今日は少し気分を変えようとお昼にお気に入りのサンドイッチ屋さんへ。
こぢんまりとしたそのお店はとても静かで人も少ないので私にとても合うのだ。
ゆっくり本でも読みながら野菜たっぷりのサンドイッチを頬張ろうと向かったら、一組の先客がいた。
なかなか不思議な2人だが、60過ぎの男性と30代くらいの女性が話していた。女性の方がよく喋る。そして小さな部屋に似つかわしくないほどボリュームある声で話しているから、聞こうとしなくても勝手に会話が頭に入ってくる。本の中身がただの文字列としてしか頭に入ってこない。
うぐぐ、、ま、いっか。
たまには人間観察も兼ねて、赤の他人の世界を覗いてみよう。
女性の話を聞くかぎり、かなりの愚痴オンパレードだった。そしてその愚痴は、夫に向けられたもののよう。女性は働いておらず、夫が家計管理をしてるみたいだ。
その女性の言い分は、ざっとまとめると、使うお金のことで細かくとやかく言われる、それが嫌!!だから隠してるんだと。
なかなかに口が止まらない。壊れたダムのように、止まりそうにもない。
これを全部聞いている男性は大変だ...
男性ももはや呆れているような相槌を打っている。
知らない人の愚痴をひたすら聞いていたけど、あるあるな話すぎて既に知ってる話のように聞こえた。
どうして人はここまで同じようなトピックで悩み愚痴り文句を言いぶつかり合うのだろうか。
どうして人は、言語という万能なコミュニケーション手段を手にしているというのに、人と上手くコミュニケーションを取れないんだろか。
ツールを使いこなせていないだけではない。
ツールを使うための準備が整ってないように思う。
当人には直接言えずに周りに愚痴る。
感情的になって当たる。
ただただ我慢をする。
どうしても人間はこうなってしまうんだと思う。これが人間のリアルなんだと思う。
当人にきちんと伝える勇気を持つ。
感情の高揚を抑え、建設的に話し合う。
我慢をせず、相手に伝わるように打ち明ける。
どれも、簡単なことでもない。
誰も好んで傷つきたくなんかないし、不安だし、怖いし。
人は楽が好き。
現状を変える工数をめんどくさがる。
だから少しばかりかストレスがあったとしても、"変える"という工数をかける面倒くささを回避する方が楽なように見える。
目先のことだけで判断してしまっているのだ。そんなこと分かってるわ!と叫びたくなる事実だ。
人間は、先のことのために動くということを簡単にやってのけれるものでもない。目先のものの方が魅力的に見えるのは、生物的な仕組み上避けられない。
人って、生物の中でも、きっと複雑な生きづらさを持つ生き物なんだろうな。
人と人との間で、想い、気持ち、考え、それらを上手く伝え捉え、相互的な関係性でいられるのは、幸せなことだろう。そこに利他が入ることでその関係性は強固なものになると私は思う。
でもこれは人類の課題なんだと思う。
これが難しいから人はぶつかり、争い、痛めつけるのかな。
人類の歴史としては、まだまだ争いが絶えないんだろう。