障害児の母になりました -2ページ目

障害児の母になりました

育てにくかった息子。ついに診断名がつき、障害児になった。そして、私は障害児の母になった。

ドロドロした気持ちを吐き出すブログ。

難航した放課後デイサービス探し。

 

やっと見つけて見学に行ったのに。

 

そこはまるで刑務所のようだった。

 

まぁ刑務所の生活を私は知らないけれど。

 

 

 

そこの管理者と名乗る女性は、

 

ものすごく笑顔で愛想よく私に対応してくれた。

 

私が一通りの説明を聞き終えた頃、

 

授業を終えた子どもたちが数人、

 

送迎の車から降りてきて、ドアを開けた。

 

 

 

「○○(名前)です。〇時〇分、到着しました」

「よろしくお願いいたします」

 

 

そう挨拶しながら一人ひとり入ってくる。

 

 

元気よく・・・というより、

 

ロボットのように。

 

刑務所かのように。

 

 

 

荷物を一通り片付けて、療育室に入ってくる時も

 

また一礼しながら、同じ挨拶をした。

 

管理者の女性は

 

「どう?すごいでしょ?」

 

と自慢げな表情で私を見た。

 

 

 

 

 

子どもたちは広い療育室をふらふらと歩いていた。

 

管理者の女性は私を椅子へと促し、

 

自分は子どもたちを見渡せる位置で

 

書類を書き始めた。

 

 

 

壁には大きな文字で、様々な決まりごとが書かれていた。

 

 

「大きな声は出しません。」

「きちんと挨拶します。」

 

壁一面のたくさんの決まりごとを読んでいたが、

 

ふらふらと歩き続ける子どもたちが気になった。

 

なぜ遊ばないのだろう?

 

 

 

 

 

一人の子どもが管理者の女性のもとにきた。

 

「先生、うんてい使っていい?」

 

そうか。許可を得て遊ぶシステムなのか。

 

そう納得しかけたが、少し違った。

 

管理者の女性は、目を向けることもなく無視した。

 

その子は何度か続けて、同じ質問をしていたが、

 

何度質問されても、無視だった。

 

そして、そのあと、目線を上げると睨んだ。

 

 

睨まれた子どもはハッとした表情で

 

 

「お仕事中、申し訳ありません。」

「今、お時間いいですか?」

「うんていを使ってもいいですか?」

 

と聞き直した。

 

管理者の女性は、満足そうに微笑んで

 

「どうぞ。」と言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、私のほうを振り向いて話し始めた。

 

「この事業所では、こうして大人になっても困らないように、やりとりの仕方を徹底して教えています。この子たちは小さい頃からこういう訓練をする必要があります。このようなやりとりができることが、障害者枠での雇用に繋がり、自立に繋がっていくのです。謂わば、障害者のエリートになれるということです。」

 

 

 

心の中で「は?」と思いつつ、とりあえず頷いた。

 

 

その後も、どれだけ自分たちの療育が素晴らしいものか、

 

自慢は続いていたが、あまり聞かないことにした。

 

聞けば聞くほど不快だったから。

 

 

 

そして、そうこうしているうちに、

 

子どもたちが壁に向かって整列した。

 

そして、先生の合図で壁の約束事を

 

大きな声で揃えて言い始めた。

 

これはブラック企業の朝礼?

 

 

 

「最後までゆっくり療育を見学してください。」

 

そう自慢げな笑顔で言われたが、

 

丁重にお断りして、その場を去った。

 

 

 

 

 

 

帰りの車で、私は毒づいた。

 

 

何あれ?刑務所なの?

 

息子は生まれながらにして障害がある。

 

でも何も悪いことなどしていない。

 

刑務所のような生活なんて必要ない。

 

小学生の療育に、「無視」とかおかしいでしょ。

 

そうしないと自立できない?

 

障害者枠の雇用がエリート?

 

ふざけるな!

 

そんなエリートになる必要ない。

 

健常者に都合の良い、

 

ロボットのような障害者がエリート?

 

そんな人に息子はならなくてもいい。

 

息子は息子らしく、生きていく方法がある。

 

 

 

 

 

そう思って、私は息子の自立を目指すことにした。

 

 

障害者のエリートではなく、息子らしく自立することを。