本当に、ブログネタとか思いつかなくて
かと言って、書かなければならないものでもないので、あまり更新できていないのですが、
今日は親という固定観念について、お話ししたくなりました。
私は自分が「そうしたい」「こうしたい!」と思って実行している事って、以前は実はあまりなかったのです。
気づいていなかったり、深く考えずにルーティン化されていたり。
今思うのは、だからこそうまくいっていなかったと言い切れるのですが、
非常に辛い時期でもありました。
潜在意識にまで染み付いた、固定観念に気付くのは人それぞれタイミングがあるんだなぁ、
と 自分自身の経験を通して感じます。
その一つが、親というキーワードだったのですが、
手本になるような存在が私にはいなかったので、非常に困りました。
友人のお父さんが、仲良く友人と日曜日に遊んでいる姿を見て、カルチャーショックを受け
家に帰ってしまうような子どもでした。
「お父さんって、本当は子どもとこんなに仲良く遊べるの?」「みんなこんなに楽しい家なの?」
「お父さんに向かってあんなこと言っていいの?」
「私も一緒に遊ぼうって言われたけど、入っていいの??邪魔しちゃだめだよね?」
いろんなことが頭の中をぐるぐると駆け巡りながら、
家じゃない方向に走ったのを鮮明に覚えています。
今思えば、かわいいなぁと思えるのですが、
当時はショックで、翌日その友人に話しかけることができませんでした。
もしかしたら、似たような気持ちを経験をされている方もいらっしゃるかもしれませんね。
この時から、「親はそれぞれの家庭で違う」という当たり前の事に気付いてしまい
私の心が、理想の親探しを始めてしまいました。
その後、長い年月をかけ無意識のうちに、親という固定観念が私の中に出来上がっていったと思うのですが
その固定観念を「ちがーーーーーーーーーーうっ!!!!💢」
と、吹き飛ばしてくれたのが、最初の子どもの存在でした。
言葉を話さない赤ん坊ですが、表情や仕草、声のニュアンス、もうとにかくありとあらゆる表現を使って
私の育児に「違う!」をアピールしてきました。
なので、最初の子育ては、非常に苦労をしたのです。
子どもからのダメ出しに毎日涙し、家族からも自分の育児について批判され、、ボロボロでした。
今思えば、うまくメッセージを受け取れていなかっただけなのですが、
笑っちゃうくらい空回りをしていました。
ダメな自分を開き直れるくらいに、成長させてくれたのは最初の子どもだったような気がします。
子どもに鍛えられ(笑)これは、包括的に見て、子どもは私に何を言いたいのかと考えました。
当時は、ぼんやりとですが、「自分を生きていないよ」というメッセージかなぁ、と感じたのです。
苦痛ばかりの育児かと思い込んでいましたが、その後は少しずつ、
私の「理想の親」を自分で破壊しながら、前に進むことができました。
あぁ、そんなものは存在しないし、自分で決めるしかないんだなぁ、と
そこもぼんやりとですが、弱いながらも当時感じていました。
今は、自分の現実は自分が作っているということを理解したので、
日々、さまざまな思い込みを書き換える事に楽しさを感じています。
そして、必ず、前向きに進んでいくと、自分を応援してくれる存在に気づき、
心からの感謝の気持ちや、ありがたさを日々感じています。
だからなんだという話ですが、
ブログに載せてみようと思いました。

