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さまざまなドラマを生み、人々を感動の渦に巻き込んだバンクーバー・オリンピック。今回は金メダルが0個という結果になり、なんとなくトーンダウンを感じずにはいられなかった…なんて方も多かったことかと思われ。ただ、そんな中でも充分に魅せてくれたのが大会の華とも呼ばれるフィギュアスケートでゴザイマシタよね。男子では高橋大輔選手が銅メダル、女子では浅田真央選手が銀メダルを手にして興奮のボルテージは最高潮に達したものでゴザイマス。ってなんだか今となっては妙に古い話題になってしまってるかと…。なんといっても両選手は先日の「世界フィギュア」で一番良いお色のメダルを奪取しちゃいましたものね。

それはさておき、両大会にて女子選手がその妖艶な容姿やコスチュームで観客を魅了したのはもちろんのこと、今回は男子選手にだって妖艶さでアピールしまくった…なんて方もおりましたよね、あえて名前は出さないけれど。(笑)

妖艶と言えば、80年代アイドルにだってソレで売った?お方がいらっしゃったのでゴザイマス。というワケで今回はこの‘妖艶’にコジつけさせて頂き、ワタクシメ復帰後お初となるレビューをカマしてみたいと思うのでありまする。

表題の「決心」は原真祐美さんのデビュー曲として、1983年3月21日にリリースされた楽曲。真祐美さんと言えば、1983年に歌手としてデビューする前から…

「ホリプロタレントスカウトキャラバン」

で北海道代表として最終選考まで残られたり、またモデルさんとしても…

「麻婆拉麺」(発売元:エースコック)

のテレビコマーシャルなどで、そのウレウレとした妖艶っぷりをアピールしていたものでゴザイマシタ。そんな真祐美さんにおけるデビュー当時のキャッチフレーズが…

妹みたいじゃだめですか?

コレだったもの。でもあんまり合ってませんがな、コレ。だって真祐美さんったらば「妹」とかなんとかって雰囲気よりも「妖艶なお姉さん」ってな風情だったりで?華奢なお体に小さなお顔がのっかったというスタイル、実年齢よりもオトナびた立ち振る舞い、これらにプラスして真祐美カットと呼ばれた(?)独特のヘアスタイル。これこそが真祐美さんのデビュー当時におけるイメージだったもの。ちなみに真祐美カットとはロングヘアのトップと頭横ほんの一部分だけにレイヤーを入れてブロウをキメこむのっ!と言わんばかりの、それこそ他のアイドル歌手のソレラには見られなかったようなスタイルだったものである。あの頃…女王を始めとしたこのようなフワっと感を取り入れたヘアスタイルは当時の主流だったのは言うまでもないのだが、このテの髪型の弱みと言えば…湿気の多い雨の日。でもってデパ屋のサイン会などで雨にプラスして暴風が絡んでしまった日にゃ…それこそヤマンバのようにグチャグチャになってしまったわん!なんて泣きが入るアイドルさんもいたりで?ねこっ毛系だった真祐美さんもそのおひとりでしたかしらん。

そんな真祐美さんのデビュー曲は、作詞を友井久美子氏が、作曲を都倉俊一氏が手がけたという作品。都倉氏と言えば言うまでもなく山本リンダさん、ピンク・レディーなどで当てまくった方である。

作詞をされた友井氏はググってみたら80年代を中心にアイドルの作詞にてたくさんのクレジット、そしてポプコン出場リストでそのお名前を見つけることもできた。なおかつビビアン・スーさんの楽曲で作詞者としてのクレジットも見つかったが、同一人物なのか?このコンビは1982年にデビューした女の子3人組、きゃんきゃん(デビュー当時の表記はキャンキャン)のデビュー曲「あなたのサマーギャル」や「涙のC.Cガール」などと一緒。あらば真祐美さんのデビュー曲「決心」は「きゃんきゃんのボツ作品かしらん」?なんて邪推をしたくもなるのだが、おそらくソレはないわな。(笑)

さて、このようなコンビにより生み出されたこのデビュー曲。そのコンセプトはそのものズバリ…

青い性

コレなのでありまする。なんといってもタイトルが「決心」だものね、人生変えちゃうくらいの、それこそ並々ならぬ一大決心をしたのね~真祐美!といった匂いをプンプンと放つソレになっているのである。

なんだか重い空気がドヨ~ンと佇むイントロ。これは70年代歌謡曲の匂いでムセかえるソレ…といった風情でもある。ただ1983年にデビューする新人歌手のデビュー曲としてはどうだったのか?なんて疑問がちと頭をもたげてきたりするのも正直なトコロ。ただ、こうした重みタップリコンコンでぷちドロ風味の歌謡曲ってのは個人的にお好みなので、さして気にもならないのだけれども。

♪突然 二人 会話とぎれて
 俯くわたし 頬に触れる指先です

なんだか伴奏が「恋と涙の17才」の早送り?みたいな風情も無きにしも非ずだったりの…

タタタタ奏法

だけれどもソレはこの曲の緊迫感をグイっと押し上げるにはもってこい!といった奏法のようでもある。

それこそなんだか夕陽が落ちた薄暗い部屋に若い男女がふたりぽっち。その情景はまさに♪ためいきを潮騒が消した~ってソレは違う方のお歌なの。あぁ、ついにあの瞬間が…と言わんばかりのセッティングど真ん中にいる主人公様のようである。

♪青い涙 ホロリこぼれ落ちる
 愛を知る それはいけないことですか?

