またもや日にちが空きましたがこんにちは。今日は前回の次回予告は無視して(母の呪いはまた書きます)

「自分を褒めるということは果たして甘やかしか?」

ということについて書いていきたいと思います。




自分を褒めるということは大切だ。この界隈では1日に200回くらいはそういうブログが更新されている気がする。そのくらい大切だ。しかし何故自分を褒めることは大切なのだろうか。単に気分が良くなるからだとしたら、別に自分を褒めるという手段にこだわる必要はない。アクセサリーでも推しでもストロングゼロでも良いではないか。
結論から先に言うと、自分を褒めるということは自分を評価することだから大切なのだ。自分を評価するためには自分の中に評価の基準がなければならない。その基準を作る訓練が自分を褒めるという行動なのである。
いわゆるPDCAサイクルというものがある。計画→実行→評価→改善→計画→…という問題解決サイクルのことである。我々が教育を受ける学校という場所は「実行」以外の全てを代行してくれる機関である。学習計画は学校(国)が行う。評価は教師が行う。改善も親や教師が考えたことを子どもはただ「やる」だけである。
良い悪いは別にして、我々はそういう教育を受けている。従って自分で物事を決め、自己を評価し、改善策を練るということに案外我々は慣れていない。やってないことはできないことである。そのため私たちが自己評価と呼んでいるものは、実のところ他者評価をそのまま取り込んだものであることが多い。自分の中で評価基準が定まっていないからである。しかし最初から厳密な評価はできない。はじめから自分の欠点を指摘しようと思うと、他者評価そのままに自分を罰することになりがちである。罰から改善は生まれない。だから心理界隈の人たちは自分を褒めろというのだろう。何事も簡単なところから始めなければならない。
心理界隈、もっと言えば心屋界隈で良く言われていることとして、他に「やりたいことやろう!」があるが、これは別にパリピ的に生きよということではなく「自分で物事を決めよ」ということだと思われる。こうして見ると心屋界隈は甘やかしでは決してなく、むしろ自分の軸を育て直せという厳しい問いかけのようでもある。