さて、由喜ちゃん判定だとチワワ前者ラプンツェルなわたくし。まあ最近疑いを強めていますけどね。だってぶっちゃけ人様にビタ一文あげたくないし。控えめに言っても与えられてもいないし。前者はガチかもしれないが、女王じゃなくない?姫ではない?と。由喜ちゃんに対する意義を唱えたいわけではもちろんなくて、いやいや、私そんな与えること喜びじゃありませんからーー。スキあらば遊びたいし与えられたいですからーー。という感じです。与えれば力が湧く感覚も正直理解できないっす。

で、本題に入ります。私鑑定電話の時にこう言ったんですよね。

「私、チェックリストだと将軍っぽいんですよねえ」

結局前述の通りチワワだったわけなんですが、なぜそう思うかと言うと私は息をするように自虐をする人間なんですよ。
結論から言えば、別に自信がないわけではなかったのです。否、割と自信があった、のです。
なぜかと言うと、通常言葉にすること、出来ることというのはブラックボックスである、自分にとっての論理回路を通り抜けた先にあることじゃないですか。ではそのブラックボックス(心屋でいうところの前提)に何が入っているのか?ということですよ。
言葉や文字では「自分はダメ」なんていうわけだけど、では何故自分はダメだと考えるのか。それは「人は私を認めていない→ゆえに私はダメ」なんですよ。では何故人から認められていないことがそこまで自分の感情に影響するのか。極端に言えば次のようになります。

(建前)私ダメなんですう。自信ないんですう。今まで何一つやり遂げたことのないクズなんですう。

(本音)この素晴らしい私様のことを認めやがらない周囲のバカ達を私を平伏し拝むように変えたいし、なんなら天誅を下したいけどそれは法が許さないので、奴らを変える方法を教えてください!とはいっても私はびた一文変わらないけどね!


いや我ながらドン引き。
実は自虐しとくと大体人って構ってくれたり褒めてくれたりするんですよ。でもそこを狙って発言している時点であまり自己評価低くないんじゃない?ということなんですよ。
で、認められるの定義も怪しいもので、認められること=赤ちゃんよろしく派手に褒められることと自分の中で定義しているとしたら、そりゃ大多数の人からは認められないよね?って話ですよ。3X歳の人間に対して「良い子でちゅね〜」とか言ったら返ってバカにしてると思われるし、真っ当な人間ならやらんわ。

というわけで、「認められる」の定義を変えることにしました。とりあえず私の行動に対してなんらかの反応があれば、それは「認められている」ことにしようと。具体的には「おはよう」と言って「おはよう」と帰ってくるならまあいいじゃねえかと。

つまり、心屋さん(卒業するらしいですね)とか由喜ちゃんが何度か書いているように「既に認められている」んですね。自分、無駄な努力お疲れさん!