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Love n surf

オーストラリアで暮らしています




人との関係
家族との関係
自分との関係は

常に模索している気がします。


自分が拒食症で入院、一時外出を許可され
母とファミレスに行き
苦しくて苦しくてしょうがなかったことを思い出しました。

私はひたすら
生きていて欲しい
と懇願されていました。

私は常に
何も伝わらない
と絶望していました。

こんなに絶望しているのに
こんなに苦しんでいて
息をしていることすら苦しくてしょうがないのに
何のために?
貴方のために?
周りのために?
生きていろということ?
心の中がしんでいるのに?
身体だけは生きていろと?

と、何年間も思い
どうにも出来なかったことを思い出し
泣いています。

母との関係はいつでもよく分からないです。
幼い頃から、私と母の記憶が一致することは、あまりありません。
母が、何かを正確に覚えていたことは、ほとんどなく、全ての情報や記憶は、全て書き換えられていました。

私と家族は、それに答え合わせをするように
“今〜って言ったよね?!聞いてたでしょ?!?!”

と言いますが、母本人は、書き換えた記憶で過ごしていました。私、父、姉、3人が言おうが、納得はあまりしていませんでした。

幼い頃の私は、記憶力が良かった為
理解が追いついていませんでした。

何故、覚えていないんだろう
すでに認知症なのか?

小学校高学年になる頃には、
覚えていることが稀で、それに感動していたような気もします。
しかしやはり私の大好きな物等も
母の記憶では全然違ったりして

私の何を見ていて
記憶が変わっているのなら、この過ごしている時間に意味なんてないのではないかと思っていました。


今では、自分もそこまで記憶力がないですし、子供と大人の違いもあるのかな
記憶の個人差など
少しは理解出来ますが

子供心は、何も見てくれていないんだと
常に思っていました。


14歳から19歳頃までは
今までずっと言えなかったことを
沢山沢山ぶつけ
沢山母をきっと家族も泣かせてきました。

入院し、自分がボロボロになり
これは私だけの問題ではなく
家族同士がそもそも言いたいことを言えていない
家族で改善出来ることが沢山ある
と気づいたからです。

最初はただの癇癪でしたが、
その過程で自分の思いを母、祖父にぶつけ
少しずつ気持ちを伝えられるようになりました。

そんな中で、家族同士も少しずつ向き合うようになったのではないかと思います。


私の最難関は父でした。
常に拒絶される恐怖に、何も言えず
どんなに苦しくても泣き叫ぶ事しかできませんでした。
なだめてくれる父が逆に恐ろしく
どこにも逃げ場もどうしたらいいのかも分からず
パニックにパニックにパニック。

この辺の記憶には蓋をしているし、自分だとも思えていないので、思い出そうとしたくてもおぼろげですが、
散々迷惑をかけました。

自覚もあり、癇癪、謝る、絶望、の繰り返し。


自分を傷つけコントロールなど出来るはずがなく

どうやって生き延びたのか分かりません。
一瞬一瞬が死に物狂いで
一呼吸一呼吸が苦しくてしょうがなくて…

それを繰り返して今ここにいます。

19歳頃から家族から離れて彼の家に入り浸り
明け方まで仕事をし
とにかく家に帰らなくなり
お金を貯め、車の免許を取り
イタリアへ旅行 スペインへ旅行

この頃には、少しずつ家族と距離を取りながら少し会話もするようになりました。
過ごす時間は極力少なくしていました。

逃げるようにオーストラリアへ。

一緒にいない方が、うまくいくと感じ
今も私はここにいます。



家族がどう過ごしているのかはあまり知りません。
仲が良さそうに見えます。
私がしばらく戻ることもないのではないかなと思います。




例えば、鬱や拒食になった原因を
自分を犠牲にし過ぎた
という情報があります。

私は、ほかに信じるものがあり、そこでは自己犠牲がいいものとされます。

人や周りのことを考え、愛し、その人の学びになるように、見守り、時に何もしない。
常に何が正しいのかを考え、悩み
出来ていないことに不甲斐なくなり。
怪我をしたらしたで、何がいけなかったのかと
頭を悩ませ。

しかし大切なのは、そこで自分に意識を向けすぎずに、他に感謝し思いやることなのかなと思います。
と同時に、自分を整え愛すること。

私には、まだまだ難しいです。
全てがバランスです。