今回は、上弟くんの病状悪化時の様子を書きたいと思います。

 

上弟くんは、まじめで賢く几帳面でした。

もともと調理師だったので、調子が良い時は、観光地のレストランやサービスエリア、ファミレスに居酒屋と、色々なお店で働きました。

どのお店でも上弟くんの仕事ぶりは、すぐに上司に評価され、またたく間に責任のある仕事を任されるようになりました。

責任のある仕事を任されると、上弟くんの仕事にも熱が入り、どんどん無理をするようになります。

お休みの日も仕事のメニューを考えたり、寝る時間を削って覚えたりと…

 

仕事をしている以上、頑張らなくてはならない時、無理をしなくてはならない時が必ずあります。

そのストレスやプレッシャーが、上弟くんには響きました。

働いているうちに、職場の不満や仲間の不満を口にするようになり…

(上弟くん、日頃は人の悪口や陰口は言わない人でした)

それが見られ始めると病状が悪化しているサインだと、ばあちゃん2号と母ちゃんは判断していました。

 

母ちゃんは嫁に行ったので、実家は両親(じいちゃん2号とばあちゃん2号)と上弟くんの3人でした。

離れて暮らしている(高速使って2時間弱の距離)ので、母ちゃんが上弟くんの状態を知るのは、ばあちゃん2号からの電話と帰省時のみでした。

母ちゃんにも子どもが生まれ、ゆっくり上弟くんの現状について話す時間がなく、ばあちゃん2号も上弟くんと一緒に住んでいたため、夜の電話は困難でした。

考えた末に出した方法は、お互い仕事をしていたので、昼休み。毎週水曜日の13時が現状把握の電話タイムでした。

 

母ちゃん、水曜日の13時がくるのが、ホントに憂鬱でした。

電話が終わって状態が落ち着いていると聞けば、束の間の休息で、また次の水曜日がくるのが怖くて…

 

上弟くんが不満を口にして仕事を辞めてくれれば、少しゆっくり過ごして病状が落ち着く。落ち着いたら、また別の仕事を始めて、無理をして、悪化する。辞める。を繰り返していました。

薬の重要性は再三の入院で自覚したのか、内服するようになっていたように思います。自己管理していたので、実際は判りませんが、飲んでいたと信じたいのです。

 


悪化した時は、ひどかった…

何かあれば家族に指示を出す母ちゃんがターゲットで…

昼夜問わず、罵詈雑言の電話が数時間続くゲロー

よくもこんな長文を携帯で打つわと思うような長文での罵詈雑言チーン

昔、お前(母ちゃん)はこう言った。お前(母ちゃん)はこんな態度をとった。と、自分でも覚えていないことをほじくりだして文句を言う。覚えていないと言うと激怒ムキー(覚えていないが)悪かったと謝っても、ごめんで済むかムキーと許されず…

小さい子を育てながら、フルタイムで働きながら、家事をしながらの対応は、ホントにホントにキツかった…えーん

携帯の着信音・メールの着信音にビクビクし、手が震えるようになり、未だに当時の着信音を聞くと、動悸が打ちます…完全にトラウマとなっていますゲッソリ

 

上弟くんの調子が悪くなると、母ちゃんもメンタルやられて痩せていく。

上弟くんの調子が良いと、母ちゃんも穏やかに過ごせて太る。

上弟くんの病状と母ちゃんのメンタルはリンクしていました。

 

19   上弟くんの生活ぶり  へつづく