのである。
2)そうでもしなきゃ、これでは恵まれすぎてて公平が保てないって、そう言うのよ。(「コネティカットのひょこひょこおじさん」『ナイン・ストーリーズ』新潮文庫)
おそらく河出文庫の訳者としてはここで「釣り合い」云々の意訳・言い換えをするにあたって、(僕にはわからない)何かの意図があったのだろう。とはいえ、アメリカ人は「釣り合い」などという日本人的価値観より、「フェアー」であることの方を極めて重要視する国民ではないだろうか。なので、せっかく原文に「フェアー・公平」とあるのだから、ここは素直にこの2)のように訳した方が、ずっと読者にとってはわかりやすいと思う。あるいは、
3)その位して当然、だからやってみたいんだって。(「コネティカットのひょこひょこウサギ」『九つの物語』講談社文庫)
という訳も、原文の意図にかなり添ったものだろう。
ちなみに、講談社文庫の採用した「ひょこひょこウサギ」という表記は、この「ウィグリーおじさん」はハワード R. ガリスが創造したウサギの人気キャラクターであることから、そう訳されている。これはこれでイメージしやすいが、「足首(アンクル)」と「おじさん(アンクル)」がかけられていることまでは、これではわからない。難しい選択だ。
(注)あるいは、走行中の車窓から手を突き出すという危険を犯せ、という将校の理不尽な命令、との解釈もあるか。



