だいすきなだいすきなおじぃちゃんが、5月25日に亡くなりました。
 
85歳の誕生日を迎えた翌日のことでした。
 
4月の半ばに、悪性リンパ腫と診断されてそのまま入院し、
 
少しでも元気になって帰宅することを目指していたけれど、
 
いっしょに暮らしたおうちに生きて帰ることは叶いませんでした。
 
昨年末から体の不調を訴えていて受診もしたけれど、なかなか原因がわからなくて。
 
動かなくなっていく体、朦朧とする頭で、口には出さなかったけど、すごく不安だったと思います。
 
一時は治療の甲斐あって、拘縮していた左半身が動くようになり、
 
会話をすることや、笑うこと、歩行器で歩くこともできるようになって。
 
治療過程で脳内出血をおこして絶望的なことを言われた時だって、
 
意識はなくても耳は聞こえてるからと、
 
おじぃちゃんの聴きたがっていた童謡のテープを流したら
 
音のする方に何度も寝返りをうちだして、
 
会話ができるまでに回復して、奇跡のようだと言われた、スーパーおじぃちゃん。
 
入院が長引くに連れて子供のようになっていって、
 
駄々を捏ねて困らせるほど活気が溢れてることもよくあった。
 
だから、このまま元気になるって信じてた。
 
去年の11月までは車を運転してちぃを送ってくれたし、畑にも毎日行ってた。
 
そこらへんのおじぃちゃんとは格が違う。
 
だから、絶対に元気になって帰ろうねって言ってた。
 
19日、昼休みにおじぃちゃんの病室へ言ったら珍しくぱっちり目を開けて起きていて。
 
とても調子がよく会話ができました。
 
ちぃちゃんが来てくれるとほっとするよ、ありがとう。
 
穏やかな口調で、そう言ってくれました。
 
短い時間しかいられなくて、また仕事終わったら来るからね、って言ったら、
 
ゆっくり笑って頷いてた。
 
夕方に行くとママが、
 
ほら!ちぃちゃん来たよ!っておじぃちゃんに声かけしてて。
 
おじぃちゃんはその日、ちぃの後にママとおばさんが行った時も意識が清明で、
 
いろんな人にありがとうありがとうって言って、
 
16時くらいから何度も何度も、ちぃはまだか?って聞いてたそうです。
 
そして、ちぃはいい子だよ、とも繰り返し言ってたそうです。
 
ちぃが行くと、肩。って自分の肩をとんとんって指して。
 
もっと上、とか言われながら肩揉みをするのが日課だった。
 
その日も、そんなやりとりがあって。
 
しばらくするとぼんやりしだして、今日はよく喋ったから、疲れちゃったのかな、って話してた。
 
調子良さそうだから早めに帰ろうか、って話していたら間もなく、
 
痙攣を繰り返しおこして、担当医からはいつ呼吸が止まってもおかしくない状態だと言われました。
 
ママもちぃも、駆け付けたおばさんも、そんなの信じられなくて諦められなくて、
 
呼吸が止まりそうになるたびに声掛けて体叩いて、
 
呼吸状態が不安定ながらも少し落ち着いてきたのは、もう空が明るくなった頃でした。
 
その日から、不安で仕方ないからママとちぃは病室に泊まり込んで、
 
交代で仮眠をとりながらおじぃちゃんを見守ってた。
 
その後、首が腫れて発熱したり、頻脈になったりしながらも一週間が過ぎ、
 
5月24日に85歳のお誕生日を迎えることができました。
 
23日の夜からはママとおばさんと三人で病室に泊まらせてもらって、
 
日付が変わるとはっぴばーすでーとぅーゆーって、こっそり歌ってお祝いした。
 
でもこの頃から脈と呼吸が激しくて、熱も出て、首もまた腫れて、おじぃちゃんはすごく苦しそうで。
 
それを見守るママやおばさんやちぃも苦しくなるほどの呼吸だった。
 
点滴をしてもらっても改善するどころか悪化していって、そんな状態が1日以上続いて、
 
おじぃちゃんは苦しいまま静かに死んじゃった。
 
こんなに優しくて働き者で、穏やかに真っ直ぐ生きてきたおじぃちゃんが
 
どうしてこんなに苦しんで亡くならなきゃならなかったのか、
 
悔しくて悔しくてなりません。
 
今思うと、どうしてあの時ああしなかったんだろうと、悔やまれることばかりです。
 
