cherryz kafe

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meが日頃感じた憂いと喜びをmeの世界観で描きます。

ゆる~く、ゆる~く、焦らず生きて逝きたいですね。

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兄が名の売れた不良であったからといって

私が不良のエリートだった訳ではない。

 

 

中学時代、学校内の不良グループにいたが、

あくまで「優等生ではないグループ」というだけだったと思う。

 

せいぜい隠れてタバコ吸って、恐る恐る田んぼの中バイク乗って、夜遊びして・・・程度である。

 

 

父は普通のサラリーマン、母はパート、祖父祖母と同居の

田舎にあるごく普通の家庭だったと思う。

父は真面目だったので厳しかったし、

世間体を気にする両親だったので

それなりの礼儀だったら常識というのは

口酸っぱく言われていた。

 

祖父祖母は叱る事なんてなく、

孫がやる事は全力で応援してくれていた。

 

祖父については

兄が集会の前、仲間を家に呼んで庭で会合している特攻服集団ところに

ももひきランニング姿で混ざっていたというエピソードがあり、

今でも話のネタとなっている。

 

多少、反抗期というか、干渉してくる両親がうっとおしいと思った時期もあったと思うが、

今思っても家族仲は良かったと思うし

家庭環境もそんな悪かったとは思わない。

 

兄が高校生の頃、隣町の高校に通い、帰って来ることが少なくなり、

いつの間にか暴走族になっていたのだが、

そのへんのいきさつを私はよくしらない。

先輩の家に居候していたらしい。

もともと不良だったし、

たまには帰ってきていたし、両親の了解は得ていたのだと思う。

 

 

そんな私が暴走族の集会に初めて遭遇するのは、

中2の寒くなり始めてた頃。

 

 

田舎特有の「学校流し」は中学に先輩達が来ていた。

別にそれに対して特段「カッコいい」だとか

憧れを持っていたわけではない。

バイクに関しては好きだったのでカッコいいと思っていたが、

普通に、あんなにフカして「うるさい」と思っていた。

 

両親が静まったのを見計らって窓から抜け出し、

夜遊びを憶えたのもこの頃。

 

夜遊びを禁止されていた・・・と思っていた私だったが、

高校生の頃、母に聞いたのだが、

中学生の夜遊びは褒められるものではないが、

に禁止はしてないとの事だった。

気付いていたし、行くならせめて行先くらい言ってほしかった

との事であった。

 

 

いつものように夜中、

真っ暗な中、1人友人宅に自転車で向かう途中、

遠くから単車の音がし、

「○○先輩かな~」なんて思いながら走っていると、

正面から無数の光が・・・

 

で、私が取った行動は、

自販機の陰に自転車を隠し、

草むらに隠れた。

 

 

中2当時は兄が暴走族だなんてまだ知らなかったし、

暴走族=怖い→シメられるorカツアゲされる

で、あった。

 

 

中3の頃、兄が暴走族だと知り、

暴走族の先輩達と絡む機会が増えてきた時そんな話をしたら

「わざわざチャリの中坊相手にしないだろ」で、あった。

 

それはゆくゆく自分が暴走族になって理解できた。

 

私が中3の頃、兄は自宅に帰る事が多くなってきた。

「部活は全力でやれ!

部活引退するまでタバコは吸うな!

吸ってるの見つけたらぶっ飛ばす。

シンナー、薬物は噂を聞いただけでぶっKす!」

極めつけは

「俺の弟なんだからナメられたらぶっKす!」だった。

 

 

とにかく兄は怖かった。

兄弟間の上下は小さな頃からハッキリしており、

今でこそ気軽に話せるが、

当時は

「地元の怖い先輩と同居している」という感じだった。

 

兄の影響から自然にグレて・・・

 

という訳ではなく、

私が鮮明に覚えているのが、

「グレてやる!」と思ってぐれた事だ。

 

つづく