「よろしくお願いします。」
レイはいつも笑顔でスタジオに入る。
そしてどんなに下っ端のスタッフにも
必ずしっかり挨拶をする。
青山レイが作り物であっても
こういう部分には好感が持てた。


「日向楓役の小薗いちあさんです。」
スタッフに紹介され、小柄な少女に
注目が集まる。
歌って踊れるアイドルグループのリーダーで
確か年はレイと同じ16。
腕と足は気持ち悪いか悪くないか
ギリギリの細さ。
大きな黒目がちの目に、通った鼻筋。
綺麗な黒髪を揺らす姿は人形の様だと思った。
「シエル役の青山レイさんです。」
187の長身に整った顔立ち
髪色は金色をしたその姿は
ヨーロッパの絵画を思わせるような姿だ。
レイが微笑むと、男女を問わずどよめきが
起こった。
普段見慣れているつもりのあたしも
元々は全く興味のなかったこの
あたしも、思わず感嘆の声をあげた。
実はこの男、かっこいいのだ。


撮影の合間、あたしは警備室へ向かった。
明日からの毎日、追っかけに潰されながら
スタジオ入りなんてイヤだ。
明日から何とかしてくれるように
申し入れたい。
「すみません。サリープロダクションの者ですが。」
警備室にはさっきの警備員が1人
椅子に腰掛け、佇んでいた。
ちょこんとしたシルエットが情けなく映る。

当人ではなく、上司にクレームを
つけようと思っていたが仕方ない。
怯えた表情の彼に近寄る。
「あの、今朝のことなんですが
追っかけがあんなにいたのに
なぜ規制してくれなかったんですか?」
25くらいの警備員は見るからに
オドオドし、一層怯えた顔をする。
その姿はあたしの神経を猛烈に逆なでし
イライラを助長させていく。
そして、自然と語気も荒くなる。
「明日からはきっちり、警備していただけますよね。
毎日こんなことじゃ困ります。」
「…でも、あの人たち怖くて。」
「は?」
「ここ、僕一人しかいないんです。
他に警備員いないんです。
一人でなんて無理です。」
「…あなた、それが仕事じゃないの?
警備員なのに、警備しないでどうするのよ!」
あたしは感情にまかせて、そばにあった机を
平手で叩いた。
警備員は完全に萎縮しており
何も言葉を発しなくなった。
「もう結構です。事務所を通じて
正式にクレームつけますから。」
あたしはそう吐き捨てると
警備室を後にした。
ドアの閉まり際に、困りますぅという
半泣きの声が聞こえた。
困ってるのはこっちだよ!まったく!

「うわ、なんだこれ。」

スタジオに到着し、玄関前に進入するところで

運転手が声を上げた。

「どうしたんですか?」

後部座席から身を乗り出してみると

50人ほどの女性の集団がそこにいた。

「あれ?追っかけですか?

警備はどうしたんですかね?」

車内から周囲を見渡すと、玄関横に一人

警備員が突っ立っていた。

「え~なんで追い払わないの~?」

今までどこに行っても、警備員がうまく

現場を捌いてくれていた。

おかげで追っかけに囲まれて動けない

などという思いはせずに済んでいた。

しかしこの警備員は追っかけに目もくれず

突っ立っている。


車が玄関に近づくにつれ、集団の視線が

ささるように、探るようにこちらに集まる。

「なんか・・・・怖い・・・。」

あたしは大きな不安に襲われ、思わず

つぶやいた。

「あ~出たな。キモオタ。」

レイはまたしても顔色変えず、さらりと言った。

「やっぱり、うちですかねぇ?

違う人だったりしないかなぁ・・・。」

あたしがそういい終わるか終わらないかのうちに

集団から悲鳴が上がった。

「レイ~~~~~!!」

「きゃ~レイ~~~!!」

驚きのあまり、体がびくっと震える。

「え?なんでうちだって分かったんですか?

まだ結構距離あるのに、

レイの姿が見えるんですか。」

ちょっとしたホラー現象に直面した気分だ。

「うちの車のナンバー、覚えてるんですよ

彼女たちは。」

運転手がうんざりした声をあげた。

「平気で車をたたいたりするし、ホント迷惑

なんですよね。あの警備員何してんだか。」

ちらりと警備員をにらんでみるが、微動だにしない。

「別のところで降りたら、玄関はいるまでつきまとい

ますから、ちょっと我慢してここで降りちゃってください。

このスタジオ、入り口はここしかないから・・・。」

バックミラー越しに、運転手が同情的な視線をくれる。

「わ、分かりました。

・・・どうしよう

心臓かなりどきどきしてきました。」

「お化け屋敷入ったと思え。」

レイの余裕あふれる態度がとても頼もしく、輝いて見えた。

「い、今レイさんのこと、初めてかっこよく見えてます。

頼もしいです。」

「頼もしいじゃないよ。

俺のこと守るのアカネの仕事だろ。」

「・・・・・そうですね。」


意を決して、バンのスライドドアを開ける。

人が通る隙間なく、女性が密集している。

その女性たちから放たれる明らかな敵意の視線。

「なにお前?」

とすべての女性が言っているように見える。

自分たちと同世代の女がレイの車から出てくる。

それはきっと、面白くないのだろう。

悲鳴に負けないように、できるだけ大声を出す。

「すみません、道をあけてください。」

しかし、1センチもあかない。

「すみません、車から降りられないので・・・。」

やっぱり、あかない。

あたしのことなど完全に無視である。

そのときレイがあたしの背後から顔を出した。

「ごめんね、道、あけてくれないかなぁ?