と思ったところで…興味はシンシンなれど怖さも半分。なかなかその歩を前に進めることは出来ないものでゴザイマシタよね。ってもうかれこれウン十年も前の感性なんて忘れつつあるこの頃なのだけど。(笑)ただ「やる」のでもなく「いたす」のでもなく、あくまでも…

「愛を知る」

とキレイに装飾しているトコロがいかにも80年代!しておりますよね。

♪春の嵐 吹き荒れるよう
 わたし もう戻れないの

曲前半の手がひきつらんばかりの「タタタタ奏法」からリズムを一変させるこの箇所。なんだか親衛隊さん達がハッピ着ながらカマしまくる…

ピーッピピー

なんて‘笛の音’が今にも聞こえてきそう。なんせこのリズムったらば親衛隊さん達の笛応援にとっちゃ「待ってました」と言わんばかりの、実にリズムが取りやすいソレでしたものね。そういう意味では都倉センセイったら…親衛隊の皆様からのコールまでをも考慮し、計算しつくした曲作りをカマされていたのかしらん、ナゾ。

この箇所においてちと気になるのがこの辺りに入る軽やかなシンセ音。おそらくは春発売ってことで「春」を彷彿させるような軽やかさも加味…ってなことから挿入されたのだとは思うのだが、なんとなく曲冒頭の緊迫感に水を差してるような気がしたりもする。でもって編曲は誰じゃ?と思って調べたら都倉センセイだった…滝汗。(笑)

♪傷つきたい あなたの愛でわたしは
 いつも強がるだけよ 震えているわ
 抱きしめて あなたのその愛で
 処めて恋をして 泣いて甘えて

ふむ…それにしてもこの楽曲、新人が唄うにはかなり難解ですがな。

リズムに乗りにくい前半部分、そして曲の中盤以降は半音使いもハンパないほどのビシバシ加減。コード進行もかなりコリまくっており、都倉センセイ渾身の1発!といった感じ。70年代歌謡曲の匂いがキツイけれども都倉センセイもそれなりにご努力され、より80年代っぽいメロとコード進行を目途に創作活動をされた…といった風情か。ただ、よくよく考えてみたらこのテのメロやコード進行は70年代の時点から彼の十八番(オハコ)だったかしらん?このように考えるとこの楽曲におけるセンセイはご努力どうこうというより、いつもの王道技で勝負しちゃったの?…なんて、これまた余計な邪推が頭を…。(笑)

こんな難解チューンをデビュー曲として授かった真祐美さん。レコーディング時は滝汗タラリンコンなる‘ご苦労’をされたのではないかしらん?

この楽曲はオリコン…おっとっと記録がございません。といっても手元に私的なメモ帳が…。ソレによれば最高位は102位。ちょっと…なんて切ないトコロで寸止まったの、真祐美~と叫ばんばかりの位置か。

真祐美さんが残したシングルの中でオリコンの公式記録(いわゆるトップ100というヤツね)で確認できるのは、「Bye,Bye,September」(オリコン最高89位)と「夕暮れはLove Song」(オリコン最高91位)の2曲だけ。新人賞レースでしこたま耳にした「Bye,Bye・・・」の最高順位の低さも気になるが、本体人気はかなりのモノだったのにもかかわらず…の結果である。このように真祐美人気は残念ながらトップ100内ではイマひとつハジけることはなかったものの、101位~200位間(トップ200?圏外?)においては、それはそれはスバラシク気を吐かれたもの。↑で挙げた楽曲も低行飛行ながらも延々とランクイン。「Bye,Bye…」に関しては計20週間くらいランクインされていたと記憶する。これら以外のチューン&このデビュー曲を含む…

「恋人なんて」オリコン最高111位
「わかってマイ・ラヴ」オリコン最高107位
「夏のレッスン1」オリコン最高113位

などなど…ソレラのどれもが養老の滝で延命の水をガブ飲みしまくる長寿さま?とおぼしき息の長さを見せたのである。どうせならばトップ100内にてソレをカマしてほしかった!ってのはあるけれど、これはこれでかなりスゴイ記録のハズである。フツーこうした位置で息の長さを見せるのは演歌というのが相場なのだが、真祐美さんはまさしくアイドル歌手でいながらコレをやってのけてしまったという、まさに…

圏外の女王

といったトコロだったか。ただこの称号は褒めているのか否かイマイチよく分らないところが難だわな。

これだけ根強い人気を誇っていた真祐美さんだが、アイドル歌手としての活動は1985年あたりを境に終焉に向かってしまう。でもってその後はどうしたのかというと、真祐美さんの持ち味だった妖艶なビジュアルを生かすべくだったのか…アッチ方面に進まれてしもうた。ファン様としてはこの「決心」…いかがなものだったのだろうか。当時の所属事務所は第一プロダクション。ここにはソレ系で名を馳せた○中葉子さんもいらっしゃったが、まさかソレが引導となっての???

♪壊されてもいいわ 離れたくない

いえいえ…真祐美さんがこの決心をされた時にゃ、すでに第一プロはお辞めになっておられたのでゴザイマス。ということは「芸能界を離れたくない!」という一心による真祐美の「決心」だったのか?コレに関してはご本人のみぞ知る…といったトコロかしらん、ナゾ。

☆作品データ
作詞:友井久美子 作曲:都倉俊一(1983年度作品・日本コロムビア)