でも、もしかしたら、おじぃちゃんは本当は痙攣をおこした19日に亡くなるつもりだったのかなって。
 
だから、あんなにありがとうありがとうって言って、ちぃの帰りを待ってくれてたのかなって。
 
それを娘や孫たちが、大泣きして体引っ叩いて、
 
誕生日迎えなきゃだめでしょ!!って言いまくったから、
 
85歳になるまで頑張ってくれたのかなって、思います。
 
働き者で、自分のことより家族のことを優先にしていて、
 
弱音も愚痴も一切吐かないおじぃちゃん。
 
家の中には、おじぃちゃんとの記憶が詰まったものばかりで、
 
何をするにしても思い出しては、なんでいなくなっちゃったんだろう、って寂しくなります。
 
出掛けるときに履いていった靴も、スリッパも、リハに使っていた靴も、
 
今はそのまま玄関に置いてあります。
 
だからまたいつでも帰って来ていいのに、おじぃちゃんは居ません。
 
亡くなった翌々日が友引だったため、お通夜が命日の3日後でした。
 
そのお陰で、準備で慌ただしい中ではあったけど
 
1ヶ月ぶりに帰ってきたおじぃちゃんと少し長く過ごすことができて、
 
寂しがる私たちのために、おじぃちゃんが配慮してくれたのかなって思います。
 
たくさんたくさん泣いて何日もぱんぱんに腫れた目でいたら、
 
おじぃちゃんのお兄さんが葬儀の間とても気にかけてくださって。
 
おじぃちゃんのお兄さんたちね、みんな
顔がそっくりなの。
 
お兄さんは兄弟みんないなくなっちゃって、
 
俺の方が年が上なのに順番が逆だよって何度も呟いて、
 
自分だってすごくすごく寂しいだろうに、
 
いっしょにちぃのiPhoneに入ってるおじぃちゃんの画像を見て笑ってくれて、
 
もう大丈夫?元気だしてね。あんたの泣き顔みてると、こっちまで悲しくなっちゃうよ。
 
って、おじぃちゃんそっくりな優しい笑顔で言ってくれました。
 
おじぃちゃんに言われてるような気がして、悲しいばっかりの気持ちが少し穏やかになれました。
 
おじぃちゃんのお骨といっしょに帰宅してからは、ちぃもママもおばさんも、
 
ことあるごとに遺影に向かって話しかけていて、
 
ママなんて、おじぃちゃーん携帯がなーい!どこー?!って聞くし。
 
まるでそこに居るみたいな声が飛び交ってます。
 
ほぼ毎日泊まっているおばさんは、ついにちぃと話してる時の一人称を、
 
お母さん、と間違えることが多発してます。
 
おじぃちゃんが急変したあたりから、娘よりも姪といる時間の方が圧倒的に長いもんね。
 
おじぃちゃんが元気になるまで行かない!と断っていたディズニーも、
 
付き添いで誰も家にいないからと出来なかった通販も、
 
おしゃれをして出掛けることも、どれもこれも出来るようになってしまいました。
 
本当は、元気に帰ってきたから出来るようになったねって、言いたかった。
 
毎年いっしょに飾った七夕も、毎朝眺めた朝顔も、花火大会も、
 
芋掘りも、初詣も、もうおじぃちゃんと見たり行ったりやったりすることは叶わないのに。
 
ディズニーやお買い物だけ行けるようになっても、ちっとも嬉しくないのに。
 
初七日も過ぎ、文字にすることもできるようになり、泣くことも減って、
 
おじぃちゃんなしで戻ってくる日常に、いちいち寂しくなりながら、だんだんと慣れてくんだと思います。
 
今日から6月。
 
病院に篭って春をあまり感じないまま初夏が訪れてしまいました。
 
火葬場で、ママと外の空気を吸いに出た時も空は眩しくて。
 
その時に、ちぃはおじいちゃんの誇りだったよ。と教えてくれました。
 
おじぃちゃんが長年通い、亡くなったあの病院に、ちぃが勤めていて、
 
受診に行くと受付に座ってるのが、おじぃちゃんの自慢だった。と。
 
お葬式のときも、親戚や知人の方々が、
 
おじぃちゃんはあなたのことをとても可愛がっていた、と口々に言ってくださいました。
 
そんな自慢の孫ですから。
 
泣くだけ泣いて落ち込んだら、いつものちぃに戻りたいと思います。
 
これから大好きな世界一のおじぃちゃんが育てた娘2人と孫で、
 
久し振りの外出をしてきます。
 
いいお天気!!