今日は午前中に仕事一つを終えて、午後から仕事教えてもらって、さらにお仕事をもう一つ終えるくらいのつもりでいたが、朝に午前と午後に一時間半ずつくらい仕事が降ってきて、結局仕事一つと教わり一つを終えるに留まる。
仕事ひとつめと降ってきた仕事でいっぱいです終わりませんなんてこと報告して、言い訳に思われただろうな。
今日は初めて会社のカウンセリングをお願いした。
残念なことに内容をほとんど覚えていない。悪循環と言われたが何がだったっけ。大体想像はつくが。それで悪循環の風穴を空けなければいけないとのこと。その突破口として一つ「ルールを守る」ことを提示された、んだったか? 生真面目なところと、いい加減でだらしないところの二面があるという話もされた。職場で相談できる相手がいないということも。でもよく考えたら一人いる。そのことはちゃんと次回先生に言わないといけないと思う。「課長は両方とも優しい人ですよね、気遣って下さって」そうだね、そうだったような気がする。今の私にはどちらも厳しく感じるからやっぱり私があまりにも駄目なんだな。それから今まで吃音症やパニックが出たことがないことも。怒りがきちんと出せない状態であることも(ただし例外的に彼氏になら出せる)。気持ちと行動を分けて、まず行動してみる。とのこと。でも気持ちに対して行動は生じるんじゃないだろうか? 気持ちに駆られて体が動くばかりだ、私の場合。気が進まないというのをそう簡単に行動と切り離せない。無意識に避けることだって往々にしてある。
「そういう態度、社会人として、どう思う?」 分かってるよ。分かってるんだ、そんなことは。
必死に話すと、相手の言ったことにメモを取ることが頭から抜けるのはどうにかしないと後々著しく困るだろうな。今回もメモ持って行ったのに。次回は気をつけないと。どうせ必死で話したら何を言われたかなんてちっとも覚えてないんだから。
とりあえず残業の件はちゃんとやる。そういう約束をした。した。守る気は大いにあった。自分なりに嫌な事でもちゃんと一つやった(他の人に面倒だけど「こういう事情なんで」と話をした)し、アドバイスもらった通りにはできなかったけど自分なりに「今やらなきゃいけないこと、放り出せること」の区別をつけて、すごく嫌だったけど色々をさぼった。残業してもいいですかって連絡したし、ダメって言われたから早めに実験室も出た。けど報告しようと思ったら結局人と話してて、報告できるようになったら既に残業時間過ぎるとこで。その直前までやってた仕事だって五時までに終わるのって言われたから必死に仕上げたのに、そりゃ早く終わるような工夫は足りなかったし、後から考えれば他に迷惑をかけてでも他との兼ね合いの仕事は振り捨てるようなこともできただろうけども。それがいけなかったのか。それだけで「今日できなければいつできるの」なんてことを言われなければいけないのか。それで言い訳というか弁明と言うか自分を守る言葉を飲み込んで、更衣室で帽子を床に叩きつけて声を殺して泣かなければいけないのは何故だ。私が悪いのか。ああ私が全部悪いんだろう。これまでの行いが悪くて、結果少し顔を上げても踏み潰されるんだろう。それだったらもう希望なんてないじゃないか。でも、もう少しだけ耐えてみよう。今週末まで走り切って、あと三回踏み潰されてから、仕事を辞めるか会社を辞めるか人間を辞めるか人生を辞めるか、考えるのはそれからだ。
今日もいかんなくミスばっかり。とりあえず部屋の上司は今日は優しかった。明日は鬼になるかもしれない。課長の前ではどもりは出ない。泣くことは多い。先輩が珍しいミスをして落ち込んだり苛立ったりしていた。支えてあげたかったが馬鹿な私には上手くできなくてつまらない。先輩に迷惑をかけたくないなと思う。こんな素直で正しい気持ちも、錯乱の前には消えてしまうが。焦ると何事もよくない。台車から荷物を降ろして荷物を片付けようとしたら台車のことを忘れて帰りそうになったり。自分が情けない。自分に対する愛想は尽きていて、何故その上で自分をまだ愛そうとか大事にしようとか尊重しようとするのか。傷つかないように守るような無駄口を言うのか。本当は死んでしまえばいいんじゃないのか。何故まだ生きているのか。
役立たず。ごくつぶし。生きている価値もないくせに。
とっさに何かをしようとすると絶対にうまくいかないのに、とっさになるとそのこと自体が絶対に吹き飛んでしまう。どうにもならない。
私という存在に生まれついてしまったこと自身が不幸というか、この体でこの先も生きていくことが絶望というか、他の人が私になったら迷わず死を選ぶのではないだろうか。私は明日になれば失敗をある程度忘れてしまえるから厚顔無恥にも生きているだけなのだ。
気づかないことが全てだ。他の手があることにも。他人への配慮も。そんな発想がないのだ。知恵がまるでない。学習能力もまるでない。「このことを直さなきゃいけない」ということを言われても、直後に忘れてしまう。それは心に深く入っていないからかもしれない。でも強く叱れば印象に残って二度と忘れないというのは私には当てはまらないと思う。その瞬間、思い出せるかどうか、気づけるかどうかだ。眼球の上を滑ってしまえば何事も同じだ。こうすれば、もうちょっとよく考えれば、うまくいくのに。他人から言われて、「そうかそんなやり方が発想があったのか、全然気づかなかった」こればっかりである。頭を使って生きていないんだな。頭なんか使いたくない。馬鹿の考え休むに似たり。何かを考えて決めて行動すればその責任を取らなくてはならない。責任なんかとれるかよ、こんなミスで塗り固められたようなバカの。
他の人がやっている普通のやり方も、本来取るべき正しい行動も、全く気づけないのだ。発想の外なのだ。それでいて、正しいやり方を知ったところで学習しない。学んで身に着けない。そればっかりは自分でも謎だ。なんで。
ただ、身に着いたところでそれがちゃんと表に出せるかというとそれはそれで別問題で、ちょっとした気の逸れで上手くできず、前通りの間違ったやり方をしたり、新しい間違ったやり方をしたり。
気づかないといえばそうだ、私は多量の「自分ルール」に縛られて生きているが、そこに自分ルールが生じて正解の行動を邪魔していることに自分で気づかない。例えば「些細な仕事で残業申請をするのは正しくない」とか。思い込みが激しくそれでミスばかりをしているが、どこで何を思い込んでいるのか自分で把握するのがうまくいかない。客観性が足りないのだろうか?
持ち帰り仕事があるが、したくないな。何もしたくない。ずっと寝ていたい。先の見通しもやりたいこともないけど、仕事やめちゃおうかな。部署の人には、何と言われたってそんなにつらくないかもなって思った。昨日他の人が仕事辞めた件について唖然としてあれやこれやみんなが言ったとき。あんな風に言われるくらい、なんともないな。
自分でやるって決めたって、誰かにやれって言われたって、その時やりたい気分かどうかとか、やる余裕があるかどうか、やることを覚えていられるかどうかだ。どんなに忘れたくないって思ったって、結局何かどっかの都合で消えてしまうのだから。