俺撮影に遅れちゃうよ。」

10秒前とは完全に別人の

完璧な笑顔を浮かべていた。

それを受けて、集団の悲鳴が爆発する。

あたしの前には、人一人分の道ができた。


作られた道の両側から

プレゼントや手紙やらがにょきにょきと出現し、

ケータイのシャッター音が聞こえる。

「写真を撮るのは止めてください。

撮った方はどなたですか、データを消してください。」

叫んでみてもちっとも響かない。

そうこうしている間に、レイは女性の中に

飲み込まれていく。

(ヤバイ、助けないと。)

「すみません、レイはこれから撮影ですから。」

人をかき分けレイの腕を掴んで玄関に押し込む。

あたしもそれに続いて、中に入ろうとした時

誰かが服のすそを強く掴んでいることに気づいた。

その力によって、あたしはスタジオの玄関から

どんどん引き離されていく。

そしてあたしの前に2、3人の女性が立ちはだかった。

「あんた何なのよ!さっきから!」

「仕切ってんじゃないわよ!」

「何レイについていこうとしてるの!」

突然怒鳴りつけられた驚きと恐怖で

あたしの頭は真っ白になり、動けなくなってしまった。

搾り出すようにあの・・・とだけ口からこぼれる。

(マネージャーなんですけど・・・)

説明しなきゃと思ったときには

玄関に送り込んだはずのレイが

あたしの腕を掴んでそばに立っていた。

「この子、俺のマネージャーなんだよ~。

離してくれる~?」

「え!?ごめんなさい。」

急にかわいい声を出し、集団はあたしを解放した。

レイはあたしの腕を引いて、すいすいと

追っかけをかき分けてスタジオ入りを完了した。


「本当に申し訳ありませんでした。」

楽屋についてすぐ、あたしは深々と頭を下げた。

レイを守るどころか、トラブルに巻き込まれた挙句

助けられてしまった。

新人といえども、あまりにも情けない。

レイはしばらくの間、黙っていた。

どんなにきつく言われても、今回は仕方ないと

覚悟を決めたとき、予想だにしないことを言った。

「俺がキモオタって呼んでる理由が分かった?

あいつらは俺のファンじゃない。

自分の欲求を満たしたいだけ。

勝手に盛り上がって勝手に去っていく

迷惑なキモオタ。」

レイは受け取ったプレゼントや手紙をどさっと

床に落とした。

「これ、捨てとけ。」

「手紙、読まないんですか?

いつも手紙読んでるじゃないですか。」

「ファンの手紙しか、読まない。」

レイの言葉と目には怒りが感じられた。





映画撮影の初日は

午後1時の現場入り。

ここ最近、朝7時から開始

なんて日が続いていたので

ちょっとゆっくりできる朝だ。


「おはようございます~。」

レイの家の玄関を開け、だれもいない空間に

あいさつをする。

合鍵で開錠するのにもすっかり慣れた。

どこに何があるかも分かるくらいだ。


どうせまだ寝ているのだろうと

完全に決め付けたまま

リビングのドアを開けたら

すでにレイはソファーに腰掛けていた。

「あ、今日は起きてらっしゃるんですね。

珍しい。」

「昨日はすぐ寝たから。

コーヒー、出して。」

「最近忙しかったですもんね。

久々にゆっくり眠れたんですね。」

話しながらミネラルウォーターを沸かし

コーヒーの準備をする。

「なんか、朝飯的なもの喰いたい。」

ぼーっと窓の外を眺めながらレイがつぶやく。

レイはテレビはあまり見ないし、音楽もかけない。

しーんと静まり返ったところに、ぽつりと座っている。

「朝飯的なものですか・・・・。」

以前何かあったときに使えるかもと

買っておいたレトルトのご飯や缶詰を思い出した。

「おかゆ、どうですか?鮭がゆあたりなら

すぐ出せます。」

「喰う。」

言葉はぶっきらぼうだし、表情も変化ないだろう

けれど、美術品のような顔が、喰うとつぶやくのは

ちょっといとおしかった。


出来合いで作ったおかゆだったけれど

我ながらおいしくできた。

レイも黙って、さらさらとかきこんだ。

「こんなん、うちにあった?」

「前に買って置いといたんです。

何があるか分からないじゃないですか。

熱出すかもしれないし、地震が来るかもしれないし。」

眉間にしわをよせて、あたしを見つめ

首をかしげる。

「なんだそれ?」

「地震来たら、食べるものないじゃないですか。

レイさんが風邪引いて熱が出て、

あたしが駆けつけるまで

何も食べ物なかったら困るじゃないですか。」

「なんでアカネがそれを心配すんの。」

「なんで、ですか?

ん~・・・・マネージャーだから?ですかね?

特になぜって深く考えたことはないですけど。

困っちゃったら、かわいそうだなぁとか

漠然とそう思ったってかんじですかね。」

「アカネってなんか、母親みたいだな。

今日は寒いからもう一枚着ろとか、前に言ってたし。」

あたしはこの話の流れで自分の身の上の話を

初めてした。

母子家庭であること、自分も小さいころから家事を

担ってきたこと、必然的に主婦っぽくなったこと。

「だから特に理由なく、そう考えちゃうんでしょうね。

一般的な18歳より、老け込んでると思いますよ。」

レイは顔色一つ変えず、静かに聴いていた。

それでもあたしたちの距離は

ちょっと縮まった気がした。