高速のサービスエリアのトイレへ行くたびに思い出すだろう。
小布施からの帰り道、
一日中中学生と授業をしてきたからぐったりと疲れているはずなのに
ねじまき鳥のせいで妙にさえてしまった。
隣にいる彼女は、ぐっすりと寝息をたてている。
松家さんの折れてしまった大腿骨が、
ありもしない方向へ曲がってしまった様子を想像したときの身震いを体が覚えている。
私はそのとき、何を思い出すんだろうか。
私にとって、カメはなんだろうか。
そんなことを思いながらも、やっぱり手をふるって床へ水滴をこぼした。
ねじまき鳥さん、きみはだれ?
すごくイガイガするのだ。
book3が、次が読みたい欲求とは全然ちがった、
乾燥したササミをたくさん口のなかに含んだような気持ちだ。
松家さんと、村上春樹は仲がいい。
酔った松家さんは、おぶってもらったこともあるって。
彼の小説を、ジェットコースターでびゅーんといって到着しましたって小説だと表現していた。
たしかに。
エッセイとは、目的も結論もない世界だという。
逃れられる救いの場所、聖域というかな。
何の役にもたたないんですよ、実は。
かかなくてもいいものなんです。
松家さんはいう。
今日はそこへ逃げ込みたいと思います。
松家さんは、
夏のはじまりへ、春をすごした私へと、
ご褒美と宿題をほいっとくれた。
それについて語りたい。
でも、ずいぶん長くなってしまいそうだ。
それに、それは私が意識してきたスタンスであって、
その変化を「誰にでも」分かるものにしたときに、
私の言葉ではないところで、語られることが目標な気がするのだ。
そこまでは、いくつかステップを踏まなくちゃ届かないんだと思うけど。
ずいぶん私なりに頑張ってきたけれど、
やっぱりあんまりにも子どもだ。
どうやって表現するのか、
いつ表現するのか、さっき決まった。
だけどね、松家先生。
少しだけ満足していたわたしに、
また橋をかけてくださってありがとうございます。
目標ができたよ。
20歳へ近づくことは、
きっと半年くらい前に焦ったりするんだと思ってた。
つまり、子どものままでいたいと思っていたのに。
こんなにも頑張っているけれど、
こんなに簡単じゃないことはなんとなく覚悟している。
だけど、
こんなにも丁寧に支度ができるなんて、生まれてはじめてなのだ。
わたしの20歳へ、歩んでいく最適解だとこれくらいは私へ自負したい。
あるいは、これから生きていくわたしへ最も誇れる19歳なのだ。
「わたしと、そして君のために、
文章をかくことを考慮していない文章。」でした。