三上陽永☆みなさまアザース! -195ページ目

自利他利円満



先日、青森に住む母方の祖母が亡くなり、急遽実家に帰った。


俺は、物心ついた頃から母方の祖母の事を『かか』と呼んでいる。

田舎で、母を『かっちゃ』と呼んだりする地域があるのだが、俺は幼い頃、かっちゃが言えず、かかと呼んでいたみたいで、それが何時の間にか親戚一同に広まり、母方の祖母は『かか』と呼ばれるようになっていた。


かかは、グループホームというヘルパーさんが常駐する老人ホームのような場所にいたのだが、容態が急変し、あっという間に亡くなってしまった。


母から知らせが会った時、あまりに急であったし、青森には帰らないつもりでいたが、母が火葬する前にかかの顔を見せたいというので、急遽帰る事にした。



かかとは疎遠になっていたと思う。



青森に帰省する度に、グループホームには顔を出すが、認知もあったので、会いに行っても自分がわかっているのか微妙なところで…青森市内からも施設が離れている事もあり、なかなか顔をだしに行く事がなかった。


そういった事もあり、亡くなったという知らせを聞いてもピンと来なくて…母に焼く前のかかの顔を見せたいと言われなかったら、青森に帰っていたかどうか怪しいところである。


青森に帰る電車のなか、いろいろ考えた。


かかとの思い出…母は、自分が小さい頃にかかがミルクを飲ませてくれたと言うが、まったく記憶にない。



…1番記憶に残っていたのは…一度、自分が飲んでいた缶ジュースをかかが飲んだ事があった。俺はなんか嫌で、かかが飲んだ缶ジュースの飲み口をティッシュで拭いた。その瞬間をかかに見られたのだ。


なにも、拭かなくてもいいでしょ~

と、笑いながら言うかかに、俺はなんとも言えない気まずさを覚えた。子供ながらに、何か、かかを傷つけたような罪悪感を抱いたんだと思う。今でもその時の事を考えると、なんとなーく申し訳ない気持ちになる。


小学生ぐらいの頃だったろうか。その頃はかかも元気で、かかが一人で住んでいた板柳から、電車を乗り継ぎ自分が住む青森市へやってきて、何週間か自分の家に泊まったりしていた。

俺は、たまーに長期滞在するかかを、苦手というわけでもないが、得意でもなかった。まず、どう接していいかわからなかったし、甘やかしてくれる父方の祖父母に比べ、ちょっと厳しかった。


父方の祖父母は家も近所だし、頻繁に会いに来たり、またこちらからも顔をだしていたので仲が良かった。実際、92歳になるじいちゃんとは、今だに文通をしている。

それに比べると、かかとはちょっと距離があったのかも知れない。

それでも正月にかかに会いに行くと、よぐ来たな~と喜んでくれた。


かかは、1人暮らしだった。


母はそんなかかが心配でなんとか青森の家に呼んで一緒に暮らそうとしたが、2、3週間すると、また板柳の自分の家に帰ってしまう。


1人暮らしでも、やはり青森で暮らすよりは友人もいるし、慣れ親しんだ町の方が居心地がいいのだろう。

また、かかは耳が悪かった。

母は、かかと話してるとだんだん大きな声になっていく。小さい頃は、なぜ母があんなにかかを大声で叱るのだろうと疑問だったが…叱っているわけではなかったのだ。

ただ、やはり声が大きくなると、穏やかな感じとはいかないし、かかも、自分の娘に口やかましく言われると思っていたのかもしれない。

かかは、かたくなに一緒に暮らす事を拒んだ。

そんなかかが施設に入ったのはここ数年の事だったと思う。

青森の実家に帰ると、母と一緒にかかに会いに施設に行くのが日課となった。


そこそこ距離があるので、冬などは自分が母を乗せて、車を運転していくのだ。母はよく、板柳に向かう車の中で…

やっぱり板柳に行こうとすると、天気が良くなる。雪がやむ。かかに会いに行ってやれって事なのかな…

と、毎回つぶやいた。

確かに、かかに会いに行くとき、だいたい天気がいい。前の日まで雪が吹雪いている時でも、不思議と晴れる。

母は、つぶやきながら寂しそうな表情になる。

母は、かかを田舎に一人で暮らさせていた事にずっと罪悪感を抱いていたのだろう。


俺は、かかが田舎に一人で残りたいと言っているのだから、母のせいではないと思うのだが…そんな単純な話ではないのだろう。




母から連絡がきたのは夜中だった。


『0時20分母が亡くなった。』

短いメールだった。でも、母のいろんな思いが感じられ、胸がつまった。

その日、施設から病院に移ったかかの容態が良くないから、今すぐ病院に来て欲しいと言われ、仕事を終えた母が板柳へ車を走らせた。


いつも板柳へ向かう道は晴れているのに、その日はひどい吹雪だったらしい。

母が病院についた時にはもうかかの意識はなかったようだ。

東京で働く母の姉にもすぐ連絡したらしいのだが、間に合わなかった。

親戚を呼ぶ間もなく容態が急変し、いってしまった。

最後は、母一人で看取った。


叔母が間に合わなかったのは残念だが、母だけでも最後に立ち会えて良かったと思う。


吹雪の中一人でかけつけ、母親の最後を看取った母は、何を考えたのだろう。また、自分を責めてなければいいのだが…


俺は次の日、朝早い新幹線で青森に向かった。

なんとか、火葬前のかかに会うことができた。


かかは、本当に綺麗な顔をしていた。笑っているようにも見えた。

東京からは、俺以外にも従姉妹も来ていた。

久々に会う母は、疲れてはいたが思ったより元気そうだった。

かかに最後のお別れを言う。



…ジュースの件…ごめんね。
俺、変なとこ気にするガキだったから…

やっとじいちゃんに会えるね。これからは、二人で母ちゃんと、姉ちゃん(叔母)を見守ってね。


かかは、天国で待つ旦那さんのところへ行った…

火葬が終わり、通夜、葬式

急だったので、家族葬だった

でもとっても賑やかだった

従兄弟の元気な子ども達が3人

うちの妹の長男、ハル

お坊さんがお経をよんでるあいだも、かなり賑やかだったが(笑)

お坊さんは、かかが生前からお世話になっていた方で、お経をよみあげた後、かかの思い出を語った


そして、こんなに賑やかな親族に見送られて、きっと幸せだと


確かに…母と、叔母。その子ども。そしてまたその子ども達。


…かか、すごいね…ここにいる人達みんな、かかがいなかったらこの世に存在しなかったんだよ

かか、すごいわ。


母ちゃんは、ずっとかかに寂しい思いをさせていたのではないかと気を揉んでいたが…最後、こんな賑やかに見送れたんだから、かかも寂しくないと俺は思う

お坊さんは、こんな言葉を教えてくれた


『自利他利円満』


お釈迦様の言葉らしい

自分も幸せにならなければ、他人を幸せにする事はできない。

他人を幸せにするために、自分を犠牲にするのは違う。当然、自分だけ良ければいいという事でめない。

自分を幸せにするからこそ、他人も幸せにし、結果円満になるという意味だ。

とてもいい言葉だと思う。

自分が愛する人を幸せにしたいと願う事は、誰もが思う事だろう。

でも、自分自身の人生もあるし、ほとんどの人は、自分の事で精一杯だったりする。


それでいいんだ。

自己の犠牲の上に、円満な幸せはない。なぜなら、自分が幸せにしたいと願っている人もまた、あなたの幸せを願っているからだ。

だから…まずは自分が幸せになる事。それから、幸せにしたいと願う人の幸せを。それが円満に繋がるのだろう。

親子にも言える事だ。

俺も、自利他利円満を目指したい。

かか、さようなら。ゆっくりしてね。


さて、俺は東京に戻らねば!可愛い可愛いハルは若干俺の事を忘れていたが…可愛いから、いいか( ´ ▽ ` )ノ